11
一度崩れたモノを組み立てるのは、難しい。小さな失敗が、すべてを崩すこともある。
見覚えのある建物が見えてきた。ここに来たのは一か月前。
元凶ともいえる場所。沖田のアパートだった。
「ありがとな、チャイナ」
傘を返したが、またもや神楽が帰ろうとしない。
沖田が声をかける前に、今度が神楽が先に口を割った。
「あのな、約束してほしいことがあるネ」
強い雨が降る中、小さな声をなんとか拾い上げた。
「なんでさァ」
聞き返してみたけれど、沖田は何となく感づいていた。
威勢のいい姿は消え、ほんのり染まった頬。恥ずかしそうに俯く顔。
「銀ちゃんのこと……アル」
ああ、やっぱりだ。
神楽を“こんな”表情にさせるのはあの男をしかいない。
悔しさを隠すように、沖田は奥歯を噛みしめた。また傷つける言葉を言わないように。
「私が銀ちゃん好きだってこと、誰にも言わないでほしいネ」
「………」
「沖田?」
「……分かった」
そういうと、神楽は嬉しそうに笑った。沖田は不覚にも、ときめいてしまい慌ててそっぽを向いた。
「……前にも言ったけど、私、この恋が叶わないの知ってるアル、だから迷惑かけたくないネ、銀ちゃんには特に」
神楽が切なそうに笑うのを見て、沖田は爪が食い込むくらい拳を握りしめた。
神楽はいつだって銀八が一番だった。
(なのに、あの男は……)
悠々と煙草を吸って、神楽に優しくして、気持ちを知らないふりをして。
沖田の目には神楽の気持ちをおちょくっているようにしか見えなかった。
神楽は優しくされるたび期待をして、でも現実に傷つけられる。
自分なら、そんなことはしない。神楽を守ってやれるのに。いつも笑わせてやれるのに。
(俺なら……)
「好き」
その言葉は、勝手に口から飛び出した。
眼鏡越しに見える神楽の瞳が大きくなった。雨音が一瞬だけ小さくなった気がした。
少しだけ口を開けたまま、神楽は固まっていた。
「好きだ」
チャイナ、そういった沖田の顔を神楽は一度だけ見たことがある。
余裕そうないつもの表情はない。神楽を真っ直ぐ見る瞳は泣き出しそうに揺れ動いていて……―――…あの時みたいに。
嫌だ。
「ずっと前から、好きだった」
何も言わないで。
「お前と喧嘩しててようやく気付けた」
私を見るな。
「俺、お前が好きだ」
(どうして)
「どうして……アルカ…」
沖田はその声を聞き取ることはできなかった。
しかし次の瞬間、神楽の頬に涙が伝ったのを見て、沖田は息をのんだ。
「どうして、そんなこと言うネ…」
溢れ出して、止まらない涙。
止まらない、止めれない。
「お前はどうして、壊すようなことばっかりするネ!」
雨音に混じって、嗚咽をつきながら必死に神楽は沖田に訴えた。
息苦しかった。呼吸がうまくできないけれど、神楽は叫ぶように続けた。
「せっかく、戻れると思ったのに!何でお前はいっつもいっつも!!」
沖田には返す言葉がなくて、じっと神楽を見つめたままだった。
「私の気持ちを知ってて、よくもそんなこと言えたアルな!!もうこれ以上めちゃくちゃにするなヨ!!私はっ…銀ちゃんをずっと思っていたいのに…」
「本当かィ、それ」
その言葉に、神楽は喋るのをやめた。沖田は続けた。
「本当に、思ってるだけで良かったのかよ、チャイナ」
ドスの利いた低い声に何も返せなかった。
「銀八と恋人になりてぇと思ったことなかったのかよ……そういう感情がないくせに、お前は好きだって言ってたのかィ、嘘だ、てめェはそうやって自分をまもってるだけだ、傷つかないように、可愛い自分をまもってるだけだ」
「…!何アルか!!それ!!私が銀ちゃんのこと好きなのは嘘だって言いたいアルカ!?」
「ああ、そうだ、まったくその通りでィ、てめェはやっぱり綺麗ごとをつらつら並べて、自分は好きだって思い込みたいだけだ」
「ふざけんな!!何にもしらない癖にっ!!お前にあーだこーだ言われたくない!!」
「じゃあ、想ってるだけでいいなんてよく言えたもんだなァ!本当に好きなら、手ェ繋いだり、抱きしめ合ったり、キスしたり、セックスしたりしたいって思うのが普通だろーが!!!」
「それが…っ出来ないから」
「傷つくのを恐れて、何ができないだ、てめェはよチャイナ、出来ないんじゃねー、しないんだ」
(言ったってダメだもん、私だって……本当は)
痛い。痛いよ。銀ちゃん。
肺も喉も心臓も、全部痛いよ。
銀ちゃん、銀ちゃん、助けてよ、銀ちゃん。
助けて、救って。嘘でもいいから、私のこと、好きだって言って。
…やっぱり嘘じゃダメ。私が、私の全部、好きって。
「お前なんかっ大っ嫌い!!!!」
神楽は最後にそう叫ぶと、傘を投げ捨てて走り出した。
雨が全身を叩き付けて痛い。
沖田のことが、憎い、許せない。
でも全部当たってた。それが悔しかった。あれ以上何も言い返せなかった。
ズタズタの心、助けてほしい。今の神楽を救ってくれるのは銀八しかいなかった。
***
バンッと勢いよく扉があいた音で、台所にいた銀八は飛び上がった。
ガスコンロでぐつぐつと煮えている鍋から視線を玄関へ移すとそこには、ずぶ濡れの神楽がいた。
「ど、したよ?そんな濡れて」
神楽は問いかけに答えず、立ち尽くしていた。
ガスコンロの火を止め、そっと近づいていく。
「神楽?」
ゆっくりと前髪に隠れた顔が持ち上がる。いつもの眼鏡はなく、青い瞳に銀八の顔が写った。
瞳からは雨と違う、液体が止め処なく溢れ出す。
「銀ちゃん!!」
同時に神楽は銀八に抱き着いた。あまりの勢いに、支えきれず、後ろに倒れた銀八。
それでも神楽は離さなかった。
「ってー!!おい!かぐっ…」
「好き!!銀ちゃん!!大好きアル!!!」
銀八の胸元で神楽は叫んだ。
言いたくなかった。困らせるだけだって、拙い自分の頭でもそれくらいのことはわかった。
でも、この苦しみを取り除くためにはそうするしかなかった。
「銀ちゃぁん……好きだヨぉ……っ!!」
好きって言って。神楽、好きだよって。
そしたら、きっと治る。沖田だって許してあげる。
だから、銀ちゃん。
「神楽」
頭をそっと撫でながら、名前を呼ぶ声に酷く安心した。
「風呂、入ってこい」
「……え」
そう言われて、顔を上げた。
目の前にはいつもの表情の銀八。なんで?なんで普通の顔してるの?
「銀ちゃん…私」
「風邪、引いちまうだろ、行ってこい」
告白なんてなかったみたいに、もう一度風呂へと促してくる。
どうして、平気でいられるの?困ってないの?
「な、神楽」
優しく自分の声を呼ぶ大好きな声が、今は酷く残酷だった。
「……うん」
もう涙は止まった。
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