ファミリー・セレブレイション



 自分の父は変わっている、と思う。



「おはようジョルノ。よく眠れたかい」

 笑顔と共に寝起きのジョルノを迎えたのは、テーブル一面に並べられた英国式のブレックファストだった。
 白いプレートの上に乗せられた濃黄に輝くベーコンエッグと温野菜。こんがりとキツネ色に焼き上がったトーストの横ではガラスボウルに盛られたヨーグルトの海で色とりどりのフルーツが泳いでいる。ピンポン球のように丸々肥えたマッシュルームはスライスされてソテーになり、傍らに添えられているのは焼きトマトやベイクドビーンズ、それからバジルを練りこまれたソーセージ。ふわりと馨しい紅茶にいちごやアプリコットやマーマレード、ブルーベリーなどバラエティに富んだ手作りのジャム達が所狭しと並べられ、食卓の上は実に多彩に賑わっている。
 彼の国の食事情はTV番組などではよく悪い意味で頻繁に取り上げられているけれど、朝食に限ってはそう捨てたものでもないというのは通説だ。むしろ素晴らしいと評しても過言ではない。少なくとも、ジョルノの家庭に於いてはそれが証明されている。

「おはようございます、父さん」
「ジャムはどれがいい?」
「ええと……いちごで」
「了解」

 薄いチェック柄のクッションが敷かれた椅子に着席して、眼前に置かれたいちごジャムを瓶から掬い、トーストに一塗りしてかじり付く。さくりという軽快な音と共に、忽ち口の中に程良い甘味と酸味が広がった。

「ジャムの味はどうだい? 甘過ぎたりはしていないかな」
「いえ、丁度良いです。しつこくないし香りもいい」

 そう感想を告げると、父はほっとしたように顔を綻ばせた。元々体格にそぐわない童顔の持ち主だったが、そういう表情をすると更に幼さが増す。多分原因はそのくりくりとした大きな目にあるのだろう。さんさんと日に当たってよく熟れた大粒の白葡萄をそのまま瞳に嵌め込んだような、瑞々しさと光に溢れた目だ。もう一人、この場には居らずに今も寝台の中で惰眠を貪っている人物はよく、父が瞠目や瞬きをする度に「その阿呆のように大きな目をどうにかしないといつか落とすぞ」と喉を鳴らして嘲っていた(そして「そんな訳ないだろう」と額を指先で小突かれるまでが一連の流れだ)。
 かちゃかちゃと皿とフォークやナイフが擦れる音は、団欒の時を象徴しているようで聴いていて飽きない。ベーコンエッグを切り分けて口へ運ぶ度、卵の濃厚な甘みとベーコンの塩気を含んだ脂が絡まり合って舌先で蕩けた。プレートの上にとろりと流れた半熟の黄身には温野菜を絡めて食べる。これが下手なドレッシングをかけるよりも美味なのだ。



「御馳走様でした」

 食べ盛りな年頃であることを慮ってか、平均よりも少し多めに用意された食事をぺろりと平らげるとジョルノは口の端をナプキンで拭った。一見細身のために少食であると思われがちだが、こう見えて彼は人よりも食欲が張っている方だ。
 すっかり空になった食器を下げ、身支度を整えるためにダイニングを後にしようとドアノブに手をかける。金の長髪が無造作に揺れるその背にああそうだ、と思い出したように引き止めの声が掛かった。

「ジョルノ、今日はいつ頃帰って来られるかな」
「……? さあ、行ってみないことには分からないですね。どうかしましたか」

 普段は帰宅時間のことなどさほど気にされたことはない。訝しんで訊ねると、父はうん、と頷いたあとで小さく唸った。その真剣な様子に何か困り事でもあるのかと一瞬眉を潜めたが、返ってきたのは予想外の答えだった。


「実は夕飯にローストビーフを作ってみようと考えていてね。前に食べてみたいと言っていただろう? あとはタコを使ったシーフードサラダも。確か好物だったよね」
「は」
「君が忙しい身であることは重々承知しているのだけれど、たまには夕食も同席したいなあ。駄目かな?」

 ぱち、と一度だけ瞼を上下させてからまじまじと父の顔を見た。
 一呼吸置いてから、じわじわと込み上げる笑いを必死に噛み締める。何か大事な用でもあるのかと思ったらこれとは、完全に不意打ちだ。

「………………ぷっ」

 父にとってみれば充分に大事な用件なのだろう。そして勿論、自分にとっても。

「あの、ジョルノ?」

 何も言わずに肩を震わせる息子に対し、父――ジョナサンは困惑したように眉を下げた。何かおかしなことを言ったかなあ、そんな心の声が背後に浮かんで見えるようで、こんなことを口にしたら怒り出すだろうから言えないが、正直ひどく微笑ましい。

「すみません何でもないです。……そうですね、それなら今日は出来得る限り早めに上がれるようにします。万が一難しいようならその旨を連絡しますので、とりあえずは僕の分も準備してもらっていいですか」
「勿論! それじゃあ楽しみにしてておくれ、張り切って作るから!」

 にこにこと笑う様にこちらの口角も自然と緩む。
 ジョルノは同年代の少年と比べるとさほど感情表現が豊かではなく、むしろ何を考えているのかよく分からないと仲間内から突っ込まれることも多々あるのだが、どうしてかジョナサンを前にするとごく当たり前のように笑みが零れた。太陽のような人だといつも思う。こんな喩えをしていると知れたら、「あの人」は恐らくものすごく不機嫌になるのだろうけれど。

「引き留めてすまなかったね。すぐに出るのかい?」
「ええ、準備ができ次第」
「なら、行くときはディオにも声を掛けていくようにね」
「まだ寝ているでしょう、あの人は」
「こういうのはたとえ相手が眠っていたとしても、きちんと声を掛ける方がいいよ」
「……分かりました」

 色々と思うところが無いわけでもなかったが、諭すような微笑みで言われてしまっては反論する気も起きない。無駄に食い下がる必要もなかったので、この場は大人しく頷いた。

「それじゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい、ジョルノ」

 195cmの男性がエプロンをつけて洗い物をしているというのも、中々にシュールな光景だなあと思いながら。




* * *



 家の二階の北側、一番陽が当たりにくい位置にその部屋はある。自室で手早く身支度を済ませたジョルノは、鞄を片手に入り口の前に立っていた。
 部屋の主の言を借りれば当たりにくいかどうかという以前にほんの一筋でも陽の光が入ることが気に食わないらしく、初めてここへ移り住んだ時には地下室を自室にするか否かでジョナサンとは随分揉めていた。地下室は乾燥機を設置して洗濯物を干す場にするつもりだから、毎日吊るされたタオルやシーツや衣服に囲まれて暮らしたいのなら好きにしたらいいというジョナサンの脅しに折れたときの様子はなかなかの見ものだった。幼少期を過ごした日本と違い、欧州では街の景観を損なわないようにする為、洗濯物は外には出さないのが基本である。元々そんなに湿度が高くないので、室内に干したところでカビるということはほぼ無いのだ。

(それでもまあ、こんな部屋じゃあカビくらい生えてもおかしくはなさそうですけど)

 重厚な黒塗りの木製ドアを軽くノックしてから開ける。遮光カーテンにプラスして暗幕まで掛けられた部屋は朝だというのに殆ど暗闇で、入り口の傍と枕元付近に置かれたオイルランプだけが唯一の光源だ。日光は勿論のこと、電気を使った照明もあまり好きではないらしい。許せるのは月光くらいだと言っていた。それだって元を正せば太陽光から来るものではないのかと問うてみたが、曰く「月を介すことによって忌々しい波紋が消える」らしい。吸血鬼の言い分はよく分からない。
 天蓋付きの無駄に豪奢なベッドは中央部が人の形に膨らんでいて、誰かがそこに横になっていることが分かる。今の時期の夜明けは確か午前5時頃であった筈だから、まだ床についてから1、2時間程しか経っていないだろう。

「……行って来ます」

 てっきり熟睡しているかと思ったが、声を掛けると寝台の膨らみがもぞ、と動いた。ややあってから長身の人影が僅かに身を起こす。暗闇でも尚爛々と輝く紅い眼と、さらりと揺れる自分と揃いの金の髪。

「……もう出るのか」
「もう、ではないです。通勤通学の時刻としては至極普通ですよ」

 嘗てはこの人も只人であったと言うから、そんなこと位分かりそうなものだが。或いは百年もの年月が経てば、そういう生活体系にも些かの差が生まれるものなのだろうか。

「話は聞いたか」
「何のですか」
「アレがやけに張り切っていただろう」
「ああ、今日の夕食のことですか。聞きましたけど、それが何か?」
「ならいい。俺は寝る」

 受け答えになっていない。
 一方的に問い掛けて、知りたい情報を得たらすぐに会話を打ち切る様は身勝手で腹立たしい反面、自分もひょっとしたらこんなんなんだろうかと考えさせられる。この間ジョナサンから「ディオとジョルノはやっぱり似ているね」と言われた時は地味にショックだった。外見だけでなく性格もどこか似ているよ、と追い討ちを掛けられたときは暫くこっそりと凹んでいた。自分はここまで傍若無人ではない、はずだ。きっと。ジョルノは心の中で何度も言い聞かせるように繰り返した。

「ハルノ」
「はい?」

 これ以上悶々とするよりもさっさと出てしまおうと戸を閉めた、その閉まるか閉まらないかというタイミングで再度寝台から声が掛かった。不意を衝かれたために語尾が変に上がってしまう。

「帰りに大通りの洋菓子屋に寄れ。青い屋根に煉瓦の壁で――そう、確か斜向かいに花屋がある。店名は忘れた。あいつの名で注文を入れてあるから受け取って持って来い。金は後で渡す」
「何ですかそれ。自分で行ったらどうです」
「あの店は5時には閉まる。今の時期はまだ残照がある」

 忘れるなよ、と言い捨てて今度こそ金髪紅眼の吸血鬼――ジョルノのもう一人の父・ディオは眠りに就いた。こうなってはこちらがいくら喚こうが意味はない。腹立ち紛れに部屋中のありとあらゆる物を鶏に変えてやろうかとも思ったが、ジョナサンに迷惑が掛かるのでやめた。それにもう時間が時間だ。無駄なことをしている暇はない。

「何だって言うんだ……、全く」


 やはり声など掛けずに行けばよかった。どうしようもない苛立ちを感じながら、ジョルノは足早に玄関へと向かった。



* * *



「どうせ父さんの血以外は口にしないくせに洋菓子屋って。ケーキでも注文したっていうんですか。全くもって無意味です。無駄です。無駄無駄」

 パッショーネの保有物のひとつ、事務所として使用しているとある建物の一室。
 書面に目を走らせながら珍しく饒舌に語るジョルノの表情を、ミスタとフーゴは何とも言えない顔で眺めていた。よくナランチャなどに「何考えてんのかわっかんねぇ」と評されている顔が、今は分かりやすい程に不機嫌だ。普段は妙に大人びた立ち振舞いをしているが、こういう顔をすればちゃんと年相応に見えるものなのだなとこっそり感心する。

「折角父さんと和やかな一時を過ごして良い気分に浸っていたのに台無しだ。……ちょっと、聞いているんですか二人とも」
「聞いてるさ。なあ?」
「勿論。挨拶をしたのに返して貰えなかったものだからむくれているという話でしょう」
「聞いてませんね」

 ばさ、と書類を投げ出してジョルノは机に頬杖をついた。形のいい口元が掌の圧力を受けて歪んでいる。彼がこんなに感情を露わにするのは、決まって彼の父親達に関する事柄のみだ。

「あまり雑に扱わないで下さいよ。ブチャラティ達が帰るまでに処理しなければならないものでしょう、それ」
「もう終わってるからいいんです。なんなら中身の暗唱もできますよ」
「早ぇなオイ。ちったあその処理能力分けろよ。ってーか、そんだけ出来るならオレがやんなくてもお前らだけで充分だろ! オレを解放しろッ! でなきゃ今からでもナランチャ達と交代させろ!」
「駄目です」
「仮に本当にナランチャを呼び戻して君と代わったとして、それで仕事になると思いますか? 単純な掛け算すら出来ない相手に経理の書類なんか見せたら、最悪頭が爆発しますよ」
「けどよぉ、ナランチャはともかくアバッキオだったらオレよかよっぽど役に立つだろ。替わったほうが良くないか、マジで」
「ミスタ、君はブチャラティの話をちゃんと聞いていなかったのか? 今回はアバッキオのスタンド能力が必須なんだと言っていただろう」
「……聞いてたけどよ」
「無駄な望みは持たないほうがいいですよ、精神衛生上」
「……くっそ」

 ここ数日程、ブチャラティはナランチャとアバッキオを連れて所用に出ている。残されたジョルノとミスタ、フーゴ達はというと、溜まりに溜まった事務作業に追われていた。
 前ボスのディアボロを退けたことにより、組織内でのジョルノ達の立場は大きく変わった。以前のように割り振られた仕事をこなすのではなく、上に立つものとして様々な事柄の統括をしなければならない。近隣の界隈での麻薬横行の監視、他組織の様子、財源の管理エトセトラエトセトラ。報告書の類は山となって机に積もり、しかも毎日新しいものが追加されていくのだ。デスクワークを得意とするジョルノやフーゴは兎も角、割を食う羽目になったミスタは何でオレがこんなことしなきゃなんねーんだ、と朝からずっと愚痴を零していた。

「とにかく、そういう訳なので今日は早めに上がらせてもらいます。あの人のことはさておき、父さんにお願いされたことなので」
「まあ、オレは別に構わねーけど。どうなんだ?」
「いいんじゃあないですか、自分のノルマさえクリアしていれば」
「わかりました。ならとっとと終わらせます」

 了承の言葉を受けたジョルノは小さく息をつくと、すっと表情を消して残りの書類に手を伸ばした。そこに先刻までの少年らしさは欠片もなく、さながら冷徹な機械のように次から次へと処理済みの紙束を積み上げていく。

((うわあ……))

 その恐ろしいまでの集中ぶりに、端で見ていた二人は密かに舌を巻いた。



 結局ジョルノはそれから普段の倍以上のスピードで仕事をこなし、更には自分以外の担当分の書類まで処理すると本当にとっとと帰路に就いてしまった。後に残された二人は最早感心半分呆れ半分といった顔で彼の成果を確認している。その作業すら無駄だと感じるくらい、どこにも誤りのない完璧な仕事振りだった。

「相っ変わらず、父親絡みのことになるとユカイだなぁあいつは。あれがファザコンってやつなんかな」
「天下のパッショーネの新たなボスがファザコンとは、ぞっとしない話ですね」
「いいんじゃあねーの、おもしれーし。それよかお前気付いてた? フーゴ」
「ええ、勿論」

 ブラインド越しに窓から差し込む斜陽は橙色の矢となって網膜を眩しさで灼いていく。確かにこの光の中を歩いては、いくら夕暮れ時と言っても吸血鬼の身体ではひとたまりもないだろう。柱時計の短針はローマ数字の5を指すまであと30分ほど余裕がある。


「うちのボスは殊の外、自分自身のことには鈍い」




* * *




「……それでそのまま送り出したっていうのかい?」
「お前は頭脳がマヌケか? さっきからそう言っている」
「いきなりそんなことを頼まれたって、ジョルノがびっくりするだろう。それに本人に取りに行かせるというのもどうかと思うし、ましてや君の口から洋菓子屋だなんてあまりにも不釣り合いすぎて、揶揄われたかと思って取りに行かないかもしれないじゃあないか!」
「相変わらずさらりと毒を吐くな。お前がどうしてもと言うから力添えしてやっているのに」
「だからって、もっと言い様ってものがあっただろう!」

 外界からの光が遮断された薄暗い部屋の中で、ランプの灯りだけが仄かに辺りを照らしている。漂う空気に微かに甘さを感じるのは、混ぜられた香油のせいだろう。薔薇の香りに包まれながら、つい先刻目覚めたばかりの吸血鬼は長い睫毛を気怠げにしならせながらゆっくりと瞬いた。

「気付かれたらどうするんだい、全く」
「杞憂だな。……どこぞの誰かに似て、アレは自分のことには鈍い」
「え?」
「ともかく、俺はお前が頼んできたことは全て叶えてやっただろう。これ以上何が望みなんだ、強欲者め」
「君にだけは言われたくない言葉だ」

 呆れ果てるジョナサンの身体をぐい、と引き寄せると、ディオは長い爪先でなぞるように首筋に触れた。常人よりもはるかに鋭く発達して牙と化した犬歯を動脈の上に当て、血を啜る振りをしてくつくつと喉奥で笑う。

「ところでジョジョ。このDIOを巻き込んだからには当然、それなりの見返りは用意してあるんだろうな?」
「どうせ僕が動かなくても、自分で何かするつもりだった癖に」
「煩い」
「ふふ。……そうだな、この後料理の支度を手伝ってくれるのなら、今夜は君の好きなだけ血を吸っていいよ。但し最低限の加減はしておくれよ、僕は君と違って明日も仕事が沢山あるのだからね」

 ジョナサンはディオの金糸をくしゃりと柔らかく掻き回すと、そのまま撫でるように頭部をぽんぽんと軽く叩いた。途端に皮膚に触れていた牙の尖りがするりと引っ込み、代わりに少しだけ湿り気を帯びた唇が肩口に寄せられる。お互いの腕を背中に回し合い、暫しの間互いの体温を分け合っていた二人だが、不意にジョナサンがああそうだ、と思い付いたように声を上げた。

「ディオ、今度からオイルの種類を変えてみないかい?」
「……何故」
「何となく。こういう甘い香りもいいけれど、もう少し爽やかなものもたまにはいいかなあって。ミントとかカモミールとか」
「却下」
「何故?」
「何となくだ。……銃弾か何かが飛んできそうな気がする」
「なんだいそれ」




* * *



 注文されていた品はいかにも高級そうなガトーショコラとカスタードプリンだった。焦茶のスポンジ生地に散らされた粉砂糖とアラザンが雪のようだ。プリンは瓶詰めの状態にカラメルと生クリームがたっぷりと掛かっていて、どちらも大好物であるジョルノは思わずごくりと生唾を呑み込んだ。
 白地に金文字で店名が印された箱が更に薄紅色の不織布で包まれ、縦縞と王冠模様があしらわれた紙袋に入れられる。そこまで梱包する必要はないと言ったのだが、このように承っておりますとにこやかに告げられた。釈然としない気持ちのまま荷を受け取って店を出る。
 つい先程まで橙色をしていた夕陽は燃え立つような茜となり、空の裾を染めている。この分では家に着く頃には夜の帳が降りているかも知れない。夕暮れの喧騒を背に受けながら、ジョルノは歩む足を速めた。


「ただいま帰りました父さん。……なんだ、貴方もいたんですか」
「なんだとはなんだ」
「なんでもないです」
「おかえりジョルノ。丁度夕飯が出来たところだよ」

 帰宅したジョルノを出迎えたのは、テーブル一面に並べられた料理の数々だった。
 グレイビーソースの掛かったローストビーフは付け合せのヨークシャープディングや緑黄野菜と共に皿の上でくてりと上品に横たわり、スープ皿には湯気の立ったオニオンスープが黄金色に輝いている。食卓の中央にはジョルノの好物であるタコの入ったシーフードサラダが大きなボウルに盛られていて、ケッパーやサウザンなど多様な種類のドレッシングと取り皿が用意されている。他にもチーズがじゅうじゅうと音を立てる熱々のピッツァ・マルゲリータやたっぷりのバジルソースが絡んだジェノベーゼ、シチリアレモンを添えた魚の香草焼き、更にはそれぞれの席の前には小さな花が活けられていて、まるで祝い事か何かのようだ。

「これは……凄いですね。ここまで豪勢にするなんて、ひょっとして何かあったんですか?」
「それについてはこれから教えてあげるよ。まずは座って」
「はっ? ちょ、あの」

 荷物を受け取ったジョナサンにほらほら、と背中を押され、何がなんだかわからないままに腰を下ろす。ちなみにディオはとっくに着席しており、椅子の背にもたれながら偉そうに足を組んでいた。眩しさを厭う彼に配慮してか蛍光灯は燈されず、代わりにあちこちに置かれた燭台やランタンが室内をゆるやかに照らしている。
 ジョルノに続いて席に着くと、ジョナサンはさて、と前置いてにっこりと微笑んだ。

「お祝いをしよう、ジョルノ」
「……え、」
「だから、お祝いさ。僕ら家族の記念日に」
「記念?」
「ハルノ」

 いつの間にかワイングラスを手にしていたディオが口を開いた。そういえばこの人、父さんの血以外にもアルコールだけは嗜むのだったか。何かあると飲まずにはいられないとかアル中のようなことを以前言っていた気がする。



「じきにお前の誕生日だろう」



 ややあってから、ジョルノはぱちくりと目を見開いた。普段は冷静沈着で通っている息子の珍しい表情に、ディオはふん、と鼻を鳴らす。

「外見は私似だと思っていたが、そういう間の抜けた面をするとコレ寄りだな。今にそのでかい目が零れ落ちるぞ」
「こら、そんな言い方をしない。アレとかコレとか、人に対して使うものじゃあないって何度も言ってるだろう」
「知らん。俺は人ではないのだから関係ない」
「まったく! ……そういうことなんだ、ジョルノ。どうしてもお祝いをしたくてね、ディオにも色々協力してもらったんだよ」

 人間とは一般的に予想外の事態に遭うと言葉を失うものだが、ジョルノもその例には漏れることはなかった。何かを言おうとして口が半開きになり、結局何も言わずに閉じてしまう。ゆらり、とディオの手の内のグラスで揺れるワインがまるで嗤っているようだった。ジョナサンは相変わらずにこにこと微笑んでいる。
 このようなサプライズなど、ジョルノは生まれてこの方経験したことがなかった。それ故にどんな顔をしていいものか未だに判別がつかない。

「……それじゃあ、あのケーキは」
「誕生日といったらバースデーケーキだろう? 本当はホールで買うつもりだったのだけれど、そんなにいらないだろうってディオが止めたんだ」
「当然だろう。常識で物事を考えろ」
「君には絶対に言われたくない」
「……僕の好物ばかりなのも?」
「頭の回転の鈍さまでこいつに似たか?」

 答えようとしたジョナサンを制し、ディオはくく、と口角を上げた。世のすべてを見下すように片肘をつくその様が、今日ばかりはどうしてか嫌味に感じない。

「誕生日おめでとう、ジョルノ」
「…………ッ」

 喉奥に何かが支えたように声が出なくなり、辛うじて搾り出せたのは何とも弱々しい「ありがとうございます」だった。顔面に熱が集結しているのがよく分かる。こんなにも照れ臭い気持ちになったのは初めての事だった。

「さあ、冷めないうちに食べてしまおう。このグレイビーソースはディオが作ってくれたんだよ」
「えぇ?」

 驚愕と共に見遣ると、吸血鬼はしれっとした表情でグラスを傾けている。普段から自分は万能だの何だのと謳っていたが、まさかこんなものまで作れるとは。
 綺麗に焼き上がったローストビーフは肉の柔らかさとソースの旨味が一噛みごとに口の中で溶けていく。タコがふんだんに入ったシーフードサラダは歯応えが絶妙で、シャキシャキした水菜の瑞々しさが風味をより引き立てる。ピッツァやパスタなどのメニューもどれも非常に美味で、こんなに食べられるだろうかと最初は少し不安だったが、結局は殆ど平らげてしまった。僅かに残ったものは保存してまた明日食べるらしい。とりあえず肉は出来ればサンドイッチにしてほしい、とリクエストを出した。





「そうだジョルノ。これを」

 ダイニングからリビングへと場を移し、ソファでゆったりと食後の茶を飲んでいると、ジョナサンは天鵞絨の張られた濃紺の小箱を取り出した。ジョルノが受け取って中を見ると、鮮やかな赤い石の付いた白銀のタイピンがきらりと輝いている。

「それもディオが選んでくれたんだよ。僕はそういうのには疎いものだから、何が君に似合うのかさっぱり見立てられなくてね。どうだい、素敵だろう?」
「はい。……ありがとうございます」

 ジョナサンに微笑んで頷いた後、ひとり離れた席で本を読んでいたディオにも礼を述べる。ほんの少しだけ視線を寄越すと、ディオはすぐに手中の頁に意識を戻してしまった。しかしよくよく見てみると、その口元が平生よりも僅かに緩んでいることに気が付く。
 惜しみなく愛情を注いでくれるジョナサンとは対照的に、ディオはこれまで特別ジョルノに何をしてくれたということはない。生活のリズムも根本的に違うため、一緒に住んでいるとは言っても一日に一度顔を合わせればよい方で、ジョルノの状況如何によっては何日も会わないこともざらだった。そもそもディオ自身がジョナサンさえ居ればそれでいいといった理念の下に行動しているため、自分のことは大して気にも掛けていないのだろう、と思っていた。今日までは。
 自分はひょっとすると、もう少し自惚れてしまってもいいのかも知れない。


「嬉しいです、とても。……こんなことは初めてで、上手く言えないんですが……本当に、嬉しい」
「なら、これからもたくさんお祝いをしよう。今までの分を取り戻すくらいに。ね」
「はい」

 ジョナサンの手は暖かくて大きい。その手がふわふわと自分の頭を撫でる度、ジョルノは深い安らぎに包まれる。殴るのでも撲つのでもない、慈しみだけが込められた掌の感触というのはどうしてこうも心地良いのだろう。
 かつて母はジョルノのことを可愛げのない子ね、と言った。義父はお前のその澄ました顔がムカつくんだ、とジョルノを虐げた。自分は大人には、親には愛されることなどないのだろうなとその時に悟った。しかしどういう訳か今、ジョルノは二人の父親に囲まれて誕生日を祝われている。百年前の英国紳士と吸血鬼に。

「……本当に、面白いですね。僕の家族は」

 父譲りの意志の強い目を細め、ジョルノはふわりと微笑んだ。



end.

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