Wakeful


 眠れない。
 二、三度寝返りを打って、それでも寝付けずにアズリアはもう一度身じろぎをする。
 枕の高さが合わない、とか。少し固い、とか。原因は幾つも出てくるのだが。多分一番の理由は、顔が近くにある所為だと思うのだ。
 静かに閉じられた、やや青みがかった瞼。その上に被さる前髪が、呼吸に合わせてさらりと揺れる。一見硬質な印象のあるそれは、しかし触ると意外に柔らかい。するりと指を通せば、水が零れるようになめらかに滑り抜けていく。
 頬に触れたときはひやりと冷たいのに、唇に触れると仄かに温かく感じるから不思議だ。

 寝台の傍の明かりに照らされ、ぼんやりと紅に透けるその髪を、アズリアは慈しむようにゆっくりと梳いた。

 ――と、その向こうの青い目がすぅっと開かれた。

「あ……起こしたか?」
「ううん。目閉じてただけ」

 そう言って微笑む彼の目は、薄闇の中で深い水底のようにゆらりとたゆたう。
 普通の色彩であれば、赤と青が合わされば紫になる。しかし当然と言えばそうなのだが、彼の髪と瞳の色が交じり合うことは決して無い。溶け合うのでは無く、互いの色が重なり合って、ひっそりと美しい調和を生み出している。水の色と、炎の色。対極にあるようで、実は一番近い色。
 それは喩えば、水面に浮かぶ漁火のような。

「眠れないの?」
「……ああ。少し」
「寒かった?」

 そう言って、レックスはブランケットを掛け直す。アズリアは「そうじゃない」とかぶりを振って、ほんの僅かだけ頬を染めた。

「その……落ち着かなくて。この状況が」

 それを聞いて、レックスは一瞬目を丸くすると、ややあってふわりと笑みを浮かべた。その態度が余裕のように感じられ、アズリアは唇を尖らせる。

「……何がおかしい」
「いや、俺はてっきり、枕が合わないとか言われるのかと思ってて」

 流石にそれはどうすることも出来ないからさ、とレックスはおどけて肩を竦めた。アズリアはその言葉に少しだけぎくりとしてから、後ろ暗さを誤魔化すように口を開く。

「お前は寝辛くないのか? これでは腕が痺れるだろうに」
「別に? これくらい平気だよ。そりゃあちょっとは疲れるけど、でも」

 レックスは空いている左手で、さらりとアズリアの顔にかかる髪を梳いた。そしてその内の一房に、そっと唇を寄せる。

「腕枕は、男の浪漫だからね」

 それだけ言うと、悪戯っぽそうに目を光らせる。アズリアは明快に紡がれたその台詞に、軽く吹き出すことしか出来なかった。

「……そんなものなのか?」
「ソンナモノナンデス」

 片言な口調に更に笑いが込み上げる。それはレックスにも伝染し、波が去るまで二人でひとしきりくすくすと笑い続けた。
 やがて笑いが納まると、レックスはふといいことを思いついたと言う風に、アズリアの身体を抱き寄せた。
 きょとんとする彼女を尻目に、レックスは先程自分がされていたのと同じに、彼女の髪をゆっくりと梳く。


「眠れないなら、眠れるまでこうしていてあげようか?」
「な……」

 馬鹿言え、と反論したかったが、どういう訳かアズリアは、レックスが自分を撫でる度にゆるゆると眠気が生じていくのを感じた。
 手を伸ばせばすぐそこに在るのは彼の肌。触れた先からは微かに鼓動が聞こえ、それを耳にしたアズリアの身体に心地良い温もりがじわりと満ちる。
 どうしてだろう。先刻までは、これが原因で寝付けなかった筈なのに。
 目線を上げた先にある赤と青の光が、彼女を穏やかに包み込む。その光が近くにあることに、今はとても安らげる。

「――――」

 耳元で微かに囁かれた言葉は、最早聞き取ることは出来なかった。
 微睡みに誘われるまま、アズリアは静かに瞼を閉じる。

 眠りに着く直前、柔らかいものが唇に触れた。


『おやすみ、アズリア』



end.



戻る






・おまけ・



「っくしっ!!」
「だいじょうぶ? せんせい……」
「あ、平気平気。心配しないで、イスラ」
「…………」
「ねえおねえちゃん、せんせいが風邪引いちゃったよ!どうしたらいいのかなあ?」
「え、あ、そうだな……」
「……誰かさんがブランケット独占するから、ね」
「……ッ!!」
「えっ??」


 ……隊長は意外に寝相が悪かった、というお話。



おしまい。