青く澄み渡る空を一発の銃声が駆けた。
牛舎から少し離れた木の枝に止まり羽を休めていたカラス達は一斉に山の彼方へと飛び立った。しかしそれらと対照的に地面へと落下する影が三つ。カラス同士の距離が近かったから散弾一発でも成せたのだろう。とりあえず今回はこのくらいで良さそうだ。キツネや他の動物に盗られる前にカラスを回収に行かなければ。猟銃から弾を抜いてカバーを掛けた。それを背負い歩き始めて少し経った頃、ちらほらとカラス達が戻り始めていた。濁ったような鳴き声が鼓膜を震わせる。仲間を撃たれたことに対する怒声かそれとも慟哭か、どちらにせよ、これは煩くなる。
手早く回収を済ませると牛舎へ寄り、カラスを農家の主人に引き渡した。二羽だけでいいと言っていたから残りの一羽は譲ってもらった。相変わらずカラスは煩く鳴き続けていて、鳴き声が耳の中で木霊した。
「マルカ様? 狩りの帰りですか?」
帰り道、城の近くで偶然にもネペンテスと出くわした。大方、食べ歩きの帰りだろう。ネペンテスは食客としてこの国に来てからほぼ毎日、国中の飲食店を制覇する勢いで趣味の食べ歩きを極めているのだ。今日は何を食べてきたのか、顔も腹も随分と満ち足りているように見えた。
「カラス撃ちの帰りだ。知り合いが牛にちょっかいをかけられて困っていてな。牛舎に吊るすカラス除けのカラスを撃ってきた」
「カラスですか……おや、それは……」
ネペンテスが私の左手に握られているカラスを凝視する。
「余った一羽をもらってきた」
「カラス……にしては大きいような……?」
「うちのカラスは他のより体長が大きくて肉づきも良いんだ。草食寄りだから肉の味も悪くない」
カラスを少し掲げるようにして見せると、ネペンテスは食い入るような目つきで、食べるのですか?と問うた。
「ああ、食べる。撃ったからには命を無駄にはできない」
「なるほど……味見しても?」
「口に合うかはわからないぞ」
「そんな心配はしていませんよ。きっと美味しく調理されますから」
それは嬉しい言葉だ。しかし今回このカラスを調理するのはシェフではなく私だから少々荷が重いと告げたら、ネペンテスは「マルカ様の手料理を食べるのは初めてですね。楽しみにしています」と思いのほか期待に満ちた目を向けてくれたのだった。……これは頑張らないといけないな。
そうして共に城へと続く道を歩き始めた。ネペンテスのハイヒールが石畳を鳴らすのに紛れて、遠くでカラスが鳴いたような気がした。
城に戻ってまず初めに行ったのはカラスの解体。それが終わると私とネペンテスはシェフの不在を見計らって厨房に足を運んだ。カラスを持ち込むとシェフが渋い顔をするのがわかっているからだ。居合わせたコックたちにシェフには黙っていてくれと念を押すのも忘れない。さて、何を作ろう。初めてカラスを食べるならミートパイが食べやすいだろうか?
「ネペンテス、リクエストはあるか?」
「いえ、マルカ様にお任せします」
「そうか、わかった」
なら、材料も揃っていることだしミートパイにしよう。
作り始めて数十分、ミトンをして、ガスオーブンの中から天板を取り出すと、焼き上がったばかりのミートパイの香りが鼻腔をくすぐり食欲を掻き立てる。こんがりとキツネ色のパイを見て、我ながら上手くできたと思った。
粗熱を取ってから切り分けようと天板を一度テーブルの上に置いた。
「美味しそう……いや、確実に美味しいですね。これは」
「ネペンテス、食器を出してくれ。それとつまみ食いは感心しないぞ」
「……はい、かしこまりました」
つまみ食い用にナイフとフォークを用意していたのだから如才ない奴だ。伸ばした手を引っ込めて、ネペンテスは食器の準備に取りかかる。もうすぐ食べさせてやれるから、そんな哀しそうな顔しないでくれ。
切り分けたパイを真っ先にネペンテスの皿に乗せる。ネペンテスはそれを待ってましたとばかりにパイを口へ運んだ。
「……美味いか?」
「ええ、とっても」
「それはよかった」
正直不安だったがネペンテスの口に合ったようで安心した。この勢いだとすぐに完食してしまうだろう。そんなことを思いながら自分の分のパイも切り分ける。パイ生地にナイフを入れるとサクサクと美味しそうな音がした。
「ごちそうさまでございます」
私が三口ほど食べたところでネペンテスが完食した。食べるスピードが思っていたより速い。そしてごちそうさまと言っておきながら、物欲しそうな目で残りを見つめている。おかわりを促すと手早くパイを皿に移し、いただきますと手を合わせた。私が一個食べる間にネペンテスが残りをぺろりとたいらげてしまいそうだ。
街中で食べ歩いてきたというのに、腹にはまだまだ余裕があるように見える。ウツボカズラの一族は消化が早いのだろうか?
「この国に来てからというもの、新たな美食との出会いの連続です。マルカ様には本当に感謝しています」
パイをナイフで切りながら、ネペンテスは唐突にそう言った。改まって言われると、嬉しさや気恥ずかしさでなんだかくすぐったいような気持ちになる。
「いつか、あなた様も──」
そっと呟かれた言葉には、いつまでも気づけないでいた。
×××パイをお食べ