甘くないアイスクリーム
「暑い…どうしてこんなに暑いの…溶けそうだよ…。」
立秋を過ぎたとはいえ、昼間はまだまだ暑くて堪らない。帽子も日傘も忘れたから、このまま歩いていたら熱中症で倒れてしまいそうだ。
そもそも何故こんな炎天下に歩いているのかと言うとーー。
♂♀
「臨也ー、来たよー。」
「やあなまえ、早かったね。」
今朝、腐れ縁の臨也から連絡があった。私に頼みたい事があるらしい。
正直、まともな頼み事ではないだろうと思いながら、何故足を運んだのかというと、断ると後が怖いからだ。
臨也が嫌がらせのプロだというのは中学生時代に嫌というほど思い知った。それからはあまり逆らわないようにしている。
「…それで?私に何を頼みたいの?」
にこやかに出迎えた臨也を一瞥して、静かに問い掛けた。靴を脱いで、部屋に上がる。
相変わらず広いな。こんなところに一人で住んで寂しくないのかな。…そんなことあるわけないか。
「簡単な事だよ。だからそんなに警戒しないで。」
「臨也の言う簡単な事は、私にとって簡単な事じゃないんだけどね。」
警戒されるようなことを散々しておいて、まるで私が悪いみたいに言われるのは心外だ。
「なまえは馬鹿だもんねえ。そんなところも可愛いけどさ。」
「…。」
「これをね、ある人に渡して欲しいんだ。あぁ、相手はヤクザとかカラーギャングとかじゃないから安心して。あと、帰りにアイス買ってきてくれない?これでなまえの分も買って良いから。」
相変わらずぺらぺらと喋る臨也から手渡されたのは、A4サイズの茶封筒と一万円札。この封筒の中に何が入っているのかなんて気にしてはいけない。きっと、いや絶対に禄なものじゃない。
「…アイスは何処で買えば良いの。」
「コンビニでもアイスクリーム屋でも、何でも良いよ。あ、味はバニラね。」
アイス一つ…いや、二つ買うのに何故一万円札を渡すのか。臨也の金銭感覚がよく分からない。そりゃアイスクリーム屋で買えば千円は超えるかもしれないけど。
…アイスのことはまあ良い。問題は、
「…ある人っていうのは?」
「なまえも飲み込みが早くなってきたね。詳しくはメールするから、そっち見てよ。じゃあ、行ってらっしゃい。」
…臨也の仕事の手伝い(パシリ?)をするのは一度や二度じゃない。詳しく聞かない方が身のためだし、必要なことだったら臨也はぺらぺらと喋って教えてくれるから。
私は小さく頷き、お金を財布に入れて、茶封筒はそのまま手に持って、臨也のマンションを後にした。
♂♀
「…はぁ。それにしても、あと二十分もあるじゃん。暇だ。」
マンションを出てからすぐ、今回の手伝いの詳細がメールで送られてきた。
この封筒は、あるサラリーマンに渡せば良いらしい。
中身については特に記載がなかった。きっと何かの情報だろう。報酬は前払いらしく、私がその人からお金を受け取ることはないようだ。
「…それにしても…、なんでこんなところで…。」
内容はまだ良い。待ち合わせの場所が気に入らない。
辺りをぐるりと見回すと、ラブホテルが乱立している。
…メールには書かれていなかったけど、まさか…そういうことは、ないよね…?
私なんて可愛くもないし、スタイルも良くない。そういう風に利用出来るとは思えない。…そもそも、そういう風に利用されるのはまっぴらごめんだ。
「…あの、奈倉さんですか?」
悪い方に考え込んでいると、背後から声を掛けられた。ゆっくりと振り向くと、そこにはサラリーマン風の男が立っていた。年齢は私より上かな。
「…えぇ。」
「良かった、人違いじゃなくて。…それで、情報の方は?」
「こちらです。」
まぁこんなところで人違いしたら困るもんね。私も困るし。
さっさと終わらせようと、私は茶封筒をその人に手渡した。その人は両手を小刻みに震わせながら、茶封筒を受け取った。そんなに大事な情報なのだろうか。
「それでは失礼します。」
これで手伝いは終わり。
そう思った私は、くるりと踵を返した、が、
「待ってください。」
何故か呼び止められて、動きを止めてしまった。
「…ちょっと確認しますから。」
内容は知らないけど、今ここで見るのか。いや、それは構わないけど、私はさっさとこの場を去りたいんだ。
背後で茶封筒を開ける音がした。その人は中の書類を取り出したらしい。中身を確認しているのか、数秒間無言だった。
「…あぁ、良かった。すみません、もう行ってもらって良いですよ。」
「…失礼します。」
よく分からないが、私は振り向かずに再度別れの挨拶を口にして、足早にその場を去った。
♂♀
「戻ったよ。」
「アイスは?あ、おかえり。」
「…これ。」
おかえり、アイスは?ならまだしも、逆で言われるとムカつく。コンビニで買ったアイスを仏頂面で差し出すと、臨也は小さく笑った。
「お釣りはあげる。今日の報酬にね。」
「…要らない。今日は渡しただけだもん。」
アイスとお釣りを渡してそのまま帰ろうと思ってたけど、部屋に上がるように促されたので、従うことにした。
座り心地の良いソファに腰を下ろして寛ごうとすると、何故か臨也が隣に座ってきた。
「…こんなに広いのに隣に座る必要あるの?」
「俺がどこに座ろうと、俺の自由だろ?はい、なまえのアイスだよ。」
コンビニの袋からアイスを二つ取り出して、チョコレート味のそれが私に差し出された。有り難く受け取り、包装紙を剥がしていく。
「またよろしくね、なまえ。」
一口齧って口内に広がったチョコレート味は、すぐ近くにあった不気味な笑みで消えてしまった。
◆160903
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