七番目の檻


 ただひとつだけ、あの男が持たないものを持っている。






「――それじゃあおやすみ、レーゼ」

 いっそ爽やかとも呼べるほどの声音で言い捨ててその場から去って行く後ろ姿を物陰から確認し、その人物がたった今出てきた部屋の扉を開けた。
 途端、血と精の生臭さが鼻を襲う。


「レーゼ様……おきてますか」

 臭気に当てられて一瞬だけ声が詰まった所為で、聴きようによっては「いきてますか」と響いたかも知れない。それに反応したかどうかは分からないが、薄暗い部屋の中央で微かに蠢く気配があった。

「明かり、点けますね」

 返答は聞かずに電灯のスイッチを入れる。グローランプがちかちかと瞬いた後に灯った蛍光灯の白い光に照らし出された肢体は、見るも無惨な有様だった。

「今日も酷くやられましたね」「でぃ、あ、む」
「声もガラガラ。……随分啼かされてましたもんね。大丈夫、無理して喋んなくていいですよ」
「……う」 

 赤と白の液体に塗れ臥すレーゼ様をゆっくりと起こし、予め準備していたタオルを取り出す。洗面器に温めの湯を張ってそこに浸し、軽く絞ってから汚れた身体をそっと拭いていった。

「っ……」
「沁みますか? 少しだけ我慢して下さい」

 痛みに顔を歪めたレーゼ様にそう告げて、後は淡々と手を進める。もうすっかり慣れきってしまった一連の動作。
 こびり付いた情事の痕跡を拭い、乱れた髪を丁寧に梳く。虐げられ弄ばれて、ボロボロになったこの人を介抱すること。
 衣服を引き裂かれ露わになった肌には真新しい傷があちこちについている。噛痕、爪痕、打撲痕に吸痕。レーゼ様の身体に記されたあいつの存在。

 そのひとつひとつに、唇を落とす。

「あ……ディア、ム……」
「痛かったですか?」
「……いや、」
「なら、力を抜いていて下さい。いつも通り気持ち良くしてあげますから」
「…………」

 少しだけ、惑うように眉を下げたレーゼ様の頬に口づけて、そのままするすると項を辿る。無数の傷を舌でなぞり、胸部や腹部の敏感な箇所にゆるりと触れた。

「んっ、あ……」
「レーゼ様……」

 艶めいた声が血の気を失って渇いていた唇から漏れる。

 そう、これこそが俺の本当の役目。傷付けられた身体を清めるだけでなく、その心をも癒すこと。暴虐を一身に浴びたこの人をどこまでも甘く、溶かすように抱いてあげるのだ。
 犯すのではなく、抱く。苦痛ではなく快楽を注ぐ交わりでレーゼ様を満たして、つい先刻までの陵辱の記憶を俺との行為で塗り替えるのだ。



「ああ、こんなに腫れてる。ほんと縛るの好きですねあの人」
「ひっ、ああぁ!」

 くっきりと縄痕が残る局部は赤く膨張して痛々しい。既に勃ち上がった眼前のそれを躊躇いなく口に含み、舌や頬裏の粘膜を使って快感を与えた。びくびくと跳ねる腿をそっと押さえ、丁寧に丁寧に舐めていく。一方で先程の湯に指先を浸け、散々穿たれたであろう秘部に一本ずつゆっくりと沈めていった。

「あっ、あっ、ああぁ……」
「辛いなら言って下さい。今日は挿れないようにするんで」
「……へい……き、だ」
「分かりました。それならもう少しだけ、我慢出来ますか」
「…………、」

 弱々しく縦に振られた頭を片手で引き寄せて唇を合わせ、もう一つの手はそのまま下肢を拓いていく。手酷く暴かれて裂けたそこを出来うる限り刺激しないよう、細心の注意を払ってゆっくりと。舌の上で交わる唾液を嚥下し、同じだけの量を熱い咥内に流し込みながら。

「ひ、あう、ふぁ……っ」
「大丈夫ですか? ゆっくり息して……」

 呼吸に合わせてレーゼ様の胎奥、最も強く感じる点を指先で押しては離し、離しては押す。漣のような快楽を与え続け、乱暴な攻め立てに慣れてしまったこの肢体を文字通りに愛撫していった。

「は……、でぃ……あむ、ディアム……っ」
「気持ち良いの? レーゼ様……」

 レーゼ様の目元が愉悦の涙に濡れてきたのを確認して、俺は殊更優しく微笑んだ。ぬる、と糸を引きながらぬめる指を引き抜き、瞳と同じに雫を零している屹立を扱く。根元から先端までやわやわと、手中で転がすように。
 ぐずぐずと愉悦に融けて下肢をしとどに濡らしたレーゼ様は、もう堪えきれないと言うように腰をくねらせた。この人はこんな舌や指の刺激だけではとうに足りなくなっているのだ。身体の奥底から湧き上がる淫らな欲望に抗いきれず、悩ましげに眉を寄せて。だらしなく涎を垂らし、紅潮した舌を覗かせて相手を誘う。

 そう言う風に、あの男に躾られたのだ。


「あ……ディアム……もう……っ」
「焦んないで。今、挿れてあげますから」

 先を挿口に当てるだけで、ひくりと眼前の躯が震えた。そのままずぶずぶと沈めていき、生々しい体温と質量が自身を包んでゆくのを感じる。
 嬌声を上げて悶えるレーゼ様の頬に張り付く髪をそっと掻き分けながら、俺は頭の片隅で熟した果実に爪立てる様を思い浮かべた。今にも形を失って崩れてしまいそうな程柔らかなそれに、慎重に、しかし確実に指を入れ、皮を剥いで果肉を裂き、溢れ出る汁を飲み下す。
 最後の一滴まで残さずに、すべてを食らいつくすのだ。

「ぁあっ……ぅうあぁ……っ」
「レーゼ、さま……ちから、ぬいて、楽にして……っ」

 既に内部は充分解してあるが、やはりまだ少し苦しそうだ。レーゼ様の呼吸に合わせてゆっくりと奥まで挿し入ってはそこで止まり、少ししてから引く。また進んで、止まって、戻る。一連の動作を繰り返すうちに、段々とレーゼ様の顔に残る苦悶の表情が消えてゆき、淫靡な色に占められていった。
 その頃合いを見計らって、徐々に律動のスピードを上げていく。それまで支えていただけの細腰をしっかりと掴み、先端で触れるだけだった最奥を穿つように突く。決して傷付けることのないように最低限の加減をしながら。

 ぎちぎちと絡み付く内壁に、今ここに在るのが誰なのかを知らしめる。

「ひっ、うぁ、ああぁああ……っ!」
「は、レーゼさま、いきそう……?」
「い、……くぅ、んぁあっ!」
「い……ですよ、出しても……、俺はっ、お仕置きとか、しませんからっ!」

 そう告げた瞬間、齧り付くようにしてレーゼ様が俺の首にしがみついてきた。一際高い声が上がり、腹部に飛び散る熱を感じる。同時に締め付けも格段に増し、俺自身も続け様に欲望を放った。



「ふ……ああ……」
「……レーゼ様」
「ん、……ぅ」

 もう一度だけ口付けて、深く腕を絡めて抱き締め合う。暫くしてから離れると不意にくてりと力が抜け、レーゼ様は子供のような無邪気さで意識を手放した。痛みや屈辱に歪んだものではない安らかな寝顔。俺はその眠りが深いことを確かめてから、湯を取り替えて改めて汚れを拭き直した。
 隅々まで清めたところで身体を抱え、寝台のリネンの上に横たえた。前髪を掻き分け、ほんのりと汗の浮かんだ額に唇を落とす。
 ふとその時、静かに閉じられていた唇がまどろみの中で何事かを呟いた。それを耳にした瞬間に俺の中で劫火のような感情が湧き上がり――――すぐに鎮静化する。昏い優越感に浸り、くつくつと喉の奥で笑った。


 レーゼ様の口から紡がれた、自分ではない男の名前。意識を手放した後でも尚君臨する、彼にとっての絶対的な支配者。


 最近ではなくなって久しいが、以前はよくあの男に呼び立てられたものだった。場所はレーゼ様の部屋であったり、そいつの私室であったり。どこだかよく分からない暗い倉庫のような部屋だったこともある。そして俺はそこで延々と、目の前の愛しい人が徹底的に犯し尽くされる様子を見せ付けられた。あいつのものを咥え、しゃぶり、股を開いて腰を振る姿を何度も、何度も。泣きながら悲鳴を上げ、殴られ蹴られては血を流して壊れていくレーゼ様を幾度となく網膜に灼き付けさせられたのだ。

 けれどだからこそ俺は知っている。あいつがどれ程にレーゼ様に執着しているか。レーゼ様の上に君臨しているようでいて、実際に絡め取られたのはあいつの方だ。情事の際に俺を呼びつけることがなくなったのがその証だ。……他人に見せることが惜しくなったんだろう。全てを閉じ込めて抑えつけて、自分だけのものにしたくなったのだろう。

 自分だけに縋り付く、鳥籠の奴隷にしたかったのだろう。

 レーゼ様の全身に刻まれた傷はすべて、これは自分のものだというあいつの主張に過ぎないのだ。そんな男に対して腹の底から笑いが込み上げてくる。
 いくら肉体を蹂躙しても、精神を支配しても、あいつはレーゼ様の全てを手中に収めるには至っていない。現にあいつはまだ持っていないものがある。俺がとうに持っているのに、あいつは未だに手に入れられずにいるもの。そしてこれからもきっと手にすることはないであろうもの。


 小さく寝返りを打った拍子に、レーゼ様の眦から涙が流れた。それを拭って口に含むと塩辛い味が広がって、急激な渇きを覚える。牀榻の縁に腰掛けていた俺は立ち上がって水差しを手に取り、中の水をそのまま喉奥へと流し込んだ。




「ねえ、知ってますか? レーゼ様はね、俺に抱かれるときには自分から縋り付いて来てくれるんですよ――――グラン様」




 誰にでもなくそう言うと、口を拭って水差しを置いた。レーゼ様の元へ戻り、風邪を引かないように薄手のブランケットを掛けてから触れるだけのキスをする。

 そのままそこを後にして、自室に戻るまでの間に他人とすれ違うことがなかったのは幸いだった。
 だって俺はその間ずっと、あとからあとから溢れる嗤いが止まらなかったのだから。




end.




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