Azure 「ナツミ、少し話があるんだが……」 そう言って部屋のドアをノックする。コンコン、という堅い木板の音に、しかし返ってくる応えはない。 「……ナツミ?」 開けるよ、と断りを入れてからドアノブを回すと、そこには普段通りの寝台と机、それから細々とした私物があるだけで、肝心の主の姿が影も形も存在していなかった。 「釣りにでも出掛けたのか……?」 もとより活発で行動的な彼女は、少しでも時間が空けばすぐに外出していたが、最近では必ずキールに一言声を掛けてくれていた。けれども今日に限っては、何の誘いも受けてはいない。 せめて何処へ行くのかくらい伝えてくれてもいいじゃないかと、キールは少しばかり凹みながら探し人の所在を尋ねに向かった。 「ナツミ? さあ、どこ行ったのかしらね」 丁度広間で休憩を取っていたリプレに訊いてみたが、どうやら彼女も知らないようだった。手にしていた花柄のマグがコトンと鳴ってテーブルに置かれる。 「そうか……やっぱり釣りに行ったのかな」 「あ、それはないと思う」 「え?」 無意識に零した呟きを否定され、キールはぴくりと片眉を上げた。ナツミの所在については知らないのではなかったのか。 「どうして、そう言い切れるんだ?」 「どうしても何も。さっきまで屋根裏部屋を掃除してたんだもん。そしたらいつもの場所に竿が立てかけてあったから」 いくらナツミが釣りが得意でも、流石に竿なしじゃあ釣れないでしょう。 そう言って笑うリプレの瞳は、まるで自分の中の些細な嫉妬心を見透かしているかのようで、キールはきまり悪げに目を逸らした。たかだか推測を否定されたくらいで、自分の方がナツミのことを理解しているのだと言われた様な気になった。そんな幼稚で下らない思考に、我が事ながら嫌気が差す。どうにもナツミに関わることには心が狭くなりがちだ。 そんな複雑なキールの心情を知ってか知らずか、リプレはずずず、と勢い良く音を立ててお茶を啜ると満足気に息を吐いた。 「どう? この飲み方。ナツミのいたニッポンでは、お茶は音を立てて飲むのが風流なんですって」 「……はあ」 そんなこと訊ねられても反応に困る。 適当な相槌でお茶を濁すと、キールは足早にその場を後にした。 「ナツミぃ? さあ、知らねえな」 幾度目かの祈りもあっさり切り捨てられて、キールは最早気落ちする力も湧かなかった。何しろリプレを皮切りに、これまでエドス、ジンガ、モナティ、エルカ、子供達にまで同じ内容の台詞を言われ続けてきたのだ。 「んだよ、何か急用か?」 「いや、そういう訳じゃないんだが……」 よっ、と掛け声を掛け、ガゼルは手にしていた斧を振り上げた。そのまま勢い良く振り下ろされ、パカンという小気味いい音と共に薪が真っ二つに割れる。 「それなら待ってりゃその内帰って来るだろ。探す必要なんて無ぇんじゃねえか?」 「それは……そうだけれど」 「あぁん? どうしたよ」 ほんの少しだけ顔を顰めて不機嫌気味に答えたキールに、ガゼルはキムランのような訝しみの声を発したが、やがてすぐ合点がいったようにニヤリと口の端を吊り上げた。――ひょっとすると、これは。 「さてはお前、ナツミが自分を置いてどっかに行っちまったもんだから拗ねてんだろ」 「なッ……!!」 突然の指摘にキールは絶句し、次の瞬間にカッと顔全体を赤らめた。その反応が彼の本音を如実にを物語っている。 「図星か」 「――――ッ!!」 拳をぐっと握り締めると、キールは咄嗟に視線を地面へと逸らし、少し早口気味に答えた。 「よ、用があることはあるんだ。少し気になることがあって、それが彼女でなければ分からなさそうなことだから、それで」 「へーぇ」 にやにやと笑うガゼルの視線に、知らず耳朶が熱くなっていく。地面を睨むようにしている視線がひどくぶれていることに、当の本人だけが気付いていなかった。 「と、とにかく知らないのなら用はない! 邪魔したな!」 バサリとマントを翻すと、キールは足早にその場を去っていった。後ろ姿が何とも言えない。そんなぎこちない彼の様子を、ガゼルは呆れ半分、感心半分の気持ちで見送った。 「しっかしあいつ、ホント変わったよなあ」 しみじみとそう呟いてみる。肩を怒らせた去り際の様子に、出会ったばかりの頃のような猜疑心と警戒心は欠片もない。表情はそこまで豊かという訳でもないが、そもそも豊かすぎるナツミと常に一緒にいるから乏しく見えるだけであって、今では先刻のように傍から見ても喜怒哀楽がはっきり分かるようになっている。 「これも偏に誓約者様の力、ってヤツかね……」 自分で言っていて大層馬鹿馬鹿しくなったガゼルは、大きな溜息をひとつつくと、気を取り直すように新たな薪を台に置いた。 「……続きやろ」 今日のサイジェントは好天だ。 青空の下、パカンパカンと軽快な音がフラットの庭に響き渡る。 * * * 「……はぁ」 ガゼルと話した後、自室に戻ったキールはベッドの縁に腰を下ろし、手の内に握っていた小さな紙の包みを見ていた。その中には小さな黒い粒状の物体が幾つか入っている。おそらく何か植物の種だろうが、キールは未だ嘗てこんな種を見たことが無かった。近くの森で誓約の儀式を行っていた際に偶然召喚されてきたものだったが、丁度無色のサモナイト石を使っていたので、おそらくこれはナツミの居た「名も無き世界」の種なのだろうと推測できた。 そもそも何故誓約の儀式など行っていたのかというと、話は少し遡る。 キールは昨年まで、ナツミと共に召喚術を用いたサイジェントの復興作業に携わっていた。「無色の派閥の乱」によって大きな痛手を受けたこの街へ、その原因の一端となったことへの罪滅ぼしという訳ではないが、微力でも手伝えることがあるのならと自ら志願したことだった。本来はひとりで行おうとしたのだが、自分の力を以てすれば、召喚獣を服従させて使役するのではなく協力してもらうことができるからと、ナツミからのたっての希望で二人揃って申し出た。 そしていざ街が復興した暁には、今度は召喚術の研究・監修という名目で働くことを選んだのだ。 それは二度と自分の周りで召喚術が悪用されないようにするための監視でもあり、純粋にフラットの家計を支えるためでもあり、何より自分がそうしたいと願ったからであった。 護界召喚師として比類なき力を得た今、もっと召喚獣――異世界に生きる者たちと、手を取り合って生きる道はないのかと。互いに支え合い、より良い関係を築くことは出来ないのかと、模索したいのだ。 ナツミがそうしているように。 まあそんなこんなで、キールは日々召喚術と隣合わせな生活を送っているのだ。その点だけを見ればナツミたちに逢う前となんら変わりないが、その目的は180°違う。 ちなみに所属については色々と複雑なことになっているが、サイジェントの領主に仕えるという形は取っていない。それはナツミも同様である。自分たちのような存在が権力者の下に就くというのは、どんな理由があろうともやはりまずいのだ。当然城仕えというわけでもなく、日々フラットのアジトでのんびりまったりしながら研究をして、たまに報告をしたりされたりする。それならどこから給金が出ているのかと言うと、その辺は大人の都合である。 とにかくそんな理由から、キールは研究の一環で誓約を行うことがあった。その際に出てきたのがこの種だったということだ。 「……訊いてみたかったんだけどな。これが何の種なのか」 以前『でえと』をした時、彼女は「相互の理解を深めるのは“こみゅにけーしょん”の第一歩だ」と言っていた。その時は意味が分からなかったが、後になって、「お互いのことを良く知ることで、もっと相手と親しくなること」だと彼女が説明してくれた。 それなら、と思った。 (それなら僕は、もっとナツミの事を知りたい。彼女本人のことだけじゃなく、彼女の世界についても。ナツミに纏わるもの全てを知って、もっともっと親しくなりたい) だからこそ召喚術を続ける道を選んだ。誓約者である彼女の支えになれるように。少しでも彼女の立場に近付けるように。 たとえちっぽけな種のことでも、彼女に少しでも繋がるなら―― ぼふ、と音を立てて、ベッドに倒れこんだ。 ほんの少し待っていれば、ナツミは間違いなく帰って来るのに。こんな短い時間を耐えることすら、辛く感じる。彼女のことを知りたくて、彼女の声を聞きたくて、顔が見たくて、会いたくて。 種の入った包みを枕元に置いて、キールはポツリと呟いた。 「……重症だな」 「なにが?」 沈黙。 「――ッ!?」 「ただいまー」 キールはがば、と身を起こし、部屋の戸口でひらひらと手を振っている少女を見つめた。 「な、ど、え、あれぇ!?」 「どうしても何も、用事すんだから帰ってきたのよ。そしたら、キールがあたしを探してるって聞いたから」 混乱したキールの言動を通訳なしに解するのは、ナツミだけの特技である。 「こうして」 彼女はつかつかとキールに歩み寄ると、そのまま隣に腰掛け、 「来たってわけ」 にっこりと満面の笑みを浮かべた。たったそれだけの動作に、キールはそれでも胸を高鳴らせる。 「それで、何かあたしに用?」 「い、いや、用というか。訊きたいことがあって」 「訊きたいこと?」 ナツミはぱちくりと目を瞬かせ、ぐ、と身を乗り出した。 「なに?」 「えと、あの、べべ別にそれは後でもいいんだ。それより」 じっと見つめてくる大きな瞳に、更に心拍数が上がる。彼女は会話の最中に、こうして顔を近づける癖があるので困る。……けど嬉しい。 が。 「どこに行ってたんだい?」 そう口にした瞬間、しゅんと鼓動が収まった。先程まで、彼女がいないことに拗ねて落ち込んでいた自分を思い出したからだ。 急に口を横一文字にして無表情になってしまったキールに、ナツミは一瞬きょとんとした。が、すぐに合点がいったかのような眩しいくらいの笑顔になって、その首根っこに抱きついた。その突然の行動に、キールは思わず奇声を上げた。 「なななッ、なあぁあ!?」 「えっへへへへ」 茹で蛸のようになってしまったキールを余所に、ナツミはとってもご機嫌な様子で笑っている。 「もー、キールったら可愛いなあ。あたしがいないのはそんなに寂しかった?」 「べ、別に僕は……!」 寂しくなんて、と続けようとして、止めた。それがまるきりの嘘であることぐらい、自分が一番よく分かっている。彼女に嘘なんてつけない、ということも。 観念したように息を吐くと、キールはナツミの身体をやさしく抱き締めた。 「……寂しかったよ。外出するのなら、僕も一緒に行きたかった。声を掛けて欲しかった。僕はいつだって、君の傍に居たいのに」 「ごめんごめん。別に意地悪でも何でもなくてね、ちょっとナイショにして驚かせようと思っただけなんだ」 クスクスと笑う声が耳をくすぐる。その言葉も吐息も全てが心地良い。 「内緒って?」 「ほら、これ」 そう言ってナツミがポケットから取り出したのは、小さな包みだった。 「花の種、だよ」 その言葉に、キールは固まった。さながらペトラミアを食らったかのように。 「前に商店街をぶらついた時、花屋さんを見つけたの。キール、園芸なんてした事ないでしょ? だからいつかコッソリ種を買って、一緒に植えようと思ってたんだ」 って、あれ、キール? 聞いてる?とナツミが眉を寄せる。 はっと我に返ったキールは、やがて徐々に肩を震わせ、遂には大声で笑い始めた。 「ふふっ、くっ、あはははっ!」 「ど、どしたのキール?」口付けると、先刻自分が枕元に置いた小さな包みを開いてみせた。 「実は……」 ****** 「これ、アサガオの種だね」 「アサガオ?」 うん、とナツミは頷いた。彼女は手に持ったシャベルで、さくさくと土を均していく。 「夏に咲く花。よく学校の課題で絵日記つけさせられるの。あたしのいた日本じゃ、ごくごく一般的な花だよ」 そんなありふれた花を大人数に観察させる意義はよく分からなかったが、キールはへえ、と相槌を打った。それよりもナツミも知っている花だったということのほうが重要だ。これでまた一つ、ナツミの記憶を共有することが出来たのだから。 やがてナツミは手を止め、この位でいっか、とシャベルを脇に置いた。そして柔らかくなった土に、人差し指でちょこちょこと小さな穴を作っていく。 「ここに種を入れるの」 「こんなに浅くていいのかい?」 「うん。あんまり深いと、芽が顔を出せないからね。こうやって指でちょっと穴を開ける程度でいいんだ」 「へえ……」 「懐かしいなあ。小一だから……十年以上前? こうしてアサガオ植えたのは」 キールはふと、小さいナツミがアサガオを植える姿を思い浮かべた。きっと芽が出るか心配で、毎日様子を見ていたのだろう。 「ちゃんと芽が出てくれるか、もー心配で心配で。毎日様子を見に行ってたの」 やっぱり。 想像通りのナツミの台詞に、キールは思わず笑いを零す。 「あっキールってば笑ってる! 何が可笑しいのよ〜」 「何も? ただ、ナツミらしいなあと思って」 「……褒めてる?」 「勿論」 なんか納得いかない、と頬を膨らますナツミの様子に、キールは目を細めた。 くるくると表情の変わる彼女を、とても愛らしいと思ったから。 「ところで、アサガオはどんな色なんだい?」 その言葉に、ナツミはちょっと迷うように眉を寄せた。 「えっとね……、紫だったりピンクっぽかったり、色々なの。でもやっぱ、一番良いのは……」 ナツミは一旦言葉を切ると、視線を上へと送った。 「空色アサガオかな」 キールもまた、ナツミにならって顔を上向かせる。 「丁度、今日の空の色にそっくり。そういえば、お向かいのベランダのアサガオは凄く綺麗だったなぁ……」 今日の空は透き通るように青い。 空色アサガオを眺めるナツミの笑顔が、キールの心に浮かんだ。 「……早く見たいな」 「え?」 ポロリと零れた呟きに、ナツミが反応して聞き返す。 「あ、いや、アサガオが咲いたところを早く見たいなって」 「うん。そだね」 ナツミは嬉しそうににこりと笑うと、脇に置いていたもう一つの種の包みを手に取った。 「ところでさ、あたしが買ったこの花は何て言うの?」 「ああ、それはバスラムの花だよ」 「ばすらむ??」 聞き覚えの無い単語に、ナツミは思わずおかしな発音をした。込み上げる笑いをなんとかやり過ごし、穏やかな声で説明する。 「小さな赤い花がたくさんできる。実は熟すと、弾けて種を撒き散らすんだ」 「へえ……ホウセンカみたい」 「ほうせんか?」 今度はキールが首を傾げる番だった。 「うん、あたしの世界にも、えーっと、バスラム? とよく似た花があるの」 「ふうん……」 そういえば、とナツミが呟いた。 「アルサックと桜の花もよく似てるし、ひょっとして、リィンバウムとあたしの世界の植物って、何か繋がりでもあったりしてね」 何気なく言われたその一言に、キールは目を見張った。 だって。 もし少しでも、彼女の世界に通じるものが、このリィンバウムにあるのだと、したら―― それは、とても嬉しいことじゃないか。 「キール? ……どうしたの?」 突然固まってしまったパートナーに、ナツミは困惑して問いかけた。キールはそんな彼女をじっと見つめていたかと思うと、やがてふわりと微笑んだ。 「……何も。ただ、嬉しかっただけだよ」 「嬉しい?」 なにが?と聞く前に、ナツミの口は閉ざされた。 キールが自分のそれを、彼女の唇に重ねたからだ。 「……っ!」 「僕は君と、もっと仲良くなりたいってことだよ」 耳たぶまで真っ赤に染めて、ナツミはキールを睨む。 「不意打ちなんてずるい……」 「それはどうも」 「褒めてないっ!!」 吼えるナツミを余所に、キールは上機嫌で植えたばかりの種に水をやる。 (いつか、ここに二つの花が咲く頃にでも) 答えを教えてあげよう。 水やりを終え、キールは隣でまだぶーぶー言ってるナツミの手を取った。 「ほら、もう行こう。手を洗わないと」 「……うん」 ナツミはまだ不服そうにしていたが、不承不承立ち上がると、キールの後について歩きだした。 そのまま、少しだけ無言の時。 「……キール」 「何だい?」 ……呼ばれてキールが振り向いたその時、柔らかなものが彼の唇に触れた。 「なっ……!」 「これでおあいこっ!!」 不意打ちを返され、目を白黒させるキールに、ナツミは勝ち誇ったように笑った。 「これに懲りたら、次はちゃんと了承を得てからするようにっ!!」 ――沈黙。 「……ぷっ」 その、あまりに堂々とした宣言に、キールは耐え切れずに笑い出した。 「はは、ははははっ」 「あはははははっ」 つられてナツミも、声を立てて笑い出す。 二つの明るい笑い声が、しばらく辺りに響き渡った。 サイジェントは今日も好天。 空色の花と小さな赤い花が花壇を彩る日も、そう遠くはないだろう。 end. 戻る |