Sample.1



「―あ! 今月号の特集アルバトロスなんだ!」

 きゃあ、と黄色く弾んだその声に思わず肩が跳ねた。

 電車の中吊り広告を見ながらはしゃぐ女子高生たちの姿を、アルバは手元の文庫本越しにちらりと一瞥した。頬を染めて楽しげに話す彼女らの様子に、話題の中心である『彼ら』の人気が窺える。

「どーしよ、あたし買っちゃおうかなぁ」

「マジ? そしたら貸してよ」

「やっぱロスって写真映えするよねぇ。新曲のジャケットも超カッコ良かったし」

「あれ良かったよねー。アルバも超かわいかったし。なんかフツーっぽいとこが逆によくって」

「わかるー!」

 思わず噴き出しそうになるのを必死で堪えた。いきなりそんなことをしては注目を浴びてしまう。話題が話題なだけにそれは避けた方が賢明だ。

 それにしても普通なところがいいとは、最初はあの顔の綺麗な相方と比べられて大変なのではないかと思っていたが、今時の女子高生にもちゃんと受け入れられているようで安心した。

(まああの子の本当の魅力は見てくれじゃなくて、その中身や才能にこそあるんだけどね)

 いつも通り同じ名前の双子の弟を盲目的に褒め称え、再び本に意識を戻そうとして、


「そう言えばさ、最近ロスのスキャンダルって全然聞かなくなったよね」


 ページをめくろうとしたアルバの手が、止まった。

「一時期凄かったよね、人気のあった女優とかモデルとか大抵一度は騒がれてたし」

「歌番の共演と引き換えに、どっかのアイドルグループ全員食ったなんて話もあったね」

「その記事書いた奴って、確かネットで超炎上して会社が謝罪したんだっけ」

「てーか、そんなことがあっても全然人気落ちないロス様さすがすぎ」

「だってカッコイイもん。あたしだったらたとえ遊びでもロスと噂になれたらそれだけで死んじゃう!」

「わかるーっ! 抱かれたい芸能人ランク、今回もぶっちぎりナンバーワンだったしね!」


『―次は○○、○○』


 不意に流れた車内アナウンスと共に、緩やかなブレーキを掛けて電車が止まった。女子高生たちは開け放たれた扉から姦しく下りていき、後には静けさだけが残る。ページに添えた手を動かせないまま、アルバは強張る肩を解すように息を吐いた。



 ロスの過去について言うと、アルバは実はそんなに明るくない。

 大まかに知っていることといえば、弟とユニットを組む前は単独で芸能活動をしていたこと、その頃から女性を中心に爆発的な人気があったこと、ビジュアルだけでなくその交遊関係も非常に派手かつ華やかだったこと、の三点だ。最後の一つはワイドショーか何かで偶然見かけた話題なのだが、前者二つはユニットを組んだ後に弟の口を介して知ったことだ。要するに全て又聞きである。

 昔からアルバは芸能界というものにまるで関心がなく、弟がプロデビューを決めたのを機に漸くその手のニュースに目を通すようになったくらいなので、ロスについても当初は「なんかよく街頭ディスプレイとかで見かける人だな」程度の認識しか持っていなかった。はなから自分とは住む世界の違う人間なのだと考えていたのだ。

(それが今やこんな関係に収まってるんだから人生って不思議)

 そんなロスの過去を『こんな関係』―所謂恋人同士となった今でもアルバが詳しく知らずにいるのは、ロス本人があまりよく思っていなさそうなことにも一因がある。

 以前、一度だけ会話の流れで「弟と組む前のお前ってどんな感じだったの」と訊いてみたところ、形の良い眉を顰めて「今と比べて実につまんないモンでしたよ」とボソリと呟いただけという、いかにも淡白な反応が返ってきたのだ。彼曰く、人間関係もさることながら当時の芸風も本人的にはお気に召していなかったらしい。今の事務所に移る前、ロスの実兄であるシオンのプロデュースを受ける以前のことだ。

 本人の言葉通り、『アルバトロス』となってからのロスは以前よりも表情が俄然生き生きとしていて、それまでのミステリアスでクールビューティーな印象がいい意味で変わったともっぱらの評判だ。どうも昔は事務所の命令でクールなキャラを強要されていたそうで、それの憂さ晴らしもあって当時は様々な浮き名を流したらしい。そんな事情があったなら、過去にあまり触れられたがらないのも当然だろう。

 何より、その話題が出たときたまたま二人の近くにいた『アルバ』が珍しく揶揄いの色を消してロスのフォローをしていたのだ。「こいつも心を入れ替えたし、遊び相手だった女の人には全員話を着けてあるみたいだから許してあげて」という弟の鶴の一声に、元より許す許さない以前に怒ってでもいなかったアルバは一も二もなく頷いた。後に事の顛末を耳にしたシオンがブラコンここに極まれり、とぽつりと呟いたとかいないとか。

 何にせよ、昔のロスはちょっと遊び人だった、というのが今現在アルバが知っている全てだ。それ以上は深く追及する気もないし掘り返すつもりもない。

 ない、はずだった。

(……抱かれたい芸能人ナンバーワン、か)

 そのナンバーワンとやらが見た目も中身も冴えない田舎出身の大学生・アルバにうつつを抜かしていると知ったら、先刻の女子高生達は一体どんな顔をするだろうか。ひょっとしたら案外それはそれで良い、みたいに言われるのかも知れない。常識的には有り得ない選択をするところが彼らしい、とか。何があろうと他人を虜にする能力と有無を言わせない説得力が、あのロスという男には生まれつきで備わっているのだった。

 ―だからなのだろうか。

「これを機に、ちょっとくらいあいつのことを知ってみるのも……アリ、かな」

 それまで全く眼中に無かったロスの「遍歴」に、俄に興味が湧いてしまったのは。



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