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「安心するネ、こんなの成り立つわけ無いヨ、神様が許さないアル、もし真実なら私死ぬから、死んじゃうから」
「おーおー死んでくれや」
「あのハゲが勝手にしたことアル、大体なんでこいつアルカ、見る目無いネ、地球がひっくり返ってもお前とだけは結婚する気起きないアル」
「その台詞そのまんまバットで打ち返すぜィ、誰がこんなバイオレンス女と好き好んで結婚するか」
「その台詞、バットで打ち返して顔面にぶつけて歯粉々に粉砕してやるヨ」
「そのバットでテメェの狂った思考が直るまで、何度も打ったたいて……」
「おい、なに最後の?話反れてるから、バットの話になってるから」
所は銀魂高校進路相談室である。
夏休みを明けて三日経ったある日の昼時。
夏休みが明けたといってもまだまだ暑い。部屋に設置された年代物のクーラーが今も尚音を立てて唸っている。
その部屋の中央、机を挟んで三人の男女が神妙な面持ちで座っていた。
赤橙色の髪をした少女、神楽と彼女の同級生であり喧嘩ライバルの亜麻色の髪の沖田。二人とも決して目だけは合わそうとしない。そして反対側に彼等の担任教師の銀八がいた。
「用があるならさっさと言いなさいよー、お前等の喧嘩に付き合うほど銀さん暇じゃないの」
「暇ダロ、呼びに行ったときだってジャンプ読んでたくせに」
「おまっ…あのなぁ、ジャンプだって大事な教材だぞ?夢を失った子ども達に希望と勇気を与える代物なんだぞコノヤロー」
「マジでか、銀ちゃん、ジャンプ貸してヨ、今の私は夢を失った少女アル、コイツと結婚したせいで私の人生お先真っ暗アル」
「ざまーみやがれ」
「言っとくけどその言葉はお前にも降りかかるアル」
「あ、そっか」
「ちょちょちょ!!!!!!え?何、さっきから結婚、結婚て…」
神楽はむ、と口をへの字に曲げて悔しそうな顔をして見せた。
黙りこくってしまった神楽に銀八も困ってしまう。
沖田は先程から口を開かない。何食わぬ顔でそっぽを向いていた。
「……はっ、なんだ聞き間違いか…、いやー銀さんも年取ったなぁアハハハ…」
銀八は白々しい笑いで妙な空気から打開しようとした。
その努力を知ってか知らずか二人は、相変わらず黙ったままだ。
「お前等が、け…結婚?はっないよなーだってお互い大嫌いなんだしー…ない……ない……よな?」
その問い掛けに対しても反応は無く、神楽は下唇をぎゅうと噛んだ。
そして俯いた顔を勢いよく起こした。
「で…でもっ、お互い同意した訳じゃないネ、あのハゲが勝手に!」
しん、とした空気が漂う。
唸り続けていたエアコンさえも空気を読んだかのように、ガタンと音をさせて動きを止めた。
ジェンガ
「つまり、だ」
二人の顔を交互に見る銀八。座った時から彼等は互いに対する態度を変えない。
「夏休みに神楽の父ちゃんが日本に来て、それでたまたま遊びに来ていた沖田を何故か気に入って勝手に婚姻届を出しちまった、と」
「遊びにいったわけじゃねぇ、宿題を見せに行っただけでさァ」
「婚姻届なんて親父さんだけじゃ無理だろ?」
「私のはいつの間にか書かれてたアル、ご丁寧に筆跡まで真似やがって…沖田は脅されて書かせられてたネ、弱い奴アル」
「人に言える立場か、自分の親父に言い返すことも出来ないくせによ」
沖田は皮肉を込めた笑いを混ぜてそう言うと、神楽は痛いところを疲れたように俯き、眉をしかめた。
「う…だって」
続く言葉が出ず、瓶底眼鏡から覗く青い瞳を泳がす。
「従わされるってらしく無いねえ」
「……俺は近い身内いねぇからって公園の無職の男が保証人になってた」
「何ソレ」
「あの親父が書いたら500円あげるとか言ったんじゃねーんですかィ」
「ああ、成る程」
神楽は自分の父親の羞恥に益々言葉を失い、口は再びへの字に曲がった。
対する沖田は飄々としていた。普段と全く変わりのない沖田、心の中では焦りはあるのかもしれないが、お決まりのポーカーフェイスで表情からは何も捉えられない。
「離婚すれば?」
「………のヨ」
すると今まで黙ったままだった神楽の口がぽつりと言葉をこぼした。弱々しく、再び動き出したエアコンの雑音で銀時の耳には届かなかった。
「え、何?神楽」
「駄目アル」
少し力強く言った言葉は銀時の耳にも届く。
「駄目って……」
「帰るところが無くなるアル」
「……は?」
新たな衝撃事実に銀八は言葉に詰まった。
神楽はうっと口を歪め次の瞬間青い瞳を潤ませた。
震える声で言葉を繋ぐ。
「家…売られたアル」
「あ、あのボロ家をか…?」
「ボロ家でも私の大事な住まいネ!」
「なんでんなこと……」
「こいつの家に住めって…そう言って中国に帰りやがったアル」
神楽は何故か沖田を睨む。
沖田は自分には関係ないと視線を逸らした。
「今までどうしてた?」
「……仕方無くアルヨ!!…コイツの家に泊まってやったネ……でもなんも無いアルヨ!」
「当たり前でさァ、貧乳相手にヤる程俺も落ちぶれてねェ」
「幸い無事ネ…でもいつ襲われるか分からんアル……だから相談があるネ!」
「チャイナさん、人の話聞けよ」
神楽が机を叩き、前へ乗り出した。銀八もその勢いに圧倒された。
「銀ちゃんちに行かせてヨ!」
「意味わかんねぇよ、つかなんで俺」
「銀ちゃんなら遠慮いらないし、一応教師だから給料いいデショ?」
「おい、遠慮いらないって何?お前何なの」
「銀ちゃんが起こしてくれたら遅刻しないし、それに………」
「………それに?」
神楽の頬がほんのり色付いた。銀八はそれに気付かなかったが、横目でやりとりを見ていた沖田には分かった。
色付く意味も知っていた。
神楽は銀八が好きだということを。
沖田はチッと舌打ちをした。
得体の知れない苛立ちをどうしたらいいか分からず、神楽に気付かれぬように睨んだ。
「な…何でもないヨ!!」
「なんだよ、変な奴」
「へ…変とは何ネ」
そんな会話も神楽は嬉しそうにしていた。
そんな顔、俺の前じゃ絶対してくれないくせに。
なんだか悔しかった。
「この年でバツイチはあれだけどそしたら離婚出来るし、…それに私晩御飯とか作ってあげるネ!どうアル?好条件ネ」
「お前は不動産か……」
「返事は?」
「まあ、お前一人ならいいけど」
「やったぁぁぁ!」
神楽は勢いよく立ち上がりガッツポーズをして見せた。
パイプ椅子もガシャンと倒れた。
神楽は飛んで跳ねて喜びを体いっぱいで表す。
そんな神楽だったが、低くまるで怒っているような声が動きをぴたりと止めた。
「……うざ」
しんとした空気があたりを一気に包む。
神楽はその声の主を冷たく睨んだ。
「なんだヨ…お前だっていいダロ、私がいなくなるから」
「ほんとでさァ、清々すらァ、さっさと荷物まとめて出ていきやがれ」
「…っ」
神楽は肩がびくりと跳ねた。
沖田の視線は神楽よりよっぽど冷たく、鋭く、睨まれることは初めてではないがこんな視線は初めてだった。
ガタンと沖田は席を立つ。
銀八のわきを通り、バタンと扉を閉め、進路指導室を出て行った。
残された神楽と銀八はその扉を数秒間眺めた。
神楽が慌てたように声を出した。
「な…何ヨあいつ!腹立つネ!言われなくたってさっさと出て行くヨ!!ばーか!!」
神楽の言い放った台詞が沖田に届くことはない。
神楽はいつもと違う沖田の態度に少しだけ怯えていたのかもしれない。
スカートの裾をギュッと握った。
「銀ちゃん!今日の晩御飯は私作るネ、何がいい?」
そう銀八に話し掛けたのも、ほんの少し泣きそうな自分を隠すためだった。
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