海石榴を唄って




※キャラ崩壊著しいです





 今日の仕事も中々大変だった。我が儘な監督に我が儘な共演者。監督は偏屈だけどその分腕も確かな人だからまだいいとして、問題は共演する女優のほうだ。
 完全な親の七光りでのし上がってきたそいつは、話題性が欲しいマスコミとスポンサーの威を借りて無理矢理今の役をもぎ取った。流石の頑固監督もスポンサーの意向には逆らえず渋々それを受諾したが、演技力なんてまるでないその女優のせいでスタジオでは毎日怒号が飛んでいる。とどのつまり監督と女優が毎日衝突しているわけだ。主演である俺は完全に間に挟まれる立場にあり、双方の機嫌を取りつつ滞り気味な撮影スケジュールをこなすために走り回る日々。合間合間に雑誌のインタビューなどにも答えなければならず、ハッキリ言ってもうクタクタだ。いくらじゃじゃ馬の扱いに慣れているとは言っても限界がある。
 そのじゃじゃ馬がいるはずの自宅のマンションに帰ってくるのも随分と久し振りで、ピッという無機質なカードキーの電子音がやけに懐かしく思えた。



「ただいま、リュウジ」
「ん〜? ヒロトだ、おっかえり〜」

 出迎えてくれたのは不自然に陽気な声だった。どう考えても酔ってるなこれは。
 リビングの中央に置かれたソファに寄りかかり、電気も付けずにけらけら笑っているリュウジの足元にはいかにも高級そうな酒壜が転がっている。どれだけ飲んだんだ。

「このお酒は?」
「あ、それな、今日のお客さんがくれたんだ〜。すっごく美味かった!」
「……そりゃそうだろうね」

 壜に貼られたラベルを見た俺は一瞬眩暈を覚えた。ロマネ・コンティにクリュッグのクロ・ダンボネ……。どちらも一本最低数十万は下らない、その存在自体が語り草になるような超高級ワインとシャンパンだ。こんなコンビニの安酒みたいな飲み方をしていい代物では決してない。

「リュウジ、今日のお客さんってどんな人だったの」
「えっと、すごく高そうなスーツ着てて、すごく高そうな時計してて、すごく良い匂いのする香水つけてて、すごく紳士的なおじさんだった。あっちの方は激しかったけど」
「……最後の情報は要らないよ」

 微妙にむかっ腹を立てつつリュウジの隣に腰を下ろし、少し思考を巡らせる。話を聞く限りいかにも危ない感じの人では無さそうだけれど、世の中にこにこ笑いながらとんでもないことをしでかす人間なんていくらでもいる。用心しておくのに越したことはないだろう。
 リュウジは良くも悪くも自由で奔放だ。それ故そんな彼に魅せられて、本気で熱を上げる客も少なくないのだ。この御時世に男娼を指名する人間なんてどう考えても一般的なお仕事をしている訳がない。一体過去に何度その手のトラブルに巻き込まれそうになったことか。
 我知らず眉間に皺が寄り、深いため息をついてしまった。

「あれ、ヒロト疲れてる?」
「……まあね」
「撮影うまくいってないんだっけ」
「そ。共演する相手が誰かさんそっくりな我が儘な奴でね」
「へえ。誰のことだろ」

 リュウジは何食わぬ顔でそう言うと、急に俺の顔を引き寄せて唇を奪ってきた。仄かなアルコールの匂いが鼻腔をくすぐる。入り込んでくる舌に一瞬不意を突かれたけれど、すぐに応えて自分のそれを絡める。唾液が交わる水音が暫くの間リビングに響いた。

「……ん、」
「は……っ、ぅん」

 つう、と引いた糸を舐めとり、リュウジは妖艶に微笑んだ。男の性を刺激することに慣れた娼婦の笑みだ。今の口付けと合わせて下半身に熱が集中していく。身体の芯がずくん、と疼いた。

「もうキスは済ませたのか? その相手と」
「ラブシーンは一昨日撮り終えたよ」
「俺とどっちが上手い?」
「そんなの聞くまでもないだろ。狡いな、リュウジは」
「なにが?」
「俺と客とどっちが上手いかって訊いたら怒るくせに」
「だってヒロトは誰とでもキスする浮気者だから。俺より上手い人に乗り換えないようにチェックしないと」
「……人を節操なしみたいに言わないで欲しいな。確かに他人とキスはするけどそれは仕事上仕方のないことだろ? 別にリュウジ以外の誰かと寝ることはないし。そもそも俺としてはリュウジが俺よりセックスの上手なお客さんと逃げちゃわないかって毎日心配なのに」
「セックスの上手下手なんてどうでもいいよ。それよりも俺はヒロトとするキスのが大事」
「……ふうん」

 ここがリュウジの不思議なところだ。曰く、一度のセックスより一回のキスの方がずっと価値があるんだとのこと。
 男娼としてその身体を売るリュウジではあるけど、どういう訳かキスだけはどんな常連相手にも絶対にさせない。本人の言を信じるなら、今のところ唇を許されているのは俺だけだ。……口淫はいくらでもするらしいから、喜ぶべきところなのかどうかは分からないのだけど。

「ん〜……」
「こら、爪伸びてるんだから駄目だよ」

 眠気が訪れたのか、指先で目を擦り始めたリュウジを制止し、その手を取って額や瞼、頬に口付ける。最後に音を立てて唇にキスをすると、睡魔と酒精で潤んでいた瞳が更に蕩けた。それがあんまり可愛いので、子猫をあやすように喉を撫でてもう一度唇を重ねた。このままではキリがないので、名残惜しさを感じつつも頬を一撫でしてソファから腰を上げる。

「じゃあ、俺は風呂入ってくるから。リュウジは先に休んでて」
「えー、一緒に入ればいいじゃん」
「駄目。処理しなきゃいけないから。さっき誰かさんがあんな刺激的なキスをしてくれたもんだから反応しちゃったし」

 先刻からスラックスの下の自己主張が半端ないことになっている。いい加減なんとかしないと結構辛い。
 けれど現状を確認したところでリュウジはご不満らしく、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「余計分かんない。これからえっちするってのに何で自分でする必要があるんだよ」
「今日はしません」
「えー! なんで!?」

 ぷくー、と頬を膨らます仕草があんまり似合ってて、一体お前は何歳だと突っ込みたくなる。そしてそんな可愛らしい様子を見るだけでも、俺の劣情はどんどん肥大化してしまう。ああもう本当にかなりヤバい。

「言っただろ、撮影たてこんでるんだ。明日も朝早いんだから今日は出来ないよ」
「一回くらいなんとかなるだろ」
「一回で止まりそうにないから言ってるの。じゃなきゃとっくに抱いてる」
「……あ、そ」

 だからなんでそこで赤くなる。しかもちょっと恥ずかしそうに指先をいじるとか、セックスには手馴れているくせに、こうして直球で求められると照れるだなんて反則だ。
 
「じゃあ、そういうことだからおやすみ。明後日には少し時間できそうだから、そのときにね」
「あ、待って。ヒロト」
「……何?」
「えっと、提案なんだけどさ」

 バスルームに向かおうとした俺の服の裾を掴み、リュウジが上目遣いに見上げてくる。だからやめてよねそのアングル。下半身に非常によろしくない。
 ところが次の瞬間、もっとよろしくない発言がリュウジの口から飛び出したのだった。





「あのさ、俺がしてあげよっか。……口で」





* * * 





 流石と言うか何と言うか、リュウジの手際は非常によかった。一瞬反応を返せずに固まった俺をもう一度ソファまで引き寄せると、殆ど押し倒す勢いで仰向けに寝かせ、下を脱がせる。カッターシャツ越しのカラードウールの感触に我を取り戻したときには、既にリュウジはその小さな口に俺自身を含んだ後だった。

 そこからはリュウジの独壇場だ。裏筋や括れを舌先で執拗に攻めたかと思えば、口いっぱいに頬張って激しくスロート。根元の方を唾液で濡れた指で絡めとるように擦り、時折熱を孕んだ瞳で見上げてくる。

「くっ……あ、はぁ……っ」
「んぅ……、ひもひいい? ひおほ」
「気持ちいい、からっ……、そこで、喋んないでっ……っあ!」

 先端を甘噛みされたところで限界がきた。吐き出された俺の熱はリュウジの口元や頬を汚してしまい、それをリュウジはうっとりとした表情で舐めとった。赤く熟れた舌が何とも言えず艶めかしい。

「ふふ……あっつい」
「…………っ」

 仕上げとばかりに先端に付着したままの残滓を吸い上げ、軽く口付けた。俺は解き放たれた快楽の余韻に陶酔するように息を吐き出し、瞑目する。
 生業にしているだけあって、やっぱりリュウジはフェラチオが上手い。勿論フェラだけでなく、ありとあらゆる性行為に長けている。今更ではあるけれどその事実にじりじりと焼けつくような嫉妬を覚える。
 本当はいつだってそうなのだ。リュウジの身体に俺以外の誰かが触れていると思うだけで気が狂いそうになる。俺はリュウジのことが好きで、リュウジも俺が好きだと言ってくれる。けれどリュウジは決して仕事を辞めようとはしない。リュウジの身体を抱く度、その嬌声を耳にする度に。俺ではない誰かに穿たれるリュウジを想像しては、心臓に焼きごてを押されたような痛みを覚える。

 俺に好きだと告げるリュウジの言葉が真実なのか偽りなのか、本当は問い質したくて堪らない。

 けれどそんなことを言ってしまったら、束縛を嫌うリュウジはきっと俺の元を離れてしまうだろう。だから言わない。TVの画面や映画館のスクリーン、雑誌のページの向こうにいる何万人のファンよりも、俺はリュウジただ一人が欲しいのだ、本当は。
 こんなことを考えるだなんて、役者失格だと分かっていても。


 そんな俺の胸中など知らず、リュウジは先程の艶めかしさが嘘のような無垢な表情で微笑みかける。

「どう? すっきりしただろ?」
「お陰様で。……ああもう、何で明日も仕事あるんだろ……」

 いつもならこのままリュウジの肌を堪能して、リュウジの中に入って、程良く熟れた熱を感じながら幸せを満喫できるのに。

「しないって言ったのはヒロトだからな。もうこれ以上はサービスしないよ」
「分かってる。ていうか俺もう限界……。疲れた、眠い……」

 ガラステーブルの上に置いていたウェットティッシュで顔を拭うリュウジを尻目に、おぼつかない手付きで衣服を整えると俺はそのままソファに沈み込むように目を閉じた。元々仕事による疲労が重なっていたところに更に吐精の疲労が上積みされ、一気に睡魔が押し寄せてきたみたいだ。さっきまで眠そうだったリュウジは今じゃ全然そんなことはなさそうなのに。そういえばいつの間にか酔いも醒めてるみたいだし……、……。

「ちょっと、ここで寝る気かよ? ベッドで寝ないとちゃんと身体が休まらないだろ」
「無理……眠い。おやすみ……」

 一度閉じてしまった瞼は接着剤でも塗られたみたいに開かない。薄れゆく意識の中で、リュウジが嘆息したのが聞こえた気がした。





 やがて少し頭を持ち上げられる感じがして、空いた隙間に何かが差し入れられた。枕にしては少し固い、ような……?
 額に掛かる前髪を払われて、柔らかくて温かいものが触れる。まるでそう、唇みたいな。そのまま頬を撫でられ、髪をゆるゆると梳かれる。その感覚がとても心地良い。
 ああそうか、俺はもう眠ってしまって、今は夢を見ているんだ。随分と都合の良い夢だ、まさかリュウジに膝枕してもらう夢だなんて。


「ヒロト」


 唇を落とされながら、とても愛おしそうに名前を呼ばれて。好きだよと囁かれるだなんて、なんて幸せな夢だろう。





end.


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