Sample.1





「という訳で、今日の実技は勇者さんの大好きな状態変化魔法です」

「うえぇー……」

「なんですかその腐ったナメクジみたいな返事は? もっとやる気を見せたらどうなんです。はいシュナイダー十点減点」

「どっかの魔法学校みたいな減点方法やめろ! あと腐ったナメクジみたいなってどういうたとえだよ!」

「気になりますか? お望みとあらば実際に変化させてあげますけど」

「いえ結構です」

 いつものコントのような応酬を封切りに、今日も今日とて有能だが大層手癖足癖ついでに口癖の悪い元・伝説の勇者による現代の勇者への家庭教師が始まった。

「ボク、状態?化の魔法って苦手なんだよなあ」

「苦手だからこそやるんでしょう。ンなことも分からないとか馬鹿ですか、あっ馬鹿でしたねすみません」

「いちいちちょっとした呟きに罵倒を返さないでよお……」

 状態変化、とはその名の通り変化の術だ。

 花を蝶に、紙を鳥に、カボチャを馬車に変化させ、熟練者ともなればエルフのように姿形を他者に変えて諜報活動を行ったり、ユーリのように身体の一部を変化させて桁外れの力を振るったりすることも出来る。難度が上がるほど微細な調整が必要な上、一定時間魔力の供給が無いとすぐに解けてしまうのだが、純粋なコストパフォーマンスのみを見れば創造魔法よりもずっと手軽に出来る点が売りだ。

 魔法に未だ不慣れなアルバの場合、いきなり消耗の激しい術を使うと余剰な魔力が溢れ出して暴走する危険があるので、コストが低く、かつ調整の難しい状態変化魔法で実技を磨き、魔力の扱いの基礎を学んでいくのが最近の専らの実技カリキュラムであった。

「さて、前回は緑茶を紅茶にする筈がジンジャーエールに、前々回はネーブルオレンジをブラッドオレンジにする筈がグレープフルーツになった訳ですが、これまでの失敗の数々を振り返ってのコメントはありますか?」

「拳をマイクに見立ててぐりぐりしてこないで! あと声の調子は明るいのに目が全然笑ってないの怖いから!」

「ほほう、それはつまりこんなに出来の悪い生徒相手に大層苦労しているオレに心の底から大爆笑してみせろと、そういうことですね?」

「いや、お前に大爆笑されたらそれはそれで怖いけど……。ていうか大体課題の内容が微妙すぎるだろ! なんでどれもマイナーチェンジなんだよ!」

「せいッ!」

「うぐふっ!!」

 頬に押し付けられていたシオンの拳が、そのまま顎下からの捻り上げるようなアッパーに変わる。見事な切れ味のそれをまともに食らってしまったアルバはさながら黒髭人形のように宙へ飛び出し、少し離れた床に二、三度バウンドしながら転がった。

「まったく何度言わせりゃ分かるんですか。こういう小さな変化魔法ほど、魔力のコントロールの修練にはうってつけなんですよ。冒頭部分でもそう言ったでしょう」

「あいたたた……。え、や、冒頭部分てなにさ?」

「それにどんだけ文句を並べたところで」

「スルーか」

「結局のところ貴方がオレの与えた課題をクリアできてないって事実には一切変わりがないでしょう。グダグダ言ってる暇があったらさっさと成功させろやダボ」

「全く以て仰る通りです……」

 アルバはズキズキと痛む顎をさすりながら、石壁を支えによろよろと立ち上がった。確かに出来もしないうちから文句ばかり口にしても、そんなものはただの言い訳にしかならない。

「分かりゃいいんですよ。――それじゃ、早速始めますね」

 パチン!

 徐にシオンが宙に翳した指を鳴らした瞬間、薄い靄煙と同時に白色の鉢がごとん、と机の上に現れた。

 鉢の大きさは直径にして二十センチ程度で、八分目くらいまで盛られた土からは瑞々しい緑の蔓が葉を茂らせながら渦を巻いている。掌と同じかそれより一回り小さいか、丸みを帯びた五芒星を描くように花弁を拡げた花は、植物の知識に疎いアルバにも見覚えのある姿をしていた。

「これは……キュウリの花?」

「近いですけどハズレ。こいつはカボチャです。カボチャの雄花」

 言いながら、シオンの滑らかな指先が細かく毳立った花梗を撫でる。その軌道に合わせてウリ科の花弁独特の鮮やかな黄色がふるりと揺れた。

「今日の課題はこれを使います。?化魔法でこいつを雄花から雌花に変えて下さい」

「ええ……」

 実にあっさりと言い渡されたが、その実かなり高度な技術を求められる課題だった。見た目や種類をまるきり別物に変えるならまだしも、同種の、花の雌雄のみを変化させるだなんて、相当に繊細な調整と集中力が必要になってくるだろう。だからこそシオンも題材に選んだのだろうが、当のアルバとしては想像しただけで精神がどっと磨耗しそうだった。

「ほら、ウヘってないでさっさと取り掛かって下さい。ちなみに一時間以内にクリア出来なきゃ罰として人間ランタンの刑ですよ。丁度ハロウィンも近いことですし、大いに活躍してもらいますからね」

「待って待って人間ランタンて何!? なんかもう言葉の響きからしてすごく怖いんだけど!」

「そりゃもうその名の通り貴方をランタンにするんですよ。頭ちょん切って中身と目玉をくり貫いて、仕上げに火の灯ったロウソクを中に突っ込みます」

「とんだスプラッタだ!! そんなんトリックオアトリートで許される範囲超えてるよただの猟奇殺人だよ!!」

 頭をくり貫かれるのもロウソクを突っ込まれるのも死んでも御免だ。つうか死ぬ。ノミを片手に狂気の笑顔でにじり寄ってくるシオンの姿を想像し、思わずぞくりと身体を震わせながら、アルバはグズグズしていられないとばかりにカボチャの花に手を翳した。

(えっと、?化魔法を使う時は、まずは対象の構成情報を読み取ることから……)

 過去の授業内容を振り返りながら、瞳を閉じて意識を集中させる。次第にアルバの掌からは淡い光が零れ始め、辺りを雪煙のように白く染めていった。

 やがていくらも経たないうちに、この世の森羅万象を形作るもの――各個体の概念とも呼ぶべき、目には見えない〈情報〉が魔力を介して奔流のようにアルバの頭に流れ込んでくる。?化魔法を使うには、この膨大な情報の中から手を加えなければならない箇所だけを読み取り、自分の望む形に変換するのだ。

(ロスぐらいの熟練者なら、この程度のことは朝飯前なんだろうけど……)

 魔力のコントロールが不得手なアルバにとっては、この読み取り作業が数学の文章題を解読するのと同じかそれ以上に難解なのだ。ありとあらゆる神経を集中させ、しかもそれを長時間持続しなければならない。

(雄花を雌花に、雄花を雌花に……ううん、ややこしいからオスとメスでいっか。オスをメスに、オスをメスに……。てかいっつも思うけど、よくロスはこんなこと簡単にできるよなあ。あのルキメデスだって実戦では全然難なく魔力使いこなしてたし、性格はどうあれやっぱり頭のいい家系なんだろうな。ボクだって仮にも医者の息子なんだから、もう少しそのへんの学力が備わってたらなあ。てか父さんはどうやって医師免許なんて取ったんだろ。まさかモグリとかじゃないよな。有り得ないと言い切れないところが怖いよなあ……あの人ブラック●ャックとか好きそうだし)

 繰り返すが、変化魔法とはその差が微細であればあるほど制御が難儀になるものである。

下手に簡略化しようとしたり、発動中に余計な雑念を混ぜたりすれば、暴発して予期せぬ事態を引き起こす可能性も充分にあるのだ。ましてやアルバの場合、魔力量だけは誰よりも大きいものだから、失敗した時のスケールも桁違いなのである。

「……勇者さん?」

 その異変に気付いたのは、当然ながらシオンの方が先だった。

 彼が声を掛けるのとほぼ同時に、アルバの掌から零れていた光が真綿めいた白から突然毒々しいピンク色に変わり、かと思えば絵の具のチューブからそのまま中身をぶちまけたような目に痛いほどの濃い青に変わる。二色の光は狂ったような速さで明滅を繰り返し、そこから生まれる余剰分の魔力波動が強風となって瞬く間に周囲に吹き荒れた。

「え、う、わ!?」

「っ馬鹿! ミスったからって途中で止めるのは一番危険だってあれほど……!!」

 自分が引き起こした異変を悟ったアルバが思わず発動を止めた所為で、行き場の無くなった魔力が益々激しく荒れ狂う。舌打ちをしたシオンが打消魔法を紡ぐより早く、どぎつい色合いの閃光はアルバを飲み込んで竜巻のように激しく蜷局を巻いた。

「うわあああああああっ!!」

「アルバッ!!」

 机の上に置いていたペンやノートが宙を舞い、寝台のシーツが生き物のように踊る。咄嗟に渦中の人物へと伸ばしたシオンの手を嘲笑うように魔力風は勢いを増し、紫色に変化した閃光が稲光のように辺りを撃ち抜いて全ての視界を奪い去った。

「くっ――!」

 咄嗟に腕で庇うことで網膜へのダメージは回避したが、それでも暫くはまともに目も開けられず、シオンは足をもつれさせそうになりながらも回復を待った。暫しの後、漸く視力が戻ってきたのを感じ、慌てて周囲を確認する。

「勇者、さん……!」

 暴風が止み、荒れに荒れた部屋の中央には、ぼさぼさに髪を乱したまま力なくへたり込んだ勇者の姿があった。

 その情けない姿を見た途端、シオンの胸中に安堵と同時に烈火のような怒りが噴出する。

「このクサレ脳無しド低能野郎! 魔法発動時は雑念入れるなってどれだけ言えば……!!」

「…………」

「……勇者、さん?」

 問答無用で囚人服の胸倉を掴み上げたシオンに、アルバは謝るでも狼狽えるでもなくただひたすら茫然としていた。シオンもまた、つい先刻までの嵐の激情が一瞬で消え去り、目の前の現状を食い入るように見つめる。掌に感じた、あまりに場違いな柔らかさ。

 掴み上げたアルバの胸元、そこに並んだ二つの膨らみの形を。

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