Baby Daisy Crazy ※吹雪・風丸・緑川が女体化 ひとつ、悩みがある。 人によっては「そんなことで悩むなんて」と怒りを通り越してマジギレされそうな内容ではあるのだけど、私にとってはものすごく重大な悩み。これのせいで毎日毎日憂鬱な思いをしているのだ。 即ち、それは。 * * * 「今日もでっかいな」 「ああ、でかい」 「ほんと目の保養だよ」 教室に入った途端、そこかしこから送られる視線。本人達は気付いていないのかも知れないけれど、そのセクハラまがいの呟きはちゃんと届いてるんだからな。ああもうほんとやだ。 溜め息を吐きながら席に着くと、後ろからくすりと笑い声が聞こえた。クラス内でも特に仲の良い友人・吹雪だ。 「おはよーリュウちゃん。今日も注目の的だねえ」 「吹雪、お前面白がってるだろ」 「んー、まあね。だってリュウちゃんほんとおっきいし」 「好きででかくなったんじゃないよ……」 「他人からしたら羨ましい悩みじゃないの? 中学生ではなかなかいないよ、Fの65」 「羨ましいのなら今すぐ代わってあげたいよ」 そう。 私の悩みとはそのものズバリ、胸がでかすぎること。 小学校低〜中学年までは実に標準的な体型だった私は、五年の中頃に初潮を迎えてからというもの、たちまち胸囲が驚異的に成長してしまったのだ。牛乳を飲んだ訳でもバストアップ運動をした訳でもないのに。 中学に入学した時には既にEを超え、成長を続けて現在はとうとうF。お陰で伸縮性のある体操着はまだしも制服のサイズがどうしても合わず、背丈に合わせると胸元が苦しく、胸に合わせると袖がだぼだぼになったりして四苦八苦した。最終的には特注することで何とか落ち着いたけれど。 中学生なんてただでさえ性に敏感なお年頃なのに、こんな身体になってしまった私は当然ながら男子のいやらしい視線に晒される日々を送る羽目になった。体育の授業なんてちょっと動くだけで歓声が上がったりして、正直ひどい羞恥プレイだ。公開処刑だ。女子も女子で更衣室では好奇の眼差しを送ってくるし、いっそ堂々としてくれればこちらとしても楽なんだけどな。 一部の意地悪な女生徒たちによる体型をネタにした嫌がらせは吹雪やいっちゃんが撃退してくれたのでもう表立っては無くなったけど、どうせ今でも陰では色々言われているのに決まっているのだ。実は手術で大きくしたとか、身体をウリに見知らぬおじさんとお付き合いしてお金を貰っているんだとか。 ああ、私も吹雪みたいに丁度良いサイズの胸が欲しかった。平均より少し大きいかもってくらいの、形の良いBカップ。或いはいっちゃんのようにAでいいからすらっと整ったスマートな身体。 「あれ、ところでいっちゃんは?」 「朝練だって。陸上部の大会が近いらしいよ」 「ああ、そういえばそんなこと言ってたっけか」 いっちゃんことクラスメートの風丸は陸上部女子のエースで、美人で面倒見もよくてサバサバしてて、男女問わず人気者だ。おまけに幼なじみでサッカー部キャプテンの彼氏持ち。先生からも評判いいし、リア充って絶対いっちゃんのことを指す言葉だよ。 「もうすぐ練習終わるだろうし、迎えに行こっか。どうせ教室にいてもやることないでしょ」 「そだね」 一限はさほど予習の必要がない科目だし、吹雪の誘いを無碍にすることもないだろう。何よりこのままここにいても息が詰まる。 「リュウちゃん、ひょっとして今日ってあの日?」 「……当たり」 「だから余計にナーバスなんだぁ」 ああもう。女って不便なことばっかり。 渡り廊下をお喋りしながらぺたぺた歩いて部室棟に向かう。今日は雲ひとつない……とは言えないけれどなかなかの天気で気温もそこそこある。制服の上に着ているカーディガンを少し暑く感じてしまうくらいだ。けれど夕方からは急に冷え込むってテレビで言っていたから、まあ着ておくに越したことはないと思う。 「そう言えばさ、リュウちゃんの幼なじみの先輩いるじゃん、一個上の。八神先輩だっけ? あの人も凄くおっきいよね」 「ああ、玲名ちゃんのこと? 玲名ちゃんは特別だよ、モデルやってるんだし。背も高いし足も長いし、大人顔負けの美人でさ、何ていうかこう……似合ってるもん。バランス取れてるっていうかさ」 中学生には不釣り合いな体型も、玲名ちゃんには相応しいと思えてしまう。 玲名ちゃんと私は家が近いのと親同士が知り合いなお陰で、うんと小さな頃からよく一緒に遊んでいた。玲名ちゃんは私のことを実の妹みたいに可愛がってくれて、私自身も彼女を姉と慕っていた。モデルの仕事が始まってからはあまり遊べなくなったけど、今でもそれなりに交流がある。 ただ当然ながらそんな玲名ちゃんは学校内では凄まじい程の人気なので、普段は迂闊に近付くこともままならない。ファンを自称する生徒たちに何されるかわからないし。本人はそういうの、めちゃくちゃ迷惑がってたけど。 「私は玲名ちゃんみたく美人でもないし、足も短いし……なんていうか、アンバランスなんだよ。神様が胸だけ他人のパーツ付けちゃったんじゃないかって感じ」 「そんなことないと思うけどなぁ、リュウちゃん可愛いじゃない。それにほら、こういうのってギャップ萌えってやつじゃない? ロリ巨乳とかなんとかさ。とりあえず人気あるんだよ」 「そんないかがわしい感じの人気なんて嬉しくないよ……。でもまあ、ありがと」 内容はどうあれフォローしてくれたことには素直に感謝しておく。吹雪は吹雪なりに気遣ってくれてはいるのだ、これでも。 「それでその八神先輩って言えばさ、基山先輩と付き合ってるって噂、本当?」 「あー……よく聞くよねその話。一度訊ねてみたら物凄い勢いで否定されたよ。あんなのと付き合うくらいならゴキブリと結婚するって言ってた」 「すごい否定っぷりだね」 玲名ちゃんは最近よくサッカー部の基山先輩と一緒にいる。基山先輩は全国トップレベルのうちの学校のサッカー部で常にスタメン入りしていて、おまけに頭も良くて美形でお金持ち。他人が羨む要素をこれでもかってくらいに持ってる人だ。玲名ちゃんの隣に立つ人としても申し分ない。けれどあれだけ嫌がられてるってことは、実はすっごく性格が悪い人なのかな? 玲名ちゃん自身はちょっと男嫌いっていうか、本人が漢前すぎてそんじょそこらの軟弱な男子なんて得意の合気道で吹っ飛ばしちゃうような子なんだけど、それでもあの拒否の仕方は異常な気がする。でも噂に聞いたところだと、基山先輩ってすごく優しくて紳士的らしいってことだったけどなあ。百聞は一見にしかず、実際に話してみないとこればっかりは分からない。 そうこうしているうちに、私達はもう部室棟の目の前まで来ていた。ここは関係者以外は立ち入り禁止……とまではいかないけど、やっぱり無断で入ることは躊躇ってしまう。大人しくいつも通りに入口付近でいっちゃんを待つことにする。 「あーでもそっか、八神先輩と基山先輩はデキてるわけじゃないんだあ。つまんないの」 「つまんないって……他人の恋愛事情なんて別にどうでもよくない?」 「そう? 僕は結構好きだよ、こういう話。リュウちゃんは誰か好きな人とかいないの?」 「いないいない。みんなやらしい視線ばっかり寄越すんだもん」 正直この手の話題は苦手だ。下手に吹雪に食い付かれる前に、早々に話を切り上げようとしたその時、突然バタバタと忙しない足音が部室棟の中から響いてきた。誰かが全速力で、走ってる……? 思わず目線をそっちに送った瞬間、視界に鮮やかな赤が飛び込んできた。 「あっ……!!」 「へっ?」 「わ」 向こうの焦ったような声と、自分の間抜けな声。それから吹雪の驚いてんだかなんだかよく分からない声と。正しく認識できたのはそこまでだった。 次の瞬間にはもう、私は強い衝撃と共に床に仰向けになってひっくり返っていた。頭はそんなに痛くないけど、背中をちょっと打ったみたいで少し息苦しかった。 苦しいと言えば、なんか。さっきから胸が苦しい……重い? いやいつも重くてウンザリしてるけどこれはもっとこう、別の……上に何か乗ってるみたいな重さ。 段々落ち着いてきた頭で現状を確認してみると、眼前の空間の殆どが赤色で占拠されていた。私の胸元に丁度顔を埋める形で俯せになり、ぴくりとも動かないその人は。 「き……やま、先輩……?」 目を見張るような赤い髪に、微かに覗く透き通る白い肌、耳の上あたりで少し跳ねた髪型、それから衝突する直前に見たその顔。全部が全部、ついさっきまで話題にしていた人物の特徴を示していた。 「リュウちゃん、大丈夫ー?」 「あ、私は平気。でも……」 基山先輩、さっきから全然動かないんだけど。どっかぶつけちゃったのかなぁ。この体勢だとどう考えてもぶつけるとしたら私の方だと思うんだけどな。 「あの、だいじょぶ、ですか……?」 「…………っ」 私の呼び掛けに、むく、と基山先輩は顔を上げた。真紅の前髪と、その向こうにある瞳とのコントラストがすごく綺麗だ。何て言うんだっけ、こういうの。普通の緑よりも深くて透明感のある色。翡翠色だっけ。肌が白いから色彩がより一層際立っている。 整った輪郭、涼しげな目元、男性にしては長い睫毛にすらりと筋の通った鼻。柔和な顔立ちなのにどこかミステリアスな雰囲気を纏った基山先輩の美貌をこうも間近で眺める羽目になって、私はその視線に射竦められたように言葉を失ってしまった。 やがてその薄い唇が小さく笑みを形取り、思わず心臓がどくんと跳ねた。 「ごめんね、急いでたものだから前を確認してなかったんだ。怪我はない? リュウちゃん」 「あ、はい、私は大丈夫です……ってか、え、名前……?」 「緑川リュウちゃん、だよね。玲名の幼なじみの」 「はい、そうですけど……」 あ、玲名ちゃん経由か。そうだよね、じゃなきゃ基山先輩が私のことを知ってる訳ないし。 てゆか、あの、顔近い。 「よかった。君を傷付けたりしたら玲名に本気で殺されるとこだった」 「あ、はは」 冗談だとは分かっているけど、玲名ちゃんならやりかねないかも。 「あの、それより基山先輩はどこかぶつけたりとかはしてませんか?」 「俺? 平気だよ、むしろありがとうって言いたいくらいかな」 「???」 なんかよくわかんないけど感謝された。でもあの、いい加減どいてくれないかなぁ。この辺は人気がないからまだ大丈夫だけど、いずれ朝練を終えた色んな部の人達がやってくるだろうし。万が一女生徒にこんなところ見られたら、私は本気で学校に来られなくなる。 いつの間にか吹雪は少し離れたところでにこにここっち見てるし。助けろ。 「あの、基山先輩、そろそろ……」 「リュウちゃんこそ、俺のこと知っててくれたんだ。嬉しいな」 「いやまあ有名人ですし」 「一度君と話をしてみたかったんだ。玲名からよく聞いてはいたけど、こうして見ると思った通り……いや、思った以上に可愛いね」 「はいぃ!?」 この状況でそんなことを言いますか。だから顔近い! もう鼻と鼻がくっつきそうなんですけど! これ傍から見たら私が基山先輩に押し倒されてるも同然じゃないか。っていうかむしろ本当にそうじゃないか。 ああでも、こんな状況なのに、噂に違わぬ基山先輩の綺麗な顔に見つめられて身体が全然動かせない。何の呪いだこれは。 「き……やま、せんぱ……」 「ねえ、リュウちゃん。よかったら俺と……」 「……俺と、なんだって?」 絶賛押し倒され中の私の耳に、よく聞き慣れた……けれどめちゃくちゃ怒っている声が降ってきた。元々少し低めの声ではあったけど、今はまるで地獄の底から湧き上がるような超絶低音。気の弱い人間ならこの声だけで震え上がってしまいそう。 現にさっきまでイキイキしていた基山先輩の表情が、凍りついたように固まっている。先輩はそのままギギギと油が切れた人形みたいに振り向いて、元々真っ白な肌を更に白く……というか青くした。 「や、やあ玲名。今日も美人だね」 「それはどうも。ところでヒロト、貴様は何をやっているんだ?」 腕を組んで仁王立ちになった玲名ちゃんはまさに修羅の像。美人が怒ると怖いっていうのはよく聞くけど、彼女の場合は怖いなんてもんじゃない。 「あ、ちょっとね、俺の不注意でリュウちゃんを転ばせちゃったものだから、怪我をしていないか確認をね」 「ほほう。貴様、私から逃げ回って走っている間に、よりにもよってリュウにぶつかったのか」 「うん、だからね、こうして無事かどうか確かめてて」 「私にはお前が運良くリュウを押し倒したのを良い事に、そのまま襲おうとしていたようにしか見えんがな」 「いやいやそんなまさか。俺はただ、玲名がいつも言ってるリュウちゃんがどんな子なのか気になってだね」 「そうか。私が言った通り可愛いだろう。それはそうと、そろそろ覚悟はできたか?」 「や、あ、ちょっと待っ……」 「消え失せろ、この変態が!!」 相変わらず私の上に覆い被さったままだった基山先輩の襟首を掴み上げると、玲名ちゃんはそのまま問答無用に投げ飛ばした。大きく弧を描いた美しい一本背負い。ああ玲名ちゃん、今の貴女なら世界を狙える。それ程見事に決まっていた。 基山先輩の身体は2、3度バウンドして床に打ち付けられ、くぐもった声が聞こえたかと思うとそのままぴくりともしなくなった。玲名ちゃんはそんな先輩の身体を男らしく片手で担ぎ上げ、ふん、と荒く息をつく。 そしてくるりと振り返ったその表情はもう、いつも私に向ける優しいそれに変わっていた。相変わらず仰向けに倒れたままの私の手を取り、気遣うようにそっと起き上がらせてくれる。……基山先輩を担いだまま。 「大丈夫か、リュウ? こいつに何か不埒な真似はされなかったか?」 「あ……うん、平気」 「そうか、ならいい。後でよーく手を洗っておくんだぞ、それからうがいもだ。きちんと殺菌しなければ危ないからな」 ねえ玲名ちゃん、先輩は黴菌か何かですか。 「そっちのお友達も気をつけて。何か困ったことがあったら私に言ってね」 「あっ、はーい。ありがとうございますー」 ぺこりと頭を下げる吹雪を一瞥し、玲名ちゃんは気絶した基山先輩を連れてその場を立ち去ってしまった。 上半身を起こしてもらいはしたけれど、何となくそのまま床に座り込んで、私は二人が去った先を見つめていた。何だか一気に色々おかしなことが起こりすぎて感覚がついてきていない。 そこへ丁度、がやがやと人の声が響いてくる。朝練を終えた陸上部の人達が部室に戻ってきたらしい。先頭を歩いていたいっちゃんが私たちを見つけて駆け寄ってきた。 「おーい、二人とも! 迎えにきてくれたのか?」 「そーだよー。お疲れ様、いっちゃん」 「ああ! 悪い、つい宮坂と話してたら遅くなっちゃって……。っていうか、リュウはなにやってんだ? 床に座り込んで」 「ちょっとね。ああ、勿体無い。勿体無いよいっちゃん。もう少し早く来てくれたら、きっとすごく面白いモノが見られたのに」 「??? 何かよく分からないけど、とりあえず教室行こう。授業遅れちゃうぞ」 「そだね。ほらリュウちゃん、立って」 「……うん」 疑問符をいっぱい浮かべるいっちゃんと心底楽しそうにしている吹雪に促されて立ち上がり、のろのろと教室棟へと足を進める。ふと視線を落とすと、胸元に揺れる制服のリボンタイが少し歪んでしまっていた。 歩きながらしゅるしゅるとリボンを解いてもう一度結び直す間、頭の中ではさっきの基山先輩の顔がずっとちらついて離れずにいた。あの赤と翠の鮮やかな色彩。陶器みたいに滑らかな肌。 話に聞いていたよりもずっと綺麗な人だった。……ずっと変な人でもあったけど。 「……あれ?」 「どうかした、リュウ?」 「どこか痛むの?」 「あ、ううん。何でもないよ」 うん、きっとそうだ。 さっきまで基山先輩の身体が乗っかってたせいで押し潰されてたから、きっとそれが原因。 或いは、また成長の兆しなのかもしれない。やだなあ、こないだ買い換えたばっかりなのに、また新しい下着を買いに行くだなんて。 基山先輩のことを考えてたら胸が苦しくなっただなんて、きっとそのせいだよ。ね? 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