「姉御……気持ち悪いアル…」
それは三時間目の休み時間のこと。教材を机に閉まっているときに、私を呼ぶ声がかかる。
朝から何かが足りないような気がしていた。
そうだ、この子の威勢のいいいつもの声が聞こえないのだと、今頃気付く。
「あら?大丈夫なの」
神楽ちゃんは横に首を振る。
よく見れば目は虚ろで、青白い顔をしている。しかしそれとは逆に触れた肌は焼けるように熱い。
いわゆる風邪の症状だ。
「いつからなの?」
「分かんないアル、気付いたら何か気持ち悪くて……」
声が震えている。立っているのも辛いのかフラフラと揺れている…気がする。
とりあえず自分の席を立ち、彼女をそこへ座らせる。
「熱があるわ、きっと」
「うえー…、まじでか」
「次の授業休む?」
「…………無理アル」
神楽ちゃんは気まずそうに視線を逸らした。
私は理由が分からず、首を傾げる。
眉間に皺の寄った神楽ちゃんの顔は今にも泣きそうに歪んでいるように見えた。
「姉御…知らないアルか?保健室には沖田がいるんだヨ」
「沖田さん?」
そういえば、この子たち付き合っていたんだということを思い出す。そして数日前別れたということも。
周りを見渡す。神楽ちゃんの隣の席は朝から空席である。
「でも屋上に居るかもしれないわよ?」
「…………女といるアル、最近ずっと」
「女?」
「とっかえひっかえ抱いてるって噂アル、それを確かめにこの前保健室に行ってみたネ……ほんと幻滅したアル」
二人が別れて、教室には毎日起きていた乱闘が止み、本来在るべき極普通の日常が戻った。
そこまでは良かったのだか、沖田さんが変わったのはその頃からだった。授業にはいつにもまして出席しないし、機嫌が悪く彼と共にいる土方さんや近藤さんもお手上げだとか言っていた。
まさか、裏でこんなことになっていたとは想像しなかったけれど。
「私馬鹿アル」
「どうして?」
「……あんな最低男なのに、まだ傷ついてる自分がいるネ、まだ好きだって………ほんと嫌になるアル」
神楽ちゃんはきゅうと唇を噛む。
目が充血していた。でも理由はきっと風邪ではない。
大丈夫とそっとスカートの上で震える両手を包んであげると、ポロリと流れた涙が手の上で弾けた。
その時、チャイムが鳴った。
すると銀髪頭の教師が教室に入ってくる。
ちょっと待ってて、そう言って相変わらず気だるそうな銀さんの元へ。
近づく私に気付いた男は「なんだ?」という。
「神楽ちゃん、熱があるみたいで」
「神楽が?」
「銀さん、家まで送ってあげてくださらないかしら?」
「保健室は?」
私が困ったように笑ってみせた。
銀さんは暫く黙り込んで何か考えているようだ。数秒後、分かったと気だるそうな返事が聞こえてきた。
毎回イラッとするが、これが彼の普通だから仕方ない。
「オイ、てめェら、今日は自習だ、言っとくが騒ぐなよ、クビ飛ぶのは銀さんなんだから」
駐車場に連れてこいと小声でいうので、私も頷く。
再び神楽ちゃんの元へ戻ってみると、前の席の新ちゃんが神楽ちゃんの背中をさすってくれていた。
「ありがとう、新ちゃん」
「いえ、大丈夫ですか?神楽ちゃん」
「神楽ちゃん、銀さんが家まで送ってくれるそうよ」
神楽ちゃんはいよいよ気分が悪そうだ。返事はないが首を縦に振って頷いた。
肩を抱いてそっと彼女を立たせる。足取りは覚束無い。
元気だけが取り柄の彼女をここまで追い込んだのは、風邪のせいではない。
どこかの腐った男であることにまず間違いはないだろう。
付き合っていた頃、嬉しそうに学校へ来ていた神楽ちゃんが今では懐かしい。
私が見る限り、相変わらず喧嘩ばかりの二人だったが幸せそうであったように思う。
神楽ちゃんが沖田さんを好きになるよりずっと前から、彼の方が好意を抱いていたことは知っていた。
なのに、どうして今ではこんなことになってしまっているのだろう。
神楽ちゃんのことを考えると、私も辛くなった。
「病院連れて行ってくださいね、薬は少しでも食事させてからにしてください、その無駄にいい料理の腕を奮ってくださいな」
「無駄ってなんだよ、無駄って……つかそんなに心配ならお前一緒にくれば、今日は欠席チャラにしてやっから」
「いえ、私、やることがあるので」
後部座席でぐったりとしている神楽ちゃん。
「早く病院へ」というと銀さんは「まあ、無理すんな」と言う。
私のこれからすることを分かっているようだった。車の後ろを見送りながら、そういえば銀さん車なんてもってたかしらとふと思う。
……まあ今はどうでもいいんですけどね。
踵を返し向かう先は男のいる保健室。
ヤっている最中だろうがなんだろうが関係ない。その腐った性器にでも思いっきり蹴りをお見舞いしてやりましょう。
そうすればきっと彼も気付くはず。本当に必要な人は誰か。
数日後、また光り輝く彼女の笑顔と破壊される我が教室が見えることを信じて。
.