キャロット・キャロット・キャロット



 急にドロップが食べたくなって、夜だと言うのに近くのコンビニまで足を延ばして買ってきた。しかもたくさん。
 ドロップと言っても、映画に出てくるようなレトロな四角い缶に入っているものに限った訳ではなく、一般的に飴玉と呼ばれるもののこと。そもそもドロップはハードキャンディと呼ばれる飴の種類の一種で、砂糖や水飴などの原料を煮詰めて冷却し、型で抜いたものをみんなドロップと呼ぶ。ちなみにソフトキャンディとして代表的なものにはキャラメルやマシュマロなんかがある。
 まあそんなどうでもいい豆知識は置いといて、俺は早速買ってきたドロップの袋をひっくり返し、中身を全部ベッドの上にぶちまけた。そして選定の作業に入る。袋詰めにされていたドロップ達は更に一粒一粒が小さな袋に包まれていて、触れる度にカサカサと音を立てた。

「これと、これと……あとこっちも」

 たくさんのドロップ達を、ある一定の法則に従って二つのグループに分けていく。ふんふんと鼻歌を歌いながらその作業に夢中になっていたら、がちゃりとドアノブを回す音がしてヒロトが部屋に入ってきた。

「緑川、……何してるの」
「んー? 見て分かんない?」
「全く」

 ヒロトのやつ、想像力が無いなぁ。俺だったら一発で分かるのに。多分だけど。俺は首を傾げるヒロトを無視して作業を続ける。よし、あと一つ……。 
 最後の一粒を手にしたところで、その手をひょいと掴まれ引き寄せられた。

「……キャンディ?」
「ぶー。正確にはドロップです。言葉は正しく使いましょう」
「はいはい。で、そのドロップを散らかして、お前は一体何をしてるんだい」
「もー鈍いなあ。よく見ろよ」
「見ろったって……」

 りんご、パイン、ぶどう、レモン、もも、ハッカ、エトセトラ。色とりどりの飴玉の中で、とある条件下に従って隔離された一角。そこに集められた、特定の色のドロップたちにヒロトは漸く目を留めた。

「……あれ」

 ぱちくりと瞬きするヒロト。どうやらやっと気付いたらしい。こいつは回転が速いようで意外とそうでもないとこがあったりするんだよな。
 口元を手で覆って、すこし照れたような表情。おお、予想以上の反応だ。なんだかしてやったりな気分。

「全くさあ……ホント、緑川にはかなわないなあ」
「へ? 何が」
「こういう可愛いことさらっとやられたらそう思うよ、普通」
「なにそれ」

 俺からしてみれば、お前のように好きなものを好きとはっきり告げられる方がよっぽどかなわないって思えるけどな。なんてこと勿論告げたりはしないけど。
 ヒロトはふふ、と小さく笑うと、突然良いことを思いついた顔をしてひょいっとひとつのドロップを摘みあげた。

「あのさ、これ一個もらってもいい?」
「ん、ああ。どーぞ」
「ありがと。じゃあ早速」

 そう言うとヒロトは手にしたドロップの包みを破いて、人差し指と親指でつまむようにして持った。そのまま口に入れるのかと思いきや、なんといきなり俺の目の前にドロップをずいっと差し出してきた。
 へ? どゆこと?

「……ヒロト? 何してるんだよ」
「ん? 見て、分かんない?」
「そんな……」

 なんかさっき俺が言ったことと同じことを言われている気がする。意趣返しのつもりだろうか。見ろって言っても……なぁ。
 ヒロトはドロップを持った手を丁度俺の口の前あたりに持ってきている。
 これはまさか……俺に食べろ、ってことか?

「…………」

 ちらりと目線を送ったら、にっこり微笑まれた。どうやら俺の読みは当たってるっぽい。自分で食べるんじゃないのかよ。ああもう、このままにしておくと無理矢理口に入れてきそうだし。仕方ない、食べてやるか。 
 ヒロトの長い指先から、緑色の飴玉をぱくりと口に含む。途端に腔内に甘い味が広がった。これはきっとメロンの味だな。とろけそうな甘さに思わず頬が緩む。
 やっぱり甘いお菓子はいいなあ。世の中に甘いもの嫌いな人がいるだなんて信じられない。こんなに美味しいのに。

 ……とかなんとか思ってたら、またまたヒロトが謎の行動に出た。

「ん、」
「は?」

 目を閉じて、唇突き出して……。えっと、まさか、これは。


「ヒロトー」
「んー?」
「お前バカだろ」
「バカでいいよ。だから早く頂戴」

 そう言うと薄らと口を開いた。ああもうバカだバカ。こいつほんっと馬鹿だ。そしてそれを受け入れてしまう俺が一番の大馬鹿だ。

「しょうがないなぁ。……食べさせてやるよ」

 瞳を閉じ、唇を重ねて、ころりと飴玉を転がす。お互いの前歯にぶつかって何度かかち、と音を立てた。ああ、甘い。

「んっ……」
「……ふぁ」

 口を離した瞬間に少しだけ糸を引いてしまい、それをヒロトがぺろりと舌で拭った。どうしてこう、こいつのやることはいちいちいやらしいんだろう。そもそもドロップ口移しとか発想がいやらしい。て言うかヒロトの存在がいやらしい。

「うん、美味しい」
「……ばーか」

 にこにこと満足気なヒロトに、俺は真っ赤になって悪態をつくことしかできない。ちょっとしたことでは照れるくせに、なんでこういうことをするときのヒロトはこんなに余裕なんだろう。俺はいつだって翻弄されてばっかりだ。
 口の中にほんのり残る甘味が胸を疼かせる。もっと欲しい。甘い、味。

「……ヒロト」
「うん?」
「俺にも、食べさせて」


 え、とヒロトが驚いている間にドロップをひとつ掴み、外装を破いて眼前に突き出した。きょとんとした顔が見ていられなくて、視線を下に落とす。そのまま時が止まってしまった。いや、きっと本当はほんの数秒程度なんだろうけど、俺にとっては数時間にも等しいくらいだ。ああもう早くしろヒロト、手が震えてるのばれるだろ。
 やがて、ふ、と小さく笑う気配があって、指先が温かいものに包まれた。と思ったら、次の瞬間にはぐいっと顔を引き寄せられた。ヒロトの無駄に綺麗な顔が目の前にある。吸い込まれそうな翠の目。

「……目、閉じなくていいの?」
「……このままがいい」

 ヒロトの目がどんどん近付いてきて、唇に柔らかなものが触れる。口の中に広がる甘さは今度はイチゴ味。じんわりと、脳髄に染みていくような、甘さ。

「……ねえ」
「なに?」
「リュウジのせいで、口の中メロンとイチゴが混ざってめちゃくちゃ甘いんだけど。どうしてくれるの」
「何言ってんだよ、そんなのヒロトのせいだろ」
「責任とって、最後まで食べるべきなんじゃないかな」
「それはこっちの台詞だよ」

 どうもあまりの甘さに、俺の思考までとろけてしまったようで。俺は再びヒロトと唇を重ねて、互いの舌の上で飴玉を転がした。かち、かち、と歯にぶつかるたびに、ひとつずつ理性が崩れて落ちていく。

「ん……んぅ」
「……っふ」

 イチゴとメロンのドロップが溶けて消えてしまっても、まだ俺達の唇は離れないし甘味も消えない。それどころかどんどんと増していく。そのままゆっくり身体を倒されて、そのときにうっかり腕が当たってしまい、折角キレイに分別してあった残りのドロップ達がまたごちゃごちゃに混ざってしまった。
 イチゴ、メロン、さくらんぼ、マスカット。たくさんの色の中からきちんとより分けて揃えてあった、赤と緑のドロップたち。
 あーあ。


「せっかくきれいに分けたのに……」
「いいじゃないか。どうせ俺達もこれから混ざっちゃうんだし」
「……やっぱヒロトってバカだ」
「お互い様だよ、リュウジ」

 くすくす笑うヒロトの声が耳に心地良い。
 俺は手を伸ばしてドロップをひとつ掴むと、もう一度ヒロトの前に突きつけた。

「おかわり」
「了解。じゃあ、俺も」

 

 何度も、何度も。その日の夜は、赤と緑のドロップばかりが、俺達の口の中で溶かされた。
 そして勿論、俺達自身も。





end.




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