雨のち晴れ
この部屋の大きな窓からは新宿の街並みを見下ろすことが出来るから、私のお気に入りの場所だ。ただ、最近は晴れている日が少なく、景色を楽しみたい私としては少しつまらない。
「……最近ずっと雨だね」
「梅雨だからね」
「……まぁ、そうだけどさ」
ぽつりと漏らすと、デスクで仕事をしていた臨也がすぐに返事を寄越した。一人言のつもりだったけど、当然のことを言われて、つまらなさが増した。
窓から視線を外して臨也の方に顔を向けると、臨也はパソコンに向き合って楽しそうに笑っている。何か良いことでもあったのだろうか。
……いや、臨也は基本的に楽しそうだから、いつも通りか。私はつまらないのに、臨也が楽しいのは何だかずるい。とは言え人間観察に興味なんて無いけど。
「そうだ、なまえ」
「……何?」
今日はバイトが休みで、三週間程臨也に会っていなかったことを思い出して二時間前に『会いたい』とメールを送ると、『来ても良いよ』と短い返信が来た。出迎えてはくれた。しかし、その後はずっと仕事をしていて、適当な相槌以外は相手をしてくれない。
そんな臨也が、私の名前を呼んだ。ようやく仕事が終わったのだろうか。淡い期待に気付かれたくなくて、平静を装って返事を待つと、
「あと十分くらいでお客さんが来るから、俺の部屋に居て。一時間もかからないから、トイレは我慢して」
「……分かった」
ーーただの指示が下りた。
うっかり溜め息を漏らしそうになるのを堪えて、椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩いて階段を上る。先にお手洗いを済ませて、臨也の部屋に入り、ドアを閉める。
「……来ても良いよって言ったくせに……」
成人男性の一人暮らしとはいえ、私物が少ない部屋を見回し、つい愚痴を漏らしてしまった。
確かに来ても良いよとは言ってくれた。仕事が無いとは言っていない。分かってる、けど……。
「はぁ……」
スマホを持ってきたけど、特にやりたいことはない。ベッドに歩み寄り、そのまま横になると、私の体重を受けたベッドが少し軋んだ。
「……寝ようかな……」
シーツから臨也の匂いがして、少し安心する。バイトの疲労もありすぐに睡魔に襲われて、それに抗うことなく瞼を閉じた。
「……なまえ……起きて、なまえ……」
「……ん……」
遠くから臨也の声が聞こえる気がする……でも、臨也はまだ仕事中だしな……。
そうぼんやりと考えながら目を覚ますと、臨也が側に居た。私はゆっくりと身体を起こして、眠気を取るために目を擦る。ベッドの端に腰掛けている臨也が私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「まだ眠そうだね。……仕事終わったよ。雨も上がったし、散歩して飯でも食いに行こうか」
「……人間観察……したいだけでしょ……」
「それは否定しないけど、なまえと一緒に居たいのも本当だよ?」
まだ思考が働いていないのと、先程まで相手をしてくれなかったことを思い出して、可愛くないことを言ってしまった。本当は誘ってくれて嬉しいのに。
そんな私の考えを見透かしたかのように笑う臨也は小首を傾げている。その様子が何だか可愛らしく思えた。
「……お寿司が良い。大トロ食べたい」
「そうだねぇ、じゃあ露西亜寿司にしようか。最近行ってないし」
「……うん」
遠回しに池袋に行きたいと告げると、それを理解して快諾してくれた。平和島君に会うかもしれないから嫌だって断られなくて良かった。
そうと決まれば、ゆっくりするのは勿体無い。私はベッドから下りて、少し乱れた髪や服をさっと整える。
「そんなに慌てなくても寿司は逃げないよ?」
「……、だって、せっかくのデートだもん」
お腹が空いて急いでいると思ったのか少しからかうように言われて、思わず否定しそうになったけど、少し迷ってから本音を漏らした。臨也は少しだけ驚いたような表情をした後に、柔らかな笑みを浮かべた。
「……そう、じゃあ早く行こうか」
「うん!」
一緒に臨也のマンションを出ると、臨也が言っていた通り雨は止んでいた。夕焼け空を見て、つまらないと思っていたことを思い出した。今はそんなことはない。今日は臨也のマンションに泊まって、あの大きな窓から新宿の街並みを見下ろそう。
◆170809
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