Cinnabar 緋色の空に燃え上がるような紫雲がたなびく。その吸い込まれそうな程の美しさ。 あかがねの光は辺り一面を染め上げて、まるで自分達が夕陽の中に溶け込んでしまったかの如き錯覚を覚えさせた。 その幻想的な景色の中、微かに漂う匂い。コトコトと柔らかな音と共に。 夕餉の香りだ。 「たまには夕方の散歩も良いねー……」 「そうだね」 しみじみと呟いたナツミの隣から、静かな肯定の返事が返ってきた。繋がった手をぎゅっと握ると、同じだけの力で優しく握り返された。 散歩をしないか、と言い出したのはナツミの方だった。 特に理由は無い。敢えて言うなら、その日の夕焼けがいつもよりも綺麗に思えたからだった。 いつも何かにつけて二人で外出していたが(その度にフラットの面々からは『今日もデートか』などとからかわれたが)夕方に出掛けたのは今日が初めてだった。 活気に満ちた昼間とは違い、どこか物寂しさを纏った雰囲気。それは逆に隣を歩く人物の存在を際立たせ、故にいつも以上に彼を近くに感じられる気がしてナツミは我知らず胸がふわりと温かくなった。 「綺麗な空だねー」 「ああ」 それきり、二人は口を噤んだ。 温かな沈黙が訪れる。 ゆっくり、ゆっくり。互いの手から伝わる温もりを噛み締めて、二人は歩みを進めた。 どうしてだろう。 こんなに、ただ歩いているだけなのに。 『しあわせだね』 そう、声にならない声で呟いた。 「え?」 「なんでもなーい」 今何か言ったかい? とキールが目で尋ねる。ナツミは僅かに赤くなった顔を誤魔化すように横を向き、おどけた声で返事をした。 (流石に、ちょっと照れくさいんだもん) “好き”などといった台詞は、そりゃあ二人きりのときぐらいは言ったりすることもある。……たまに。 それでもやはり恥ずかしさは拭えない。まして、 (あなたと一緒で幸せです、だなんて言える訳ないじゃない) そんなこんなでナツミは先程の言葉をこっそり自分の中に封印したのだった。 誰かを好きなことが恥ずかしい、とは思わない。でもやっぱり直接相手にぶつけるのは躊躇ってしまう。 いざ伝えようとしても、熱くてくすぐったくていたたまれなくて、頭の中がショートしそうになってしまうのだ。 幼い頃に流し読みした少女漫画が脳裏に蘇る。あの主人公の気持ちが今ならよく分かった。読んだ当初は不思議でしょうがなかった、主人公の告白シーン。トマトみたいな顔で、音跳びしてるCDみたいにどもっていた。 (あたしもやっぱり、オンナノコだったのねー……) 自分は割とサバサバした、どっちかというと男勝りなタイプだと認識していたつもりだったナツミは、新たな自己の発見に小さく嘆息した。 するとそれを見咎めたかの様に、隣の人物から声があがった。 「ナツミ、どうしたんだ?」 「え、あ!? 何が!!?」 不意を突かれたナツミは動転し、思わず声が裏返った。 「何がって、さっきから何だか顔が赤いし、溜め息つくし、困ったような顔してるし、何だか手が熱いし」 「え……」 慌てて繋いでいた手を離し、ナツミは両頬に触れた。――確かに熱い。頬も手も。それに微妙に汗ばんでいる。 色々考えているうちに、心情がオモテに出てしまったということだろうか。 (や、やだあたしバカみたい……!こんなのあたしのキャラじゃないって!!) 突然手を離された上、頬に手を当てて俯いてしまったナツミを前に、キールはキールで疑問符が沢山飛び交っていた。 「どうしたんだ本当に……。まさか具合でも悪くなった?」 「そ、そんなんじゃないの!違うの、ただ考え事してただけだから!ホントにホント!!」 「そ、そうか……?」 力一杯否定されてしまっては二の句も告げず、キールは首を捻りながらも納得したようだった。 (あ、ぶなかった……) まさか自分がオトメチックな考えに浸っていただなんて言える筈が無い。ナツミは胸を撫で下ろした。 そして、ふと俯いていた顔を上げる。 「?」 そこにあるのは、まだ怪訝そうに自分をみつめるキールの顔。ナツミの好きな、水に溶かしたような藍色の瞳と、同じ色の髪。どういう訳かいつも先っぽがツンと跳ねていて、どんなにブラッシングしても直らない。 その髪が、黄昏の光に透けている。 朱と藍とが溶け合う幻想的な光景に、ナツミは一瞬動揺も忘れて心奪われた。 ああ、なんて―――― 「……綺麗だな」 「……へ?」 「いや、今ちょうどナツミの目に夕陽が映っていたから。綺麗だなあと思って」 さらりと言ってのけた藍色の男は、ナツミの視線を受けてにこにこと笑っている。 (え、ちょ、今あたし、あたしもそう思ってたのに!!) えらくアッサリ言われてしまった。何それ。あんたそんなキャラだっけ? 天然タラシ? 頭がぐるぐると混乱しているナツミ。それを知ってか知らずか、キールは更にこんなことまで言い出した。 「さっきから思ってたんだけど、こうしてナツミと一緒に散歩して、夕陽を見て……、それだけで、僕は凄く幸せ者だなって感じたんだ」 「……はい!?」 「僕にとっては、護界召喚師だの、世界を救った英雄だのと騒がれて祭り上げられるよりも、こうして君と歩いていられることの方がずっと幸せで、嬉しいんだ。何だかあの空を見ていたら、つくづくそう思ったよ」 おかしいかな? とはにかむキールを、ナツミはひたすら穴が開くほど見つめていた。 あの、おかしいかなって、キールさん。 あたし正にそのことについてずっと悶々と思い悩んでたんですけど。 柄にもなくオンナノコ思考しちゃってたんですけど。 (ってーかあたしが言おうとして恥ずかしくて言えなかったことをアンタにそんなさらりと言われちゃったら、あたしアホみたいじゃないですかっ!!) 心の叫びをぶつける訳にもいかず。 何とも表現し難い虚脱感に襲われ、ナツミははぁぁ……、と重ーい溜め息をついた。 「な、ナツミ?」 どんよりと俯くナツミを前に、自分は何かマズイことを言ったのかと、キールは焦って声を掛けた。ナツミはもう一度息を吐くと、のろのろと歩き出した。 「あー……なんかもうすっごく疲れた。帰ろ」 「え、ああ……うん」 よく分からないまま、キールはと来た道を戻り始めたナツミの後を追いかけた。そのまま小走りになって隣に並ぶ。 と、目の前にすっと手が差し出された。 「……手」 「え?」 意図が分からず、キールは訊き返した。ナツミは不貞腐れたようにそっぽを向いていて、表情が伺い知れない。 「手、また、繋いで」 「……ああ」 言われて漸く理解する。先刻から離れていたままだったふたりの手は、今またゆっくりと触れ合った。 右手にやわらかな温もりを感じ取り、ナツミは軽く息を吸った。 あーもう。 ばかみたい。あたし一人でぐるぐるして。 (おまけに子供みたいに拗ねてるし) こんなやられっぱなしでは誓約者の名が廃る。 せめて一手。 「……もだよ」 「? すまない、今なんて……」 「あたしもキールと一緒にいられてしあわせっていったの!!」 思い切り大声でそう怒鳴った。反撃の大逆転パンチ。 チラリと横目で見た彼の頬に、夕陽の所為ではない赤さを認め、ナツミはしてやったりと微笑んだ。 end. 戻る |