01
「ロシアで七番目に恐ろしいと言われている殺し屋がね……どうも、この国に来たらしいんだよ。なんでもとうとう向こうで身元がバレたらしくてね。過去に殺してきた連中の身内から追われるようになったらしい。ついでに、数年前にロシアのある組織から重大な秘密を持って逃げ出した二人組を始末するためにね。」
情報屋の男は、楽しそうに笑いながらそんな与太話を口にした。それを聞いていた女は醒めた目つきで部屋の書類を整理しており、殺し屋の話にもさして興味を示さない。
「一説によると、そいつは特殊部隊の一人や二人なら不意打ち無しでーーいや、仮に向こうに不意打ちされても殺し返せるらしいよ……って、聞いてる?」
「さあ。」
現実味が無いと受け取ったのか、それとも現実だとしても関心が無いのか、女はただ『へえ。』『ふうん。』と言った気の無い返事を続けていた。
話し終えた情報屋は、苦笑しながら首を左右に振り、同情するような言葉を掛ける。
「君は本当につまらない女だよねえ、波江。そんなんじゃ弟に振り向いてもらえないよ。」
「振り向いてもらえなくても良いわ。私は誠二の後ろ姿を見てるだけで満足だもの。」
「おや気持ち悪い。」
「あら、私は気持ち良いわ。誠二の顔を思い浮かべるだけで、誠二と同じ星の空気を吸ってると思うだけで幸せよ? 満足ではないけどね。」
途端に表情に恍惚とした笑みを浮かべ、殊更に気持ちの悪いことを言い出す女。波江と呼ばれた彼女はすぐに鉄面皮を取り戻し、自らの雇い主である男を窘めた。
「そういうあなたこそ、そんな漫画みたいな設定の殺し屋の話をしてどうしようっていうの? 首無しライダーや妖刀と関わってる内に感性まで漫画になったのかしら?」
「まあ、否定はしないけどね。」
爽やかな笑顔を浮かべながら、テーブルの上にある缶ビールに手を伸ばす。
「その、ある組織から逃げた二人組ってのはさ、黒人と白人って取り合わせらしいよ。」
「……。」
「今は、池袋で寿司屋をやってるらしい。まあ、そこまで殺し屋が知ってるのかどうかは分からないけどね。」
「……。」
波江は無言を貫いていたが、放っておいても話が終わりそうにないと判断して、溜め息を吐いてから面倒くさそうに口を開いた。
「……その話、なまえにはしたの?」
「したよ。『それじゃあ、もうあのお店のお寿司は食べられなくなるのかな……。』って寂しそうに言ってたよ。」
「……そう。あの子、ちょっとズレてるところがあるわよね。」
「まあね。そんなところも可愛いんだけどねぇ。」
思い当たる節がいくつもあるのか、少し呆れたように言う波江。臨也も同じように思いつつ、さらりと惚気てみせた。
「……で? そのなまえは? バイト中かしら?」
「今日はラストまでって言ってたよ。」
「少し気になっていたんだけど……あの子、結構バイトしてるわよね。生活には困ってなさそうなのに。」
臨也が缶ビールを飲んでゆっくりしているため、自分も少し休憩しようと波江は書類整理を中断することにした。キッチンに行き、温かい紅茶を用意して、元の位置に戻る。そして、ずっと聞こうと思っていたことを尋ねた。
「俺も別にバイトなんかしなくて良いよって言ったんだけど……それじゃ申し訳ないってさ。あとはまあ、此処が自宅兼事務所だから、俺に気を遣ったみたいだよ。」
「……そう。」
情報屋として働く臨也の元に多くの依頼主が訪れることも、取り巻きの少女達が訪れることも知っている波江は納得したように小さく頷いた。ずっと家に居れば、頻繁に会ってしまう。それを避けたいと思うのは当然のことだ。
「……せめて、自宅と事務所を分ければ良かったのに。」
「俺も後で思ったよ。あのときはなまえと二人で暮らすことしか考えてなかったから。」
そのときのことを思い出したのか、溜め息を吐く臨也。特にその話を聞きたいわけではない波江は慌てて熱いままの紅茶を飲み干した。それをキッチンに持っていき、中断した書類整理を再び始めた。
◆161128
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