無口な彼の雄弁な指先


 彼は転校初日からとても目立っていた。その理由としては多々あると思われるが、一番はやはり彼の容貌が一般的に見てかなり上等な部類に入るからだろう。
 黒に近い焦茶の髪。同じ色の眉やプルシャンブルーの双眸が湛える雰囲気は厳しげだが、男性にしては長い睫毛がうまくそれを中和している。鼻から口元までのライン、それに顔全体を包む輪郭もすっきり整ったバランスで、まるでよく出来た人形のようだった。実際、彼はあまり感情を表に出さない性格らしく、自己紹介を終えて席に着くまでの間、彼は眉どころか睫毛の一本すら動かさなかった。
 身長は標準程だがスタイルがよく足も長い。細身だが華奢だという印象は受けなかった。まるで物語の王子様のような風貌の彼は、姿に違わぬ流麗な声で自分の名を告げたのだった。

「ヒイロ・ユイです。よろしく」



******



 かつてのコロニー指導者と同じ名を持つ転入生は、瞬く間に生徒たち、特に女生徒の注目の的になった。端麗な容姿に加え、学問も運動も秀でているとくれば、人目を引かない筈がない。
 だが彼――ヒイロ・ユイは専ら一人で行動することを好んでいた。部活動の勧誘は勿論、女生徒からの告白も、全て同じ台詞で応対していた。即ち「断る」の一言のみで。理由を尋ねようとしても同じ言葉を繰り返されるだけで、口がさない者は「あいつは人の形をした機械なんじゃないか」などと陰口を叩いたりもした。
 しかし、別段ヒイロ・ユイが嫌われているかと言えばそうでもなかった。話しかければ最低限言葉は返すし、難問の解き方を訊ねれば解説してくれる。体育の授業で同じチームに入れば必ず勝てる。更には家庭科の成績すら満点な彼は、「ちょっと無愛想だけど何でもできるすごい人(少々変わり者)」として親しまれていたのだった。
 



「ねえヒイロ君、この問題教えて」
「ああ」


 いつも通りの簡潔な受け答えの後、質問をしてきたクラスメイト(女子)に淡々と解説をするヒイロを見ていた別のクラスメイト(男子)が、何気なく尋ねた。

「なあ、ユイってさ、女の子に興味ないの?」

 ――その途端、賑やかだった昼休みの教室が一瞬にして静まり返った。

「……あれ? 何で静かになってんの」
「え、だってお前」
「今のは……ねぇ」

 他の生徒たちが頬を引きつらせたり苦笑いをしたりしている中、問題発言をした男子生徒はきょとんとしている。自分の発した言葉がどんな意味に取られるか、深く考えていないのは明らかだ。

「……以上だ。あとは自力で解いてみろ」
「あ、ありがとヒイロ君」

 当の本人はと言うと、クラス中の注目もお構いなしに質問された問題の解説をしていた。

「なー、どうなんだよユイー、ユイちゃーん」
「……俺のことはヒイロでいい」
「あ、そう? そんじゃ遠慮なく。ヒイロくーん」
「“君”もいらない」
「ありゃま。呼び捨てでいいの? やだぁ何だか急に親しくなっちゃった感じーィ?」

 きゃあきゃあと女子の口調を真似て(一方だけが)はしゃぐ彼らに、周囲のクラスメイト達は今度こそ凍り付いた。

「それでさ、結局どうなんだよヒイロ。お前ってば女子に興味ないの?」

(まだ訊くかっ!)

 その場に居合わせた全員がそう突っ込んだが、悲しいかな心の声では人間の耳には届かない。

「……………………別に」
「おっ?」

 てっきり無視を通すかと思われたヒイロ・ユイだが、大方の予想に反して微かに返事をした。しかも意味深な言葉を。

(あのヒイロ・ユイがこの手の話題に反応を返すなんて)
(き、気になる!)

 ハラハラした心持ちで成り行きを見ていたクラスメイト達も、思わず聞き耳を立てた。

「なあなあ、別にってどういう意味だよ? 否定?肯定?」
「……半分」
「またまた意味深なー」

(半分って……)
(どこ? どこが肯定部分なのっ!?)

「生物学的な欲求に関しては、俺は別に一般的な枠組みを超えることはない」
「てことはー、人並みにオンナノコに対しても興味やら何やらはあると」
「……同性か異性かと問われれば後者を選ぶ。それだけだ」

 このとき何人かが女生徒のいる方向から若干残念そうな溜息を耳にしたが、全員気のせいだとして流すことにした。

「じゃあさ!好きな奴はいるのかよ!」
「……………………」
「ここまできたら言っちゃえよー。巷じゃ専らの噂だぜ? ヒイロ・ユイが誰の告白も受けないのは本命がとっくに居るからだ、って」
「……………………」

 この台詞は真実だった。どんな美人からの誘いも断るヒイロには、女性関係について様々な憶測が飛び交っているのだ。だがしかし噂は噂、当事者があまりにも寡黙であるため、誰も本当のところを知ることができずにいた。そもそも普通の人間ならば彼の視線に晒されただけで身の縮む思いを味わうので、とてもじゃないが突っ込んだ会話などできる筈もない。それでいくとこの空気の読めない男子生徒の存在は非常に有難いものだった。

 だが大方の期待を裏切り、ヒイロはそれ以降は全く口を開かなかった。何をどう尋ねようと人形のように押し黙ったまま、鞄から出した文庫本を読み耽っている。

「なー!なんか答えてくれよー」

 無言。

「あんな中途半端な受け答えで止めるなんてずるいぞ!」

 無言。

「なんも言わないならお前のことムッツリスケベって認定してやる!」

 ひたすら無言。

「……そろそろ泣きたくなってきたんだけど」

(馬鹿!ここまできたらもうちょっと粘れよ!)
(そうよ、諦めないで!)

 反応がないどころか自身の存在をないものとして扱われ、流石に弱気になってきた男子生徒に、その他のクラスメイトは必死にエールを送った。無論心の中で。

「じゃあせめてこれだけは教えてくれ!お前の好みのタイプは!?」

 とうとう音を上げた男子生徒を尻目に、ヒイロは読み終えたらしい文庫本をぱたりと閉じた。そのまま机の上の筆記用具などと共に鞄にしまい始める。

「あ。おい、どこ行くんだよ」
「別に」

 次の授業は自習だった。恐らくどこか人気のない処へ移るつもりなのだろう。

「ちょっと待てって、頼むよ、このままじゃ気になって眠れねえよ」
「なら寝るな」
「ひどいっ!せめてちょっとだけ、有名人とかでもいいから!」

(うんうん!)

 最早男子生徒の叫びはクラス全員の叫びだった。そんな空気を知ってか知らずか、ヒイロは手早く荷物を纏めると足早に教室の出入口に向かった。
 だが、そこでふと足を止め、くるりと振り返ると徐ろに右手を上げた。人差し指だけが伸ばされた、所謂指差しと呼ばれる状態で。
 その指先は丁度、質問攻めをしていた男子生徒……を通り越して、窓の向こうの市街地を示している。

「……へ?」
(??)

 誰もが疑問符を浮かべたまま反応できずにいると、ヒイロは無言のまま今度こそ教室を後にした。

 一体あれはどういうことだったのか、クラス中が暫し困惑していた――が、やがて誰かが「あッ」と声を挙げた。
 その声を皮切りに、皆が窓際へと詰め寄る。

「あれは」
「まさか」
「ひょっとして」

 透明なガラス窓の向こう。遥か彼方に外壁とそれに沿ったビル群が臨めるコロニーの中心市街地にある大きなディスプレイ。
 そこには“宇宙で最も有名な少女”、リリーナ・ドーリアンの演説の様子がまざまざと映し出されていた。




******



 転入生、ヒイロ・ユイ。
 かつての伝説的なコロニー指導者と同じ名を持ち、成績優秀・運動神経抜群・容姿端麗ながらも無口で無表情な彼は、今ではこう呼ばれて親しまれている。
 曰く、「ちょっと無愛想だけど何でもできるすごい人(ドーリアン外務次官の大ファン)」と。






end.



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