ジェンガ その他 | ナノ
5


暦は十月へと移ろうとしていた。
夏の残暑はだんだんと抜け、急に寒くなった今日。澄んだ水色に輝く秋空が広がっていた。


教室にいつもの騒がしさはない。教師の声と黒板を打ち鳴らすチョークの音が見事なハーモニーを作り出し、生徒たちを夢の世界へと連れて行く。
その極普通の環境が、この教室に存在すること事態がまず奇跡である。
良いことに間違いはないはず。しかしクラスメートには不安が過ぎる。視線の先には、二人の男女がいた。



「「…………」」


二人の間に会話はない。女は顔を机に突っ伏し、男は窓の外をぼうと見ている。
その光景は大変奇妙であり、不吉である。
クラスメートは震え上がる。
いつか、とんでもない何かが起こる、と。













耳から離れない声がある。
頭に浮かんだまま忘れられない瞳がある。
思い出せば思い出すほど、何故か溢れる後悔の念ではなく怒り。
自分に非があるのは重々承知しているが、あれから数週間はたってるのに言葉を交わすことは愚かまともに顔も会わせていない。
いくら何でも長すぎないか。
流れる雲を見送りながら沖田はそんなことを考えていた。

明らかに避けられている。
こうして席は隣で同士ではあるが神楽がその席に座っているのは授業の合間だけ。
極力沖田の側へは近寄らないようにしているのは誰から見ても明らかだった。
といって沖田が声を掛けるわけでもない。
その原因を知っているのは彼等だけだった。









「沖田さん」


呼吸を吸うのを忘れた。


「と土方さんがさっき話してたんだけど……」


嫌だなぁとうつむいてぎゅっと目を瞑った。
早く忘れてしまいたいのに。
無意識に神楽は手首をさすっているのに気づかない。

ご飯が美味しくない。
メロンパンも焼きそばパンもコロッケパンもカレーパンも、愛しの酢昆布さえも何故かあまり美味く感じられない。
それが辛くてしかたがない。
唯一の楽しい時間があの男のせいで全て上手くいかない。
手に持っていたあんパンを口に半ば強引に押し込んだ。


「神楽ちゃんはどう思う?」

「んぐっ!」


妙の突然の問い掛けに、あんパンが食道から軌道を外し、神楽は咽せる。
妙は慌てて神楽の背を撫で、ペットボトルのお茶を差し出す。
神楽はそれを飲み干すと暫くしてようやく落ち着きを取り戻した。

「ごめんなさい、神楽ちゃん」

「いいヨいいヨ!」


"ごめん"
何故沖田はこんな風に素直に謝ってくれないのだろう。
たった一言だけなのに。
二週間、こんなに長くあの男と目を合わさなかったのは初めてだった。
神楽は二袋目の焼きそばパンを口に運んだ。

あの時から、沖田がそばにいることにビクついている自分がいた。
自分を見据えるあの時の目がフラッシュバックする。
緋色に輝く瞳がどこまで神楽を貫く。
心の奥底まで覗かれているようで怖かった。
気付けば手首を強く握っていた。今でもまだ掴まれた感触が忘れられなかった。

頭を大きく振った。
やめよう、あの時のことを考えるのは。
だって何された訳でもない。
そんなに私は弱くない。あんな男に振り回されない。
私は強いんだから。
そうして神楽はコロッケパンの包みを開いた。





秋晴れの空にチャイムが響く。
五限の始まりを告げる鐘だ。
しかし沖田は相変わらずふざけたアイマスクをつけたまま、秋の陽気に暖められたコンクリに寝転がったままだった。
五限の授業に出る気などこの男にはさらさら存在しない。
時々吹く冷たい風に体を打たれても、沖田は屋上を立ち去る気配はなかった。
一人になりたかった。それを思うと今日のように風の冷たい日に外へ出たがるものもいない屋上は沖田にとって絶好の場所だった。

沖田はアイマスクを額に押し上げる。前髪が乱れるが気にしない。
視界に広がる空を見上げると、思い出すのは少女の青い瞳だった。


「チッ……胸糞悪ィ」


神楽が自分に怯えている。
神楽は隠しているつもりだったが総て分かっていた。
目が合うとまるで恐ろしいものでも見るように一瞬で瞳が曇り、視線を逸らされる。
そのあと、決まった神楽は机に突っ伏した。
沖田と目が合うまいとしているのは一目瞭然だ。
それが沖田には腹立たしくて仕方ない。


(何急に女らしくなってんでィ…)


あの時抱いた神楽への恋心は日が経つほどに薄れていた。
あれはただの一時的な何か別の感情だったに違いない。
沖田はいつしかそういうふうに思うようになっていた。
昔から恋愛なんてくだらない、そんなひん曲がった性格だった沖田には恋する気持ちは正直よくわからない。
しかしそのせいで、喧嘩ばかりしていた神楽が急に恋愛だの何だのとうつつを抜かしているのが、無性に腹立たしい。
まるで自分を置いて神楽がどんどん遠くに行ってしまうような感覚だった。
手の届かぬ存在、いつかきっと話しかけることもできなくなってしまう。
それを自分は恐れてあんなことしたのだろうか。
だとしたら自分はばか野郎だと沖田は思った。
神楽の心はあの時を境に今まで以上に遠くにいってしまった。靄に覆われるようにふと消えたそれの存在を確かめることはもうできない。


(………俺が……悪ィよな)


神楽が傍にいないことが予想以上に苦しかった。
隣にいても心はない。
玉を転がしたようなあの声ともう一度話をしたかった。
ビン底メガネからのぞくあの青い瞳で自分を見てほしかった。
何よりまるで花をが咲いたかのようなあの笑顔がもう二度と見れないかもしれない。
そんなことで胸が痛んだ。そんなことだから胸が痛んだ。

寝よう、起きたらきっとこの痛みも消えている。
容赦なく吹きつける冷たい風に負けじと沖田は瞼を強く閉じた。

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