帽子の中の幸福



「ずっと好きでした、付き合って下さい」


 目の前の女の子は顔を真っ赤にしてそう言うと、あとは制服のスカートの端っこを掴んで俯いてしまった。微かに覗く口元はきゅっと固く結ばれていて、ぷるぷる震える両の手と合わせて緊張の度合いを雄弁に伝えてくる。
 ひゅう、と冷たい風が俺達の間を通り過ぎていった。


「……ごめん、君の気持ちには応えられない」


 一呼吸の後に告げた言葉に、彼女ははっと顔を上げた。信じられないというような、けれどどこかで覚悟していたかのような複雑な表情。そこからハッキリ確実に読み取れるのは、多大なるショックを受けているということだけだ。

「……理由、訊いても、いいですか」
「もう結構噂になってると思うけど……俺はさ、今はあんまり恋愛のこととか考えられないんだ。何だか他人事みたいに思えちゃって。こんな気持ちで付き合うのも失礼だし」
「それでも!」

 俺の言葉を途中で遮り、彼女は思わず、といった感じで声を荒げた。胸の前で祈るようにぎゅっと握られる手がその必死さを表している。

「それでも、いいんです。試しでいいから、私と……付き合ってもらえませんか」

 震えは全身に拡がり、両肩をわなわなと揺らしている。細い脚は今にも崩折れそうで、目元には薄ら潤んでいた。

「駄目だよ」
「…………っ」

「試しに、なんて言っちゃ駄目だ。古臭いって思われるかも知れないけど、試しに付き合うとか試しに別れるとか、そういうのって軽々しくしちゃいけない行動だと俺は思うんだ。君の気持ちは、試されなきゃいけない程薄いものなの?」
「あ……」

 ぽろ、と彼女の眦から涙が一粒零れた。ポケットに入れていたハンカチを渡し、柔らかに微笑む。

「俺を好きになってくれてありがとう。きっと君には俺なんかよりもっと良い人が現れるよ」




* * *





「お前の行動全部に括弧書きで“但しイケメンに限る”って付けていい?」
「いいよ。俺イケメンだし」
「爆発しろ」

 昼休みの気怠い時間、いつものように俺と風介とで晴矢の席に群がって何とはなしに暇を潰す。そのうちに晴矢が退屈だから何か面白いことを言えと無茶振りをしてきたので昨日の放課後に呼び出された件について語ってやったところ、物凄く不機嫌な顔で睨まれた。確かに晴矢には縁のないシチュエーションだろうけど、あまり他人をやっかむのは良くないと思う。

「てめえ今なんかすげえ腹立つこと考えただろ」
「うん」
「認めんな!」
「否定したってどうせ怒る癖に」

 1人で喚いている晴矢の横で、風介は我関せずといった風に購買の苺ミルクを啜っている。紙パックの角がちょっと凹んでるけど、どこかにぶつけたりしたんだろうか。

「大体お前、その女子にあげたっつーハンカチも別の女子からの貰い物なんだろ」
「そうだよ。よく分かったね」
「ちったぁ悪びれろこの外道」
「どうせ持ってても使わないし、ただ捨てるより他の人にあげた方がいいじゃないか。エコロジーだよ」

 相手の子は喜ぶし、俺はゴミの処理が出来るしで良いこと尽くしだ。
 有り得ねぇ、とか世の中間違ってる、なんてぶつぶつ言ってる晴矢を尻目に、風介がぽつりと呟いた。

「……下手に贈り物をしたら、それを口実にまた近寄ってくるんじゃないのか」
「あ、それは大丈夫。一度きちんとお断りしてるんだし、あとは女の子達の方で勝手に牽制し合ってくれるから。なんか告白するのは一人一回までとか決まりがあるらしいよ?」
「つまり君は毎回違う女に告白されている訳か」
「そういうこと。さっさと打ち止めになってくれないかな」
「まだまだ難しいだろうな」
「だよねー」
「お前らおかしい。会話がおかしい」

 うちの学校は近隣でも有名なマンモス校だから、残念なことに女子の数も多い。別に女の子も嫌いじゃあないんだけど、誰だってこうも頻繁に呼び出されたら流石に辟易するだろう。

「晴矢も一度くらい四六時中張り付かれてみればこの鬱陶しさが分かるよ。無理だろうけど」
「そりゃ確かに大変そうだとは思うけどよ……っつうかいちいち喧嘩売ってんのかてめぇ」
「買う? 438円だけど」
「なんでそんな具体的なんだよ」

 ずずず、と風介のストローが大きな音を立てた。どうやら苺ミルクが底をついてしまったらしい。物足りなそうな顔で軽くなった紙パックを左右に振っている。

「まあまあ晴矢、あまりカッカしてたら頭のチューリップに障るよ。穏便にね」
「やっぱお前殴っていい? いいよな? ていうか殴らせろ」
「きゃ、南雲君ってば激しい」

 がた、と椅子から腰を浮かせて引きつった笑顔で俺の襟首を掴み上げる晴矢の腕を、風介の手が宥めるようにぽんぽんと叩いた。

「止めんな風介!」
「まあ待て。私にも殴らせろ」
「え、なにそれ。風介がそんなこと言うなんて珍しい」

 普段は俺が何しようがどこ吹く風なくせに。そもそも風介の気に障ることを言った覚えもないし。あれか、晴矢にちょっかい出し過ぎってことなのか。
 けれどそんな俺の想像を余所に、風介は不機嫌そうに苺ミルクの容器を握り潰した。

「折角購買で並んだというのに、パックの角が凹んでいた上に思ったより量が少なくてあっという間に飲み終えてしまった。むしゃくしゃするから殴らせろ」
「わあ暴君!」

 流石風介、理屈がまるっきりジャイアンだ。

「そういうことならこの抹茶ラテをあげるからさ、俺より晴矢を殴りなよ。そっちの方がリアクションが面白いよ」
「よし、歯を食いしばれ晴矢」
「待て待て待て待て」

 ラテを差し出した途端に風介はころりと標的を変えた。物分かりの良い友人で助かります。

 ところがその後、必死に首を振る晴矢を目掛けて飛んでいくと思われた風介の拳は俺の期待を余所にすとんと下ろされ、代わりにやれやれと言わんばかりの呆れた視線が寄越された。

「……晴矢を殴るのは後回しにするとして、いい加減にしろヒロト。人に八つ当たりをするな見苦しい」
「え、八つ当たりってどういうことだよ。ってか今まさにお前が八つ当たりしようとしてなかった? そもそもそこは後回しにするんじゃなくて冗談はさて置きって言うべきなんじゃないですか風介君」
「君はちょっと黙っていろこの鬱金香」
「そんなひどい」

 晴矢と漫才を繰り広げながら、風介は真っ直ぐ俺の目を見てそう告げた。……まさかバレてるなんて思わなかったな。相変わらず、風介は全く他人を見ていないようで目敏いんだから。やりにくいったらない。

「……なんで分かったの」
「まず438円という金額だな。あとその抹茶ラテ」
「お見逸れしました。……そこから気付かれるなんてね」
「分からいでか」
「おい、俺にも状況を説明しろよ。さっぱり分かんねえ」
「君も大概想像力に欠けるな。とどのつまり、こいつはリュウジに振られたんだよ。その憂さ晴らしに君を揶揄って遊んでいたんだ」
「……振られたって言うと語弊があるから止めてくれないかな」
「大差ないだろう」




* * *




 俺は今朝、コンビニで最近人気のスイーツを買ってきた。何日か前にネットで見かけて以来、緑川が食べたい食べたいと言っていたやつだ。俺が行くといつも売り切れてるんだよなー、と悔しがる彼の為に、わざわざ早起きをして。ついでに緑川の好きな抹茶ラテも買って、これをいいことに……いやいやこれをダシに……ええととにかく、これを持って一緒にお昼を食べようと考えていたのだ。そわそわしながら午前の授業を終え、昼休み開始のチャイムと同時にさて声を掛けに行こうと思ったら、何と当の緑川は煙のように姿を消していた。なんでも学校の近くに新しい定食屋が出来たらしく、そこに向かってしまったのだ。
 かくして俺の健気な行動は、全くの無駄になったのである。



「驚かせようと思ってギリギリまで隠してたのがいけなかった……。スイーツがあるよって初めに言っておけば絶対に釣れたのに」
「あー確かに、あいつ食べ物に弱いもんな」
「ちょっと何だい、さも自分が緑川を理解してるみたいな発言しないでくれるかな。消えろ」
「理不尽!」

 風介が機嫌良さそうに抹茶ラテを啜っている横で、俺は引き続き晴矢いじりに精を出していた。ああ苛々するムカムカする。緑川が一緒に食事に行った相手が相手だから余計に腹が立つ。

「何でよりによって三浦君と行くかな。俺を誘えば何処へでもついて行くのに」
「三浦? ああ、大夢のことか。そりゃ誰だってお前のことなんざ誘いたくねえよ」
「黙れ植物」


 大体緑川も緑川だよ。あの鈍感っぷりは幾ら何でも酷いと思う。一体俺が今までどれだけアプローチしては気付かれずに玉砕したことか。でも時々ペンギンのグッズをわざわざ買ってきてくれたりするのは嬉しい。勿論ペンギンだから嬉しいという訳じゃない。緑川が俺に贈り物をしてくれるということが重要なのだ。


「結局そのスイーツとやらはどうしたんだ?」
「やけ食いした。値段の割に甘ったるいしそのくせフルーツが若干苦味があるしで最悪だね」
「君は元々甘いもの嫌いだからな」
「勿体ねえの」
「何とでも言ってくれ。ああ、今の俺は世界一不幸だ。神様はなんでこんなに俺に試練を与えるのかな。俺が二物も三物も持って生まれてきてしまった所為かな。イケメンでも頭が良くても運動神経抜群でも、緑川が振り向いてくれないんじゃ何の意味もないのに」
「「爆発しろ」」

 
 二人からは物凄く冷めた目で見られてるけど、今のは正直言って俺の本心だ。俺は本当に、緑川さえ居てくれればそれでいいのに。他の子からの好意なんて要らない、緑川の心だけが欲しいのに。
 大きくため息をついた頃、廊下からパタパタと誰かが走る音が聞こえてきた。そんなに焦らなくても予鈴まではまだ余裕がありますよ。



 と思っていたら。







「ヒロトっ!」
「え、緑川っ?」

 入り口の戸を勢い良く開け、飛び込んできた鮮やかな新緑色のポニーテール。
 足音の主は話題の中心である緑川本人だった。右手に小さなコンビニのビニール袋を下げて、とてとてと小走りに俺の方へ駆け寄って来る。少し上がった息と紅潮した頬が堪らなく可愛い……じゃなくて。

「お前大夢と外にメシ食いに行ってたんじゃねーの?」
「ん、行ってきたよ。ただちょっと早くに食べ終わっちゃったから、コンビニ寄って帰ってきた」
「ほう。で、この馬鹿に何か用か」
「用って言うか……あ、風介抹茶ラテ飲んでる。それ美味しいよね」
「ああ、結構気に入った」

 唖然としている俺の目の前で、緑川は晴矢達とほのぼの会話を交わしてる。俺を差し置いて緑川と話すとか何様だ。晴矢マジ毟る。

「それでさヒロト、……何怖い顔してるんだ?」
「あ、いや、何でも。なに?」
「ほら、これ!」


 緑川は目をキラキラさせて、袋から何やらごそごそと取り出した。その掌の上にあるのは、俺が先刻やけ食いしたもの。小さなプラスチックケースに詰められた、ストロベリーにラズベリーにブルーベリーなどの色とりどりのベリーが彩るシャルロット。

「……これは、」
「さっき寄ったコンビニでようやく買えたんだ! 美味しそうだろー!」
「あ、うん」
「お前それ二つあるじゃねーか。二個も食う気かよ」
「ちっがうよ! これはほら、ヒロトの分!」
「えっ……」

 手を取られ、はい、と渡された。

「この間数学の予習手伝ってもらっただろ? そのお礼だよ。もう昼休み終わっちゃいそうだから、よかったら後で一緒に食べようよ。部活始まる前にさ。今日はそんなに気温高くないから放課後までなら教室に置いといても大丈夫だろうし」

 そう言ってにっこりと笑うと、緑川はじゃあねと手を振るとまた小走りに駆けていき、自分の教室へと戻っていってしまった。俺はシャルロットを手に呆然としたまま、ただその背中が消えた先を見つめる。



 えっと、あれ、えええええ!!?


「良かったじゃないか。結果オーライだ」
「……ああ、うん」
「あれ、でもお前さっき最悪だったとか言ってなかったか? 無理して食うのも身体に悪いし良かったら俺が代わりにげふっ!!」

 横でごちゃごちゃと余計なことを言っている有皮鱗茎植物の腹部に蹴りを叩き込んで黙らせ、掌の上に乗った幸せをゆっくりと瞬きしながら噛み締める。つい数分前までは憎らしくて仕方なかったちっぽけな菓子が、今や天上から賜った至高の一品の如く神々しい。

「ねえ風介」
「何だ」
「今の俺は世界一幸せだ」
「そうか」
「幸せすぎてどうにかなりそうだよ、どうしてあんなに可愛いのかなあの子は! 神様はやっぱり俺を見捨てなかった、それどころか素晴らしい幸福を授けてくれたよ!!」



 ああ、今すぐ時が加速して午後の授業なんて吹っ飛んでしまえばいいのに。そわそわと昼休みを待っていた午前中の何倍も、放課後が待ち遠しくて仕方が無い。

 そうこうしている内に丁度予鈴が鳴ったのでいそいそと着席する。風介もやれやれ、と言った風に自分の席に戻っていった。


 なんか足元から誰かの呻き声が聞こえた気がしたけど、まあいいや。








end.





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