Hestia 卵をボウルに割り入れ、砂糖を加えて解きほぐす。熱したフライパンに流し込んで、端からゆっくりと巻いていく。 『弁当とは卵焼きが入ってナンボじゃ!』と息を巻いていた老人に作り方を教わってから、今朝が初めての挑戦になる。 あの子は甘めの味付けが好みだから、砂糖は多めに入れた。 「……よし」 綺麗に焼きあがったので、そっと用意した皿の上に移す。その際少しだけ形が崩れてしまい思わず舌打ちをするが、弁当用の大きさに切れば問題無いだろうと考え、ほっと息をつく。 鍋に湯を沸かし、野菜を茹でる。丁度良い頃合で湯から上げて冷水にくぐらせる。こうすることで色が良くなるとオウキーニが言っていた。 最後に今回のメイン、ハンバーグに取り掛かる。と言っても準備は殆どできていて、あとは焼くだけだ。アルディラがくれた“フリーザー”という機械は実に便利なので重宝している。これで生ものの保存が楽になった。そのうちお礼をしなければ…… とか考えている内にハンバーグも焼き上がり、一通りのおかずが完成する。 それぞれを丁度良い大きさに切り、丁寧に箱に詰める。最後に余ったスペースにデザートのナウバを詰め、ハンカチで包み―― 「ふむ。我ながら良い出来だ」 アズリア・レヴィノスの今朝の任務が完了した。 「なかなか上手くなったな、私も」 アズリアはエプロンを外しながら、満足気にそう呟いた。 最初に弟が「お弁当を作ってほしい」と言ってきたときのことを思い出す。あの時は正直言って泣きたくなった。 彼女が通ったのは軍学校であり、決して料理学校ではない。 野営をする際の食料の見つけ方や毒を含む野草の見分け方は習ったが、「おいしいお弁当のつくりかた」など教科書のどこを探しても載っている筈がなかった。 軍学校へ通う前、レヴィノスの屋敷にいた頃も食事は全て専属のコックに任せきりで、寮生活ではその役目が食堂のおばちゃんになった以外に違いはなかった。 要するに、料理などこれっぽっちも経験がなかったのだ。 頼まれた時は笑顔で了承したものの、その後ですぐに後悔した。 とにかくやってみないことには、と台所に向かったが、実際やってみたら散々な結果だった。 刃物といったら武器しか持ったことのないアズリア。両手で包丁の柄を握り、力一杯振り下ろしたところ、頭上に「CRITICAL」の表示が出て、野菜と共にまな板も真っ二つになった。ついでに包丁も折れた。 気を取り直し、今度は火を熾してみたが中々うまくいかない。良く燃えるだろうと思って酒を注いでみたら、自分の身長より高い火柱が上がり、あわや火事になるところだった。 レックスがもうやめてくれと泣きつかないと、ひょっとしたら今この家は無かったかも知れない。 最後の最後と望みを託し、ユクレス村を訪れた。土下座せんばかりの勢いで頼み込み、快く引き受けてもらえたときは、オウキーニが光輝いて見えた。 そんなこんなで特訓し、修行に修行を重ねた結果、まな板32枚・包丁45本・鍋とフライパンがそれぞれ27個という尊い犠牲の上に、アズリアは「何も破壊しない」料理の腕前を手に入れた。 それからも地道に精進して、今ではオウキーニには及ばないながらも中々のレベルに達した――と、思っては、いる。 何より毎日、帰宅してからの弟の「おいしかった」という笑顔が、アズリアにとっての最高の報酬だった。あの笑顔の為ならば、まな板の百枚や二百枚安いものだ。レックスは嘆いていたが。 「…………」 一人考えに沈んでいたアズリアは、そこで急に渋面を作った。 そう、そのレックスこそが、目下のアズリアの悩みだった。 なぜなら―― 「おねえちゃん」 回想に耽っていたところで、にゅ、と眼前に現れた弟の顔に、アズリアの心臓は跳ね上がった。 「なな、何だイスラ、駄目じゃないか急に人に話し掛けたら……」 「だっておねえちゃん、いくら呼んでも返事してくれないんだもの」 「…………」 なんとなくデジャヴを感じるアズリアだった。 「おねえちゃん、お弁当ちょうだい。ぼく、もう学校行かないと」 せんせいやみんなが待ってる、とイスラはアズリアの服の裾をくいくいと引っ張った。彼は今、島の子供達と一緒にレックスの授業を受けているのだ。 少しでも傍についていようと考えた、レックスからの提案だった。イスラ自身も大いに喜び、授業のある日はいつも嬉しそうに出掛けていく。 「ああ、今あげるから。朝ご飯はもう食べたの?」 「うん!」 明るく返事をして、イスラは笑った。 そして空の弁当箱に気付き、きょとんとして首を傾げる。 「あれ? おねえちゃん、せんせいにはお弁当あげないの?」 「……!」 ぎくり、とアズリアは身を強張らせた。 「いや、あの、これは」 しどろもどろに言い訳をしようとするアズリアにはお構いなしに、イスラは言葉を続けた。 「おねえちゃんのお弁当、せんせいはきっとよろこぶよ? だっていつも、ぼくがお弁当たべてるとこじぃーっと見てるから」 「……え?」 そんな話は初耳だった。 「ぼくがお弁当食べてるとね、せんせいがとなりに来て、ずっと見てるの。おいしい? って訊かれたから、うん、すっごくおいしいよって答えたら、せんせい、そっかって溜息ついて、またじぃーっと見るの」 「…………」 イスラが実演つきで説明する。 「一度ぼくがお弁当わけてあげようかって言ったら、それは君のお姉ちゃんが君のためにがんばって作ったものだからいいよって断られたの。でもすっごくしょんぼりしてたよ」 弟の話を聞きながら、アズリアの脳裏には今、とある光景が浮かんでいた。 ある赤毛の教師が、生徒の昼食の様子をじっと眺めている。 その表情はまるでおあずけを食らった犬のような、おもちゃ屋の前で高い商品を見つめる子供のような、欲しくて堪らない、けれど言い出せずにぐっとこらえている、とにかく何とも言えない切ない表情で―― ……思わず吹き出してしまった。 「ぷっ、くっ、ふふふ……っ」 「おねえちゃん?」 突然笑い始めた姉に、イスラは怪訝そうな眼差しを送る。 「いや、何でもない、何でもないから……くくっ」 「??」 笑いながら弁当を手渡す姉に、イスラは疑問符をいっぱいに浮かべて首を傾げた。 ****** 「……じゃあ、今日の授業はここまで。ちゃんと復習しておくんだよ」 終了を告げるベルと共に、歓声が上がった。 「やったー! ごはんだごはんだー!!」 「食べたらすぐ遊びに行くですぅー」 「今日はどこに行くの?」 「あ、ボク、ユクレス村の広場で鬼ごっこしたい!」 はしゃぐ子供達を見ながら、レックスは深々と溜息をついた。その手の中には、ナウバの実がひとつ。 『先生はん、えろうすんまへん! カミさんが風邪引いてしもて、看病やら何やらで弁当作れへんかってん!!』 昼食はいつもオウキーニが作ってくれていたのだが、今日はそんなワケで弁当はナシ。せめてもの侘びにと貰ったこの実が、レックスの本日の昼食だった。 (本当はこれ貰えただけでも有難いんだよなあ。ナウバの実は栄養あるから風邪にも効くし、オウキーニさんだって本当はシアリィさんに食べさせてあげたかっただろうに) オウキーニ自身、こっちが申し訳ない程に恐縮していたし、大体いつも彼に任せっきりにしていた自分にも非があるのだから、こんなことがあっても仕方ない。 そう思ってもやるせない気持ちは変わらず、レックスは再び溜息をついて実をかじった。 「あれー? 先生、ごはんそれだけ?」 気付いたパナシェが声を上げた。 「どれどれ……って、うわー」 「少なすぎですよぅ……」 口々に言われて、レックスは困ったように眉尻を下げる。 「仕方ないんだ。オウキーニさん、忙しかったらしくて」 はははと力なく笑われて、子供達は気まずそうに顔を見合わせた。 「先生、オイラの分けてあげよっか?」 「あ、ぼ、ボクも!」 「マルルゥもあげるです〜」 生徒からの申し出をやんわりと断ると、レックスは心の中でまたまた溜息をついた。 (流石に子供達に分けてもらうなんて出来ないよな……) あーでもどーしよっかなーと、ちょっと迷い始めちゃったその時。 「だいじょうぶだよ、せんせい」 もくもくと弁当を食べていたイスラが言った。 「たぶん、もうすぐ来るから」 「……へ?」 言われた意味が分からず、聞き返そうとして―― 「あ、隊長さんですー」 マルルゥの言葉に、物凄い勢いでぐるりと振り返った。……やりすぎて少し首が痛かった。 振り返った所には、小さなカゴを手に持ったアズリアが立っていた。 「……アズリア?」 「なんて顔してるんだお前は」 つかつかと歩み寄り、隣にどっかと腰を下ろした彼女を、レックスはあんぐりと口をあけて見つめる。 「あ、あの、アズリア」 「何だ?」 事態を掌握できず困惑するレックスを余所に、アズリアはカゴを置き、テキパキと中の物を取り出している。 包み込むハンカチが広げられ、姿を現したそれは―― どう見ても、弁当箱だった。 「ア、アズリア?」 「だから何だ」 「そ……それって……誰の?」 「馬鹿か貴様は」 ふっと笑みを浮かべて、アズリアは呆然とするレックスを見上げた。 「お前のに決まっているだろう?」 ****** 「ああ……幸せ」 「……」 「もーすっごい幸せ」 「……」 「幸せだなー」 「……っ!」 だんっ!! いい加減にしろ、と言うようにアズリアは寄りかかっていた木の幹を殴りつけた。 「何なんだお前は! 一口食べるごとにそう言って、鬱陶しいったらない!!」 「えー、だって本当に幸せなんだもの」 卵焼きをごっくんと飲み込み、レックスは言った。 「好きなコのお弁当が食べれるだなんて、こんな幸せなことってないよ」 「……あ、そう」 アズリアは怒鳴る気力も失せ、持ってきたポットからお茶を注いだ。小さなカップの中で、ゆらゆらと自分の顔が揺れている。 「有難うアズリア。すごく美味しかった」 「礼ならイスラに言え。あの子の口添えが無ければ多分作らなかった」 「……そう」 丁寧に箱を片しながら、レックスはぽつりと呟いた。アズリアはカップから視線を動かさずに、琥珀色の液体を口に含む。 「でも何か俺には、君が最初から作ってくれるつもりだったように思えてならないんだよね」 「ぶっ!?」 むせた。 「わわわ、ごめんアズリア!!」 「げほッ、な、何でお前はそう突拍子もないことを……!!」 「だ、だってそんな動揺されると思わなくて」 咳き込むアズリアの背をさすりながら、レックスは必死に弁解する。 「……でも、本当に嬉しかった。アズリア、」 ありがと。 真っ直ぐに見つめられて、アズリアは気恥ずかしげに目を逸らした。 何度見ても、この瞳は苦手だった。 「……それは、どうも」 誤魔化すように、不機嫌そうに低く呟く。 レックスはそんな彼女の様子を見て、軽く苦笑した。 「また、作ってもらえるかな?」 「……気が向いたらな」 そう言って顔を赤らめるアズリアが、たまらなく愛しく思えて。 レックスは彼女を抱き寄せると、優しく唇を合わせた。 「!!」 「今は、それでいいよ。でもいつかは……」 そのまま耳元で囁かれた言葉が、甘く響いて心を揺らした。 「愛妻弁当になってると、いいんだけどね」 end. 戻る ・おまけ・ 胸にうずめた顔をしかめ、それにしても、と呟いた。 「結局、お前にいいように乗せられた気がする」 「いいじゃない。アズリア、実はそんなに嫌じゃないんでしょ?」 「…………」 憮然とするアズリアの髪を撫でながら、レックスは言う。 「また何か頼みたいときは、キスしてお願いしようかな」 「……調子に乗るな」 超低音で言われ、冗談だよ、と笑った。 「わざわざそんなことしないよ。だって……」 急に、くい、と顎を持ち上げられた。 「!?」 「別に頼みがなくてもするから」 「んっ」 今度は反論する前に唇を塞がれた。 「こんな風にね」 「――っ!!」 バキィッ、と痛そうな音が響き渡る。 「ぐはっ!?」 「いい加減にしろこの馬鹿!!」 ……愛妻弁当が出来るのかは、まだ先の話。 おしまい。 |