灰とダイヤモンド2「さて、何食いますか。遠慮しないで注文していいですよ」 「…………はあ、」 唐突にボクの目の前に現れた青年――ロスは、あの後すぐさま会計を済ませて喫茶店を後にすると、状況に追いつけていないボクの腕を引っぱって、あれよあれよと言う間に大通りから離れたこのフレンチレストランへと連行した。 落ち着いた内装と照明に彩られた店内はどこを見回しても高級そうな雰囲気で満ち満ちていて、たぶんここで食事するだけでボクの一カ月のバイト代の半分以上が軽く吹っ飛んでしまうだろう。ひょっとして合計金額の予想を外したら全額自腹になるんだろうか。今お財布にいくら入ってたかな。たとえ給料下ろした直後だったとしても、こんなところの支払いなんてできる気がしないけど。足りない場合は出演者から借りなくちゃいけないんだっけか。 ああでも、コイツが素直にお金貸してくれるとは到底思えない! 「もしもーし、人の話聞いてます?」 「わあごめんなさい借金のカタに売らないで!」 「何寝言抜かしてんですか。さっきからずっと一人で返事も寄越さずに百面相して、正直コミュ障みたいでキモいです」 「辛辣すぎる! ……というかそうじゃなくて。ボクそんなに持ち合わせないから、こんなお店じゃ何も頼めない……です」 しっかり所持金を確認した訳ではないけれど、たぶんどれか一品分の代金でも支払えるかどうかってレベルだろう。金額の末尾に三つも四つもゼロが並ぶ様を想像して、ボクは思わずぶるりと肩を震わせた。 ……の、だが。 「何言ってんですかバカですか」 「へっ?」 「いつ貴方みたいな貧乏人に金を出させるなんて言いましたか。支払いはひとまずオレがやりますから、とっとと何にするか決めて下さいよ。あ、もしかしてメニュー読めませんでした? それは失礼しました、確かにフランス語なんて貴方には馴染みなさそうですもんねー。一応日本語のルビも小さく振ってあるんですけど、そもそも黒猿さんには言語の理解自体が難しかったですよね」 「誰が黒猿だ!」 「それは勿論貴方に決まってるでしょう、そっくりさん。あのピンク猿と同じ顔して、かつ真っ黒だから黒猿さん。こんな分かりやすい名称なのに理解ができないとか、もしかして知能も猿並みだったりします?」 「失礼だな! 確かに色についてはその通りだけど、ボクもアルバも猿じゃないから!」 「そりゃよかった。猿の尊厳が保たれましたね」 「そっち? そっちの尊厳なの?」 「当たり前でしょう。それとも貴方、猿には尊厳なんてないとでも抜かすつもりですか? 動物愛護団体に連絡しますよ。ダーウィンに土下座して進化やり直して来たらどうですか」 「猿の命を軽んじてもいないし、ヒトへの進化をやり直すつもりもないから! それ以前にボクと弟の尊厳をもっと大事にして!」 初対面の、しかもコンビ組んでる相方の肉親に対するものとは思えない失礼千万なその態度に、ボクは怒りを通り越していっそ感心していた。よくもまあこんなにポンポンと、小学生男子みたいな悪態が口をついて出るものだ。頭の回転速度の使いどころを間違えているとしか思えない。まあ、ボクもボクでいちいち反応を返すのが悪いんだろうけど。 「というか、何でボクはこんな所に連れて来られたの? 弟は、アルバはどうしたのさ。そもそもどうしてあのロスがボクにごはんを奢るなんてことになってるんだよ」 「質問が多い!」 「みぎゃっ!」 な、なんでメニューの角で殴られなきゃならないの!? ボクそんなに変なこと言った?! 涙目になって頭を押さえていると、ロスは小馬鹿にするように鼻を鳴らした。 「そんなに急かさなくてもおいおい説明してやりますから、まずは何か食べましょう。字の読めない黒猿さんの代わりに頼んであげますから」 「だから黒猿じゃないってばぁ!」 ……結局ボクは自分ではなにひとつ注文させてもらえないまま、この傍若無人慇懃無礼が服を着たような男と高級フレンチを食べる羽目になったてしまった。 そういえばいつの間にか敬語使うのも忘れてた。まあ、ロスが気にしてなさそうだからいいか。敬語であるロスの方がよっぽど失礼なことばっかり言ってるんだし。 * * * それからしばらくして、ロスの注文で運ばれてきた料理はどれも生まれてこのかた口にしたことなんてないような高級品ばかりだった。 うわあ、本物のトリュフなんて初めて見た。黒だけじゃなくて白いのもあるんだ。それにこのステーキ、霜が降ってる! 霜降り肉って都市伝説じゃなかったんだなあ。思わずそう洩らしたら、噴き出された挙げ句盛大に馬鹿にされた。仕方ないだろう、こっちはステーキなんて一年に数回、いや一回食べるかどうかってレベルの貧乏学生なんだから! それにしても、ただ料理を食べるだけなのにどうしてこんなに食器がたくさんあるんだろう。ええと、こういう時はフォークとナイフは外側から使えばいいんだっけ? それとも内側? 「別にそんな食事作法なんて気にせず食べても大丈夫ですよ。誰も貴方のことなんて見てませんし、そもそも今日は他に客はいなませんから考えるだけ無駄です。足りない頭を更に余計なことに使わないで下さいよ」 「心の中読んだ上に罵倒しないで! ていうか、え、お客さんいないの? なんで?」 言われて辺りを見回してみると、確かにボクたち以外着席している人はいない。連れて来られてすぐのときはそんな余裕なんてなかったから気付かなかった。 「決まってるでしょう、人払いしておいたんです。オレ、ここの常連なんで多少の頼みは聞いてもらえるんですよ」 「そ、そっか……」 「無駄話はこの辺にして早く食べて下さい。料理が冷めます」 「………はい」 腑に落ちない点はまだまだたくさんあったけど、確かにごはんが冷めてしまうのはよろしくない。せっかくお店のひとが作ってくれたものなのだ。 いただきます、と手を合わせてから、ボクはぎこちない手つきで肉を切り分けて口に入れた。 その途端、言葉通りにほっぺたが溶け落ちるかと思った。 「……おいしい……っ!!」 お肉の柔らかさといい、肉汁の旨味といい、ボクがこれまで食べたことのある牛肉とはまるで違う。あまりの美味しさに頭がパニック状態だ。おいしい、ほんとにおいしい! 「すごい! じゅわっとして柔らかくてトロトロだあ……!」 「……今時小学生でももう少しマトモな感想言いますよ」 「だ、だって本当においしいんだもん……うう、こんなのはじめてだよ! うわあすごい、口の中がしあわせだぁ……!」 「……大袈裟ですね」 ロスが物珍しそうに眺めていることにも気付かずに、ボクはそのままお肉に夢中になっていた。切り分けては口に運び、その都度ふにゃふにゃと顔をとろけさせる。元々空腹だったことも手伝って随分とがっついてしまい、はたと我に却った時には既にお皿の上にはほとんど何も残っていないという有様だった。 「あ、わ、ごめんなさい! つい夢中になっちゃって……はしたなかった、よな」 「本当ですね、手掴みでガツガツ肉を貪っている様子はまさに猿って感じでしたよ。面目躍如ですね黒猿さん!」 「そこまで野性味溢れさせてないよ!? ていうかボクは猿じゃないって、何度言えば分かるんだよ!」 「えー、じゃあ何て呼べばいいんですか。二号さんとか?」 「なんか違う意味に聞こえるからそれもやめて! ……アルバから聞いてないの? 名前」 「全く」 「まあ、それもそうか……」 グラスの水を一口飲んで、ボクは小さく息をついた。 ふつう兄弟の話をするときは、わざわざ名前を出さなくても兄とか姉とか弟とか、そういう単語を使えば充分会話は成立する。ましてやボクらの場合だと、名前よりもそちらのほうがよほどスムーズに話が進むだろう。 「アルバ」 「…………は?」 「ボクの名前。ボクも『アルバ』なんだよ。アルバ・フリューリング」 「……それはまた。随分と酔狂なご両親、ですね」 「ボクもつくづくそう思うよ。ていうかよく役所通ったよね」 何を思って双子の兄弟に同じ名前なんて付けるのか。よほどの思い入れでもあったのかと母に尋ねてみたこともあったけれど、「なんとなくアルたんたちにはその名前しかないって思ったのよねー」とのほほんと返されてしまったので、ボクと弟はそれ以上名前について追及することをやめた。たぶん考えるだけ無駄だ。 「で、結局オレはどうすりゃいいんです。まさかアンタのこともアルバと呼べと?」 「いいよそんなの、こっちがややこしくなる。……知り合いはみんな、黒って呼んでるよ」 「クロ?」 「そう。ほら、ご覧の通りの髪だしね。アルバは――あ、弟のほうね。あいつは今でこそバリバリのピンク頭だけど、染める前は茶色でさ。『茶色』と『黒』なら後者のがまだ呼び名っぽいからって、区別のためにそう呼ばれてたのがいつの間にか定着したんだ。正直、ボク自身も名前を呼ばれるよりもそっちのほうがしっくりくる」 「アンタそんな、犬猫みたいなド直球な呼び方でしっくりくるとかどんだけですか。だったら別に黒猿でもそんなニュアンス変わらないでしょう。もしくはアバラとか」 「いやだいぶ違うだろ! ってかなんでいきなりアバラなんだよ、そっちのほうが訳分かんないよ!」 「いやあ、なんだかこのスペアリブを見てたら貴方にそっくりだなあって思って。ね、アバラさん」 「アバラじゃない!」 ロスは飴色に焼かれたスペアリブをフォークでつつくと、ものすごく意地悪そうな顔で笑った。間違いない、こいつ生粋のいじめっ子だ。と言うか、ドSだ。 ああアルバ、君はどうしてこんな輩とコンビを組んでしまったんだい。お兄ちゃんは心配でなりません。普段メディアで見せているような、シニカルかつクールなイケメンなんてイメージは欠片もないじゃないか。いや、イケメンってとこは変わりないけど。 「それでチビクロサンボさん」 「虎に追われもしないしバターでパンケーキも作らないよ!?」 「貴方の弟のアホピンクについてのことですが」 スルーされた。 「端的に言いますと、アレがここに居ないのは偏にあのピンクがバカだからです」 「……端的過ぎて分からないから、もう少し情報を下さい」 「仕方ないですね、じゃあサル頭の黒アバラさんに免じて説明してあげます」 ロスはオマール海老のビスクスープを上品に啜ると、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。……もう呼び名については突っ込まないぞ、ボクは。 「あのピンク猿が今日オフだというのは貴方も知ってることだと思いますが」 「うん」 「正確には今日と明日がオフなんです。で、あのアホは明日の予定を全部今日に入れていました。それもばっちり重複する時間に」 「え、」 「要するにダブルブッキングです。髪だけじゃなく頭の中までピンクに染まっていたらしいあの猿は、何をどう勘違いしたのか日付をあべこべに覚えていて、本来明日だった筈の予定を今日だと貴方に伝えてしまった。そして今日の予定だったものを、明日のものだと思い込んでいた訳です。それに気付いたのが出掛ける十分前だって言うから、ほんと救いようがないですねあのバカは」 「はあ……。で、でもそれならそれでメールでも何でも、そう伝えてくれたらそれでいいのに、何でロスがボクのとこに?」 「貴方が良くても他が良くないんですよ。元々今日にピンク猿と出掛ける予定立ててた奴が、そのバカっぷりにガチギレしたんです。なんでも前々から約束していたらしくって、それを間違えて覚えてるだなんて不誠実な証拠だとかなんとか言って、とにかく手に負えないくらいプッツンしまして」 「ええっ!?」 「で、あのアホはそいつを宥めるのに手一杯で、偶々その修羅場に居合わせた相方に貴方のことを託したんです。それでアホには勿体無いくらいの出来た相方、つまりオレがわざわざアホの代わりに貴方の元へと出向いてやった訳でして。以上、ここまでの経緯は理解してもらえましたか?」 「り、理解はしたけどさ、それでアルバは大丈夫なの!?」 そんなに怒っている人の傍にいて、殴られたり蹴られたりしてはいないだろうか。確かに弟に原因があるとはいえ、流石に怪我はして欲しくない。 だが、顔を青くしたボクとは対照的に、ロスの態度は実にあっけらかんとしたものだった。 「まあ大丈夫なんじゃないですか。確かにガンガン攻められてはいるでしょうけど」 「全然大丈夫じゃなくない!? 怪我とかしてたらどうするんだよ!」 「怪我と言うか、まあ噛み痕や爪痕くらいは仕方ないでしょうね。あと考えられるのは手首足首の束縛痕とか」 「噛む!? 喧嘩で?! それに束縛ってそれ手足封じてタコ殴りってことじゃあ……」 「そういうのじゃなくて。……いやまあ多少は殴られてるかも知れませんが、その辺りはいつものことだし、あの桃色猿野郎も分かっててそいつと一緒に居るんだから大丈夫ですって。そりゃあちょっと足腰立たなくなったりはしてるでしょうけど、貴方が想像しているような暴力沙汰とは違いますよ」 「そ、そうなの……?」 「そうなんです。あんまり深入りすると馬に蹴られますよ」 「はあ……」 なんだかよく分からないけど、ロスの有無を言わせない雰囲気にボクも口を噤むしかなかった。ここまではっきり言いきるからには、きっと弟は大丈夫なんだろう。そう信じるしかない。 「とりあえずそういうことなんで、ここの代金は最終的には全部あのピンクにふっかけるつもりだから貴方も遠慮せずに頼んで下さい。もうあらかたの皿も空になったし、追加注文します? デザートに行っても良いですよ。オレ的にはティラミスなんかがオススメですけど」 「え、」 デザートという単語に思わず反応しかけたけれど、すぐにその勢いも削がれてしまった。もう一度お財布の中身を思い返し、それから通帳の残高を思って溜め息をつく。 「……どうしました?」 「あの、やっぱり自分で食べた分は自分で払うよ。今日はどうしても足りないから立て替えてもらいたいんだけど、後で必ず返しに行くから」 ボクがそう言うと、ロスは驚いて目を丸くした。大人っぽい顔立ちだと思っていたけど、そういう表情をすると結構幼く見えるんだなあ。たぶん、元々の瞳が大きいからだ。 「どうしてですか、折角タダで飲み食いできるチャンスでしょう。しかもこんな高級料理、貴方みたいな人間には逆立ちしたって食べる機会なんてもうないですよ」 「確かにその通りだけどさぁ! ……何ていうか、コーヒー一杯とかならまだしも、こんな高級店で弟のお金アテにするほど落ちぶれてはいないって言うか」 「さっきまではオレの金をアテにするつもりでバクバク食ってた癖に?」 「それは本当にすいませんでした! ……後付けに聞こえるだろうけど、お前にもちゃんと払う気でいたよ」 これは本当だ。だってボクにはロスに奢ってもらう理由がない。 「こっちが出すって言ってんだから、別にそれで良いじゃないですか。貴方とオレたちとでは元々の稼ぎが違うんですし」 「稼ぎがどうとかの問題じゃないよ。こういうの、きちんとしないのは気持ち悪いんだ」 「……見た目よりも随分おカタいんですね。あのピンクと同じ血が流れているとは思えない」 呆れたように息を吐くと、ロスは手を挙げてウェイターを呼んだ。 「すいません、ティラミス二つと、あとは領収書を俺の名前で」 「ちょ、」 「アンタの考えは分かりました。でもそれを聞き入れるかはどうかはオレの自由です。心配しなくても、貴方の弟にタカったりはしませんよ。そんな気も失せました」 「だったら尚更!」 「理由が欲しいなら、オレがそうしたいと思ったから、で充分でしょう」 ロスはまたしてもボクの意見は全く耳を貸さず、そのまま我を通してしまった。芸能人ってみんなこんなに強引なんだろうか。 ううん、きっとこんなのはこいつだけだ。 「どうしても気になるのなら、そうですね。料金代わりに連絡先でも教えて下さいよ。ね、黒さん」 本当に、変なヤツ。 ****** 『六本木』がPVを付けてくれるようになってからと言うもの、ボクの曲の再生数は飛躍的に伸びた。 ただ綺麗だというだけでなく、『六本木』の手掛ける映像はボクが曲の中に秘めた様々な想い――喜びや哀しみ、それらの言葉にすら表せないような深い感情――を的確に汲み取り、表現し、昇華してくれる。たかだか十数行の文字のやり取りを交わしてきただけの間柄なのに、まるで『六本木』が昔からずっと傍に居て、ボクのことを心底理解してくれている人間であるかのようだった。 普通だったらこんな状況を薄気味悪く思うのかもしれない。けれどもボクは『六本木』に対し、確かな絆を感じていた。たとえ他の誰におめでたい、だとか気狂いだ、とか嘲笑されたとしても、ボクは自分のこの感覚を絶対だと信じている。 そんなボクが、「よければ一度話してみたい」という言葉と共にメールの文末に添えられていた彼のネット電話サービスのアカウントに一も二もなく飛びついたのも、至極当然と言えば当然の流れだった。 『――もしもし』 「も、もしもし……」 通話ボタンを押して、待つこと数秒。 回線の向こうから聞こえてきた声は、まるで水の流れのように鼓膜を震わせて脳に届く、綺麗な男の人の声だった。 『どうも、こちらでは初めまして。レッドフォックスさん――でいいですか』 「あ、はい、それでいいです。ええと、初めまして……六本木さん」 『ああ、別に敬語は結構です。貴方にそうされるとあまりの気持ち悪さに虫酸が走りますから』 「通話して一分も経たないうちに貶された!? 今までメールでも敬語だったのに!」 『メールと通話はまた別でしょう。とにかく嫌なんでやめてください。でないとこれから貴方のことはアバラマンって呼びますよ』 「どっから来たのその呼び名! うう、分かったよ。これでいいんでしょ、六本木!」 『アバラさんにしては飲み込みが早くて助かりますね。以後敬語や敬称を付ける度に一アバラマイナスしますからそこんとこよろしくお願いします』 「一アバラってなんだ!」 しょっぱなから今まで『六本木』に抱いていたイメージがガラガラと崩された。いや、崩れたなんてもんじゃない。風化だ。粉微塵になって跡形もなく消滅した。なんだこいつ。なんだこいつ! ボクの考える『六本木』はこう、もっと理知的で神秘的で天才肌で、寡黙ながらも言葉の端々にセンスが満ち溢れているような……なんかそんな感じのミステリアスな人だったのに! これじゃあただの強引で自分勝手ないじめっ子じゃないか! 『まあ、戯れはこの辺にしておくとして。今回オレが貴方と話したいと思ったのは、こうして揶揄って弄んでやる他にももう一つ理由があります』 「揶揄うのも理由の一つなのかよ! ……で、何?」 『単刀直入に言います。――貴方、プロになる気はありませんか。オレの手で』 「へええ、プロかあ。そりゃすごい……って、プロぉ!?」 思わずノリツッコミを決めてしまった。それくらい六本木の言葉はボクにとって衝撃も衝撃、まさに寝耳に水だった。 『勿論、冗談じゃありませんよ。詐欺でもないです。夢物語を持ち掛けて、田舎の垢抜けないコドモを嘲笑おうってんでもありません。まあ最後のはちょっとだけやってみたい気もしますけど』 「するなよ!」 『だからしませんって。……で、どうです。今のちょっと名の知れたインターネットカラオケマンな立場を捨てて、本格的にプロの土俵に立ってみる気はありますか? 「レッドフォックス」さん』 「――……」 プロに、なる。ボクが。 小さい頃からドジで間抜けでそそっかしくて、周りに迷惑ばっかりかけてきて、それでも音楽だけはずっと好きで関わり続けて来たボクが、プロに。 憧れ続けた夢の舞台に、立てる。 「……その話、本当に信じてもいいの?」 『ええ。既に要項はまとめてあるので、お望みでしたらこのままファイルを送付します。当然それだけでは心許ないでしょうから、承知してもらえるのならすぐにでもそちらに足を運びますよ。直接会って話をして、夢じゃないって分からせてあげます。――まあ、かと言って実際にデビューしたその後で成功するかどうかまでは保証しませんが。そこから先は貴方の実力次第ですからね』 「あなた、じゃない、お前の手でって言うからには、六本木はそういう関係のお仕事の人だってこと?」 『まあそんなところです。ちゃんとコネもツテも権力もありますよ、これでもね。オレの言葉をどこまで信じるかもまた貴方次第、ですけど』 六本木の声は真っ直ぐで揺るがない。そこには嘘をつく人間特有の、こちらを騙して蜜を吸わせるような甘い誘惑の色は存在しなかった。断るのなら今のうちだと、声にはせずに語っている。 『どうします? 別に嫌なら嫌で構いませんよ。オレは貴方のファンですから、断られたからって関係まで切ろうだなんて思ってはいません。今後もPV制作なりなんなりで、微力ながら支援していこうと考えてますよ。貴方がいいと言うならね』 ボクの歌。ボクの曲。ボクの音楽。ボクがこれまで培ってきたもののすべてを、試すチャンスが今目の前に訪れている。 それならば、ボクのすべきことは。 「――ねえ」 『はい』 「土日と水曜はバイト入れてるから、会うならそれ以外の日で。連絡用の番号とかは後でメールで送る。他になにか準備しておいたほうがいいものって、ある? たとえば新曲書いてこい、とか」 『そうですね……とりあえずは、プライドでしょうか。何が何でもやってやるっていう意地と矜持を、オレに見せてもらえれば』 「なんだ。だったら大丈夫だ」 ――そんなもの、もうとっくに持ち合わせてる。 『覚悟決まりました? レッドフォックスさん』 「うん。……ああそうだ、これからはレッドフォックスはやめにするよ。それはこれまでのボクを指すものだからさ」 『へえ? じゃあこれからは何て呼べば?』 「アルバ。ボクの名前は、アルバだよ。よろしくね、六本木」 『それではオレのことも、今後はシオンと呼んでください。アルバさん』 それがボクたちがハンドルネームではなく、互いの名前を呼び合うようになった、最初の日。 戻る |