「デートしようぜ」
おそ松兄さんの言うことはいつだって唐突だ。
今日だってそう、そんな雰囲気でもなんでもない。
記憶が正しければ特別な日でもない。
なのにわざわざ、デートという単語を使う。
そもそもが金のないニート同士、ふたりで出かけるといってもそこらへんをぶらぶらしておれの友達に会いにいったり、どこかに入るとしてもパチンコ屋だったり。
遠出なら競馬場とか、散歩はともかくデートと言っていいのかあやしい。
「…いいけど、どこ行くの」
「それはまだ秘密あ、いつもと違う服でこいよ」
それだけ言うとさっさと部屋から出て行ってしまった。
階段を降りる音と一緒に聞こえる口笛に、兄さんが上機嫌なことがわかる。
それはいい、今の問題は断然服だ。
いつもと、違う服?
パーカーとか、つなぎとかじゃ駄目ってこと?
どうしよう、まったく思いつかない。
そもそもおれはそういうものに興味がないのだ。
こいうのはどう考えても末っ子の領分で、ああ、そうだトド松。
さっき居間でスマホいじってたよな。
もう全て投げてしまおう。
おれが自分で考えるよりずっといいに決まってる。
とりあえずメッセンジャーアプリで呼び出してみれば、すぐに既読がついた。
返事はなかったけど、階段を登ってくる音がしたので大丈夫そうだ。
「一松兄さん、呼んだ?」
不思議そうに首を傾げたトド松にざっくりと説明をする。
兄さんがデートとか言い出していつもと違う服を着てこいって言い出した。
ただそれだけ。
「…ああ、そういえばおそ松兄さんも見たことない服着てたもんね。そういうことか」
「おまえに頼るしかない」
「一松兄さんに頼られるの、悪い気はしないなあ…うん、いいよ。貸しひとつね
そう言うと立ち上がって、どんどん服を出してくる。
ちょっと待て、これどこにあったの。
兄弟の中では一番の衣装持ちだろうとは思っていたけど、予想以上だ。
ニートのくせにどこからこんな金が…?
パチンコで当てたにしても隠すのがそこまでうまくない末弟は根こそぎ持っていかれることが多いはずなのに。
「やばい、なんか楽しくなってきた。なに着てもらおうかなあ」
「あ、いや別にそんな気にしなくても。普通のでいいんだけど」
「シンプルなほうがいいよね」
駄目だこれ、もう流れに身を任せるしかない。
トド松のセンスを信じよう、そもそもそれを頼りに呼び出したんだから。
そして数分後、おれは全ての服を剥ぎ取られて慣れない服をフル装備していた。
大きめのカーディガンやら、細めのジーンズやら。
ほぼほぼトド松の私物である。
「あとはブーツあたり、カラ松兄さんの借りればいいんじゃないかな」
「えっ…」
「嫌そうな顔しない。多分これだと少し寒いけど、まあ車なら大丈夫でしょ」
「…車?」
そんなことまったく聞いてない。
ただデートに誘われたのと、服を指定、というには曖昧だけどされたくらい。
そっか、車なのか。
ちょっとだけそわそわする。
「車の鍵指でくるくるしてたから多分ね。あ、そろそろ行ったら?」
「ん、ありがと」
「コート着終わったらマフラーやったげる」
おれが持っているマフラーは何年か前に母さんがまとめて買ってきた、いつもの色のやつしかない。
流石に原色ではないからか、他の兄弟も未だに使っていたはずだ。
何本か種類を持っているやつもいるけど。
くるくると巻かれたマフラーが首の後ろでかるく結ばれて、背中をぽんと叩かれる。
「はい、でーきた。いってらっしゃい」
「なにか買ってくる」
「楽しみにしてるね」
なんとなく照れくさくて、マフラーで口元を隠しながら階段を降りていく。
こんなちゃんと、着替えて2人で出かけることなんてないからかな。
トド松のお墨付きとはいえ、緊張する。
へんじゃないよね、ってこれじゃデート前の女みたいだ。
「…兄さん」
「お、準備できた?じゃ行くか」
どうせ行き先は玄関なので、居間に入ることなく踵を返す。
誰かさんのブーツも探さなきゃいけないし、どこにあんだよ。
靴箱を開けたところで、マフラーが軽くひかれた。
「なに?」
「リボン結び、可愛いなって。解きたくなる」
「…解かないでよ、せっかくトド松がやってくれたんだから」
「解かないよ、それはあとで」
あとで、解かれるのか。
勘違いでなければきっとそういう意味だ。
だって声が違った。
お土産、買う時間あるのかな。
「で、何探してんの?」
「カラ松のブーツ。トド松指定」
「あー…おれの履けば?おれがカラ松の履くし」
ことりと置かれたのは見たことのない、多分新品に近いブーツだった。
記憶にうっすらとあるカラ松のブーツと似ているのはわかる。
けど、兄さんがカラ松のブーツを履くってことはこれは今履く予定があるんじゃないのか?
だったらわざわざややこしくしなくてもいいのに。
「一松、今日はほぼトド松の服だろ?だったらおれのも混ぜて」
「や、でも」
「他のやつのものばっか身に付けられるとお兄ちゃん妬いちゃう」
兄さんの腕が伸びて、靴箱の中からブーツがひとつ。
自分のじゃないからか雑に落とされたそれからは重そうな音がした。
兄さんは隣に座ってそれをさっさと履いてしまう、これでおれに選択肢はなくなった。
兄さんがいいなら、いいのか。
言われたとおり出されたブーツを手繰り寄せようとしたら先におそ松兄さんに持ってかれた。
顔を見れば、無駄にいい笑顔。
「履かせたげる」
「え、自分で履けるし」
「いいからいいから、任せろって」
立ち上がっておれの正面にくると、躊躇することなく膝をつく。
やけに優しく足を手に取られた。
え、なにこれ、なんなの?
嫌なわけじゃないけど、ぞわぞわする。
丁寧に右足がブーツに入れられて、その後に左足。
左足が地面におろされた時には、自分でもわかるくらい顔が熱かった。
「真っ赤、そんなどきどきした?」
「だ、って…いつもと顔、違う」
「えー?いつもどおりかっこいいだろー?」
もういつもと同じだけど、さっきまでは確かに違った。
でもそれが嫌なわけじゃなくて、むしろ。
「ああ、惚れ直した?」
「ッ、ちが」
「照れ隠しでも否定されるとお兄ちゃん傷付くなー?」
わざとらしい笑み、本当はまったく気にしてないくせに!
ただおれの口から言わせたいだけだ。
しっかりと退路を塞いで、顔が近づけられる。
あと少しで触れるくらい、そこまで近づいたら欲しくなるに決まってる。
けど答えないとそれはきっともらえない。
「にいさん」
「なあ、惚れ直した?」
「……うん」
素直に音にすればすぐに唇が重なった。
触れるだけのそれに、ついなんで、と思ったけどよく考えなくても当たり前だ。
ここ、玄関だし。
「今日はひたすら惚れ直させてやるつもりだから覚悟しろよー?」
「なにそれ、なんでいきなり…」
それは、おれにしねって言ってるんだろうか。
正直耐えられる気がしない。
今ので結構やられてるのに。
これが何回もあるなんて。
「ほら、行くぞ」
特別なことしなくても、そうやって笑顔で手を引かれるだけで充分なんだけどな。

車に乗るのもドアを開けてもらうというエスコート付きだった。
たったそれだけで見慣れた家の車がちょっときらきらして見えるあたりおれは相当やばい。
「お茶とか買ってあるから、喉渇いたら適当に飲んで」
車ででかけるのなんてはじめてだ。
ふたりだけでこうして乗る事があっても母さんに頼まれて買出しに出るだとかしかない。
けど今回はちゃんとデートという目的で乗っているわけで。
思っていたより浮かれてるのかもしれない。
二十代の男が。
けど童貞だし許してほしい、非処女だけど。
学生の時は学生なりに放課後遊んでいたし、きっとあれがデートだった。
多分それ以来だ。
「出発しまーっす」
「どーぞー」
ゆるい会話のあとにゆったり車が動き出す。
おそ松兄さんの運転はわりと上手いほうだ。
兄弟で一番上手いのはカラ松だけど。
あとは似たようなものだ、十四松は別として。
チョロ松兄さんとトド松はどちらかといえば助手席にいることのほうが多い。
おれは基本的に後ろのほうでぼーっとしている。
指名があれば助手席にだっていくし運転だってするけれど。
「…そういえば、おそ松兄さんはいつも助手席におれを乗せるよね」
極稀に兄弟全員で買出しに出るときで、更に兄さんが運転するとき。
必ずおれは助手席に座らされている。
自分で言うのもなんだが特にナビもしないで座っているだけのおれを指名するメリットはあんまりないとおもう。
「どうせなら隣にいて欲しいっていうのもあるけど、おまえが一番楽なんだもん」
カラ松はいちいち痛いし、チョロ松は小言がうるさい。
十四松はこえーしトド松はどこどこ行きたいって言い出してめんどくさい。
つらつらと並べられた理由はまあ、納得だ。
特にカラ松。
「おまえは基本静かだし。けど喋りかければ反応してくれるじゃん?ナビなんかカーナビで充分。あと煽られたときやり返すのもノってくれる」
「まあ…やられたらやりかえすでしょ」
「だーよなー?他はそれやろうとするとちょっと呆れるじゃん、最終的にはノってくるけど」
みんな血気盛んなところがあるから仕方がない。
じゃなきゃ学生時代あんな喧嘩もしてなかっただろう。
あの頃はなかなかに酷かった。
火種は誰かさんがぽんぽん撒いてくるし、末弟は女関連でごたつくし。
おれも絡まれやすかったから人のことはあまりいえない。
喧嘩となれば全員参加できるし、6人もいてみんな人体の急所を狙うのを躊躇しないんだからすごい。
「あ、もーちょいで着くよ」
「ナビ、セットしてないのにいけるんだ」
「ちゃんと予習したから、おっとあぶね」
「…あんたこういうことする人だっけ」
「こういうこと?」
少し急なブレーキと同時に、身体の前に伸びてきた左腕。
前はそんなこと気にしてなかったはずだ。
とはいえおれがこの人の運転する車の助手席に乗るのは本当に久しぶりなので、他の兄弟は知っているのかもしれない。
「おやおやー?顔赤いけど、また惚れ直しちゃった?」
「うるさい、前見てよ」
「なんならバックで駐車するのもやってやろっか?」
「ベタすぎ」
とか、言ってたのに。
兄さんが車を滑り込ませた駐車場はバックで駐車する形だった。
結局止めてるときはガン見してしまったのは仕方がない。
普段あんまり見れない真剣な顔とか、見ちゃうに決まってるだろ…!
かっこよかった。
すごい笑われたけど、あんまり後悔はしていない。
降りようとしたら引き止められて、乗る時と同じようにドアを開けられた。
「お手をどーぞ?」
「…どーも」
差し出された手に、素直に手を乗せる。
それに満足そうな笑みが返ってきたのでつい笑い返した。
なんでこの人、こんなに楽しそうなんだろう。
「ここが外じゃなかったら絶対抱きしめてた」
「大袈裟」
「大袈裟じゃないですー、鏡でおまえの顔見せてやりたいわ」
ばたりと大きな音を立ててドアを閉めるとおそ松兄さんが歩き出す。
それについていって、掲げられている看板に目を通して、フリーズした。
猫。ふれあい。
つまり、猫がたくさんいて、さわれる…?
「ふは、目すげーきらきらしてる」
「猫?」
「猫。まあ犬もいるみたいだけど、そっちはそんな興味ないよな」
いつのまに買ったのか差し出されたチケットを受け取る。
そこにも猫の画像があってちょっとやられた。
かわいい。ずるい。
この子もここにいるのかな、それともあくまで写真だけだろうか。
「時間もったいないしいこ。はやく触りたいだろ?」
自然に手をとられて歩きだす。
平日で人がまばらとはいえ人の目があるところで手を繋ぐのは珍しい。
強引に手をひいてるように見えるから大丈夫だ、とか言ってるけどそういうもの、か?
楽観的すぎる気はするけれど、離してくれることはないだろうしおれだって振り払うことはできない。
なにかつっこまれても兄さんなら適当に言いくるめられる、だろう。
「つーいた。ほら、だぁいすきな猫だぞー?」
ふれあいコーナーは思ってたよりずっと広くて、たくさんの猫がいた。
大きさも柄もいろいろな子がいて、どの子から愛でていいかわからなくなる。
かわいい、ひたすらに、かわいい。
適当に腰を下ろしただけで傍に何匹か猫が寄ってきて、膝の上に登ってきたりする。
なんだここは。
いつもの裏路地にいる野良達も勿論かわいいけれど、それとは違うかわいさがある。
「一松、おれトイレ行って来る。ここいるよな?」
「離れられるわけない…」
「デレデレじゃん…まあいいや、待ってろよ」
軽く頭をわしゃわしゃと撫でられた、その手が離れるのが少し名残惜しい。
背中を見送ってる間に膝にもう一匹猫が増えた。
あたたかくて柔らかい身体を抱き上げて、ゆっくりと身体を撫ぜてやる。
こういう場所にいるからかどの子も人懐っこい。
一匹を集中して撫でていると他の子も撫でて欲しいのかすり寄ってきたり、なんだここは天国か。
「えっ、なんでちょっと目ェ離しただけで王国みたいになってんの」
戻ってきたおそ松兄さんがちょっとひくくらいには、猫に囲まれていた。
幸いいまはこのコーナーに人がいないから問題はないけれど、他に人がいたら顰蹙を買うレベル。
あったかい。
「おまえ猫に好かれるフェロモンでも出てんの…?」
「わかんない…やばいかわいい…しにそう…」
「しぬならおれの腹の上にして」
なんか最低な下ネタ言ってるけど無視。
こんなところでなに言ってるんだか。
どうにか猫をよけて隣に腰をおろした兄さんが一匹の猫を抱き上げる。
綺麗な黒い毛の美人。
「こいつ一松に似てる」
「…そう?」
「この半目の感じとか。ちょーかわいい」
相当気に入ったのかずっと膝に乗せて撫で回す。
猫のほうも猫のほうでおそ松兄さんが気に入ったのか、多少触り方が雑でも暴れたりしない。
それがちょっと、羨ましい。
どっちが、そんなの決まってる。
猫を見ながら、周りを軽く確認する。
今日は犬目当ての客が多いのか、やっぱりこっちに人はこない。
「お、そ松兄さん」
「んんー?」
名前を呼んでみても視線は持ち上がらなかった。
それがちょっとむかついたのでこっちも兄さんから視線を外す。
猫のがかわいいし。
さっき人のことデレデレとか言ってたけどあんたも充分でれっでれだよ。
「…にゃー…」
ぽそりと口から吐き出した音は小さいけれど、確かに音にはなった。
ほぼ猫達の鳴き声に埋もれて溶けたそれは兄さんには届かなかったかもしれない。
恥ずかしくなってきたからそれならそれでいい。
と思ったのに。
がばり、と思い切り横から抱きつかれた。
それはもう勢いよく、おれごと床に倒れこむくらい。
猫達が持ち前の瞬発力で避けなかったらどうするつもりだったんだこいつ。
「もー、おまえ可愛すぎ…なに、猫に妬いちゃった?」
「…あの子独占してる兄さんに妬いた」
「素直じゃないとこも可愛い!!」
くそ、ばれてる。
人気がないのをいいことにそのまま大人しくしてると、動いてなかったせいかまた猫が寄ってきた。
やばいこれ、動けなくなるやつだ。
案の定おそ松兄さんの背中にも一匹乗っていて、ああさっきの美人。
そんなに兄さんがお気に入りなのか。
じっと目を見つめてみても猫の考えはわからない。
猫化すればわかるけど。
「ふは、なんか縄張り争いしてるみたい」
「縄張りって…」
「争わなくてもおれはおまえのなのに」
猫に囲まれてのキスはやたら甘かった。
唇を割ってきた舌ですらも甘、じゃなくて!
寝転がってるからたいした威力はないが、できるだけ力をこめて兄さんの脇腹へパンチを叩きこんだ。
「い゛っ…くそ、手加減しろよ…!痣になんだろーが…!」
「馬鹿なの?ここ外でいつ誰がきてもおかしくないんだけど?!」
「煽ったのはおまえだろ…!もー、いってー…」
とりあえずキスは終わったものの、圧し掛かられてるせいで距離がさっきより近い。
吐かれる息やらうめき声がくすぐったいし、ぞくぞくする。
耳元はよくない。
せめてこっちじゃなくて反対側を向いてほしい。
「…兄さん」
「…なーに」
「わざと大袈裟に痛がってるでしょ」
「ばれたか」
ゆったりと起き上がった兄さんの顔は別に痛そうでもなんでもなくて、楽しげな笑みを浮かべてるだけだった。
いくら脇腹っていってもあれでそんなダメージが入るわけないんだから当然だ。
ただくっつく口実にしただけ。
「仲のいい兄弟がじゃれてるなーでおわるって、このくらい。キスは多分猫で見えてない」
「どーだか、っていうかわかってんの?人目なくても監視カメラはあるんだよ」
「…わすれてた、どーする、逃げる?」
「…貧血のふりでもすれば。おれまだ猫と戯れたい」
監視カメラに映ったとはいえ画質なんてタカが知れてるし距離もある。
体調不良を装えば見逃してもらえる、んじゃないかな。無理か。
でもまだ撫でれてない子もいるのに帰るのはいやだ。
「じゃあ寄りかからせて、体調不良っぽくするから」
「…そのくらいならいいよ」
寝転がってたの体勢から上半身を起こして、元々座っていた位置に座りなおす。
横から遠慮なく寄りかかられるのは重いけどきらいじゃない。
どの子がどの兄弟に似ているだとか、この子が可愛いだとか。
そんな会話をしている間にぽつぽつと人が来たり帰ったり。
兄さんいわく王国状態だったのもちゃんと猫達はわかっているのか人がくれば輪から抜けて行った。
何匹かはまったく動かないで、ずっと傍にいたけど 。
特にあの黒い美人は兄さんの傍から離れることはなかったし。
「いやー、まさか閉園時間までいることになるとは」
「…ごめん、兄さんそこまで猫興味ないのに」
「すげー楽しかったから問題なし。そもそもここに連れてきたのはおれだし?それにィ」
夕方で薄暗くなった車内でのスマホは結構眩しい。
遠慮なく向けられた画面は見づらくて、けれどなんの画面かはわかった。
写真、猫と、おれの。
「猫と戯れて幸せそうなかっわいい一松くんが沢山撮れておれも幸せー
「全然気が付かなかった…いつのまに…」
「猫と戯れてる間無防備すぎだろ、おれの傍にいるときだけにしとけよ?」
「…あんたと猫が揃ってなきゃここまで緩まないよ」
他の兄弟とは安心感が全然違う、おそ松兄さんとじゃなきゃこんなの無理だ。
そんなところにあれだけ沢山の猫がいたら無防備にだってなる。
路地裏とかならまた少しはなしは違うけど、ここはそういう施設で害を与えるようなものはなにもないんだから。
「…一松くん」
「…なぁにおそ松兄さん」
兄さんの声は静かで、普段と少し違った。
でも残念ながらまともな言葉はでてこないだろうなと思う。
だってそういう人だ。
「きゅんとしたからホテルいこ」
「最低。いくけど」
迷うことなく車は走りだす。
行動範囲でもないのに、明らかに目差してる場所がある。
ほんと、自分がやりたいことのためなら下準備を欠かさないんだから。
興味がないことにはまったく、なんにもしないくせに。
そういう自分に正直なところは嫌いじゃない。
おれにはない部分だ。
ホテルまでどのくらいかかるか知らないけれど、ひとまず寝てしまおうと思う。
少しでも体力を回復させておいたほうがいいに決まってる。
普段ならともかく、今日は寝てもなにも言われないはずだ。
瞼をおろせばすぐに気が付いた兄さんからおやすみ、と小さく言葉が飛んできた。
運転してるくせに目敏い、本当にまわりをよく見てる。
そういうところ、嫌いじゃない。
短く返事を返して揺れに身を任せた。


「で、なんだったの、今日」
やることやって、最低限の後処理をして。
ホテルのでかいベッドに2人並んで寝転がる。
枕を抱えてうつ伏せ、そんな状態で煙草を吸っていた。
うん、おいしい。
「たまにはデートすんのもいいかなって。ここ何年かこういうのしてなかったし。あと金が余ってた」
「金が…余る…?クソニートがなに言ってんの」
「こないだ競馬で大当たりしたんだよねぇ、誰も気が付かなかったけど」
にやりと笑う顔は悪役そのものだ。
なんだかんだ強運なんだよな、この人。
すぐに使ってしまうから貯金はできてないけど。
その前にチビ太へのツケをどうにかしてやればいいのに、と思ったけど少し前に肉きゅうスタンプで逃げたおれが言うことではないので黙っておく。
「で、酒と煙草買うじゃん?どうするか悩んで、おまえとデートしたいなって」
「…至れり尽くせりだったのは?」
「玄関で言ったとおり、もっと惚れさせようと思って。もともとおまえがおれのこと大好きなのは知ってるよ、別に不安になったとかじゃねーから」
「おかげでしにそうだった」
「やきもちも妬いてもらえて、はじめておまえからマーキングもしてもらえて大満足」
剥き出しの鎖骨を兄さんの指がなぞる。
そこにあるおれの歯形を確認するように、丁寧に。
確かにおれがおそ松兄さんのことを噛むのは珍しい。
声を我慢するために肩のあたりを噛むことはあっても、鎖骨のあたりを印代わりに噛むだとかはない。
付けられるのは好きだけど、付けるのは苦手だった。
おれが本当にこの人を縛っていいのかが未だにわからない、もう10年くらい経つのに。
その考えは変わらないのに、なんで今日はそこを噛んでしまったんだろう。
普段と違うデートで浮かれてるからかな。
「もっとさあ、おれの身体にいろいろ残せばいいのに。キスマークとか付けてきたことなくね?」
「ない、っけ」
「覚えてるくせに」
兄さんが煙草を灰皿に押し付けたのに倣って自分の煙草も押し付ける。
まだそこまで短くなっていたわけじゃないけど、そうしなきゃいけないと思った。
案の定抱き込まれて、そのまま向かい合った状態で兄さんが仰向けに寝転がる。
上に乗った状態で腰に手がまわされてしまえば逃げられない。
「歯形ついでに、キスマークも挑戦してみたら?昼にも言ったけど、おれはもうおまえのだよ。ずっと前からね」
甘い甘い誘惑、本当に兄さんの声はずるい。
声だけでどろどろに溶かされる感覚。
誘われるままに、けれど明確に付けたい、と思いながら。
鎖骨の辺りへ顔を寄せて、されてるのを思い出しながら吸ってみる。
うっすらと赤くなる程度でおれに残っているものとは全然違う。
おれに残ってるのは、もっと酷い色をしている。
「もっと強くやんなきゃしっかりつかねーよ?」
促されて何度か繰り返して、やっとひとつ濃い色が咲いた。
歯形のすぐ下、ふたつ並んだ、兄さんがおれのだって印。
指でなぞっても、消えない。
「…ご感想は?」
「わかんない、なんか、ぞわぞわする」
「ぞわぞわって。おれは泣きそうなくらい嬉しいよ」
腰にまわされていた腕の位置がかわって抱きしめられる。
泣きそうなくらい、なんて冗談だと思ったのに聞こえた息は確かに震えていて。
「…兄さん」
「なーにー」
「顔、見たい」
「…やだー」
嫌がってるくせに腕に力がこめられてない。
それをいいことに、ベッドに手をついて思い切り伸ばした。
兄さんの腕は結局おれの腰のあたりで落ち着いた、しっかり指が組まれた感触までする。
「…やだって、言ったのに。一松のえっち」
「…えっちとか、関係ないでしょ」
薄く涙の膜がはった兄さんの目、なんてはじめて見た。
基本的にそういうところ見せたがらないのに。
見せたとしても大体がわざとでこんな、感情がしっかり乗ってることなんてない。
「なんで、泣くほど嬉しいの、これ」
「やっとおまえのものになれたんだよ?ずっとおまえから付けてくれんの待ってた。だからさっき噛まれた時結構やばかったんだぜ、それだけでいけそうだったもん」
鎖骨のあたりに残った歯形に視線を落とす。
さっきと変わらず主張し続けるそれ。
これが兄さんに齎していたものの大きさに驚き半分、納得半分。
そういえばはじめて噛まれて、痕を見たときに嬉しかったのを思いだした。
力加減も適当で血が出るようなひどいものだったけど、とにかく嬉しかった。
その頃は兄さん、キスマーク付けるの下手ですぐに消えてしまうものばっかりだったからかもしれない。
今じゃ濃さを調節するくらいお手の物だ、慣れは恐ろしい。
「これからはちょこちょこ付けてくれると思っていいよな?」
「これからなんて言わずに、いま、もっと付けたい」
左手で兄さんの首筋から胸元のあたりを撫であげる。
それにぱちりと大きく瞬きしたおそ松兄さんがおもしろくて、少しだけわらう。
そんなおれを見たあとの笑顔が、楽しそうで嬉しそうで。
こんな顔が見れるならもっとはやく、こうできたらよかったのに。
「おそ松兄さん」
「ん?」
「待たせてごめんね」
「長期戦は覚悟の上。どっちにしろ手放すつもりはないから時間はいくらでもあったしな」
「…おそ松兄さんは、おれのだよ」
緊張で乾いた声は、ちゃんと音になっただろうか。
少しだけ不安になったけれど、腰に回された腕にこめられた力が強くなったからどうやらきちんと伝わったらしい。
きっと兄さんみたく頻繁におれのものとは口にできないだろうけど、たまには口に出せたらいい。
出せないとしても、こうして痕を残したい。
胸元に顔を寄せて、薄い皮膚にゆっくりと歯をたてた。

「…一松くんさー、嬉しいんだけどこれはやりすぎじゃない?病気みたいになってんだけど。これ当分銭湯いけねーよ」
「…途中からなんか…楽しくなっちゃって…ごめん」
「噛み付き方も吸い方もそんな強くなかったから猫にじゃれられてる気分だった」
「それ喜んでいいの?」
シャワーを浴びて備え付けのバスローブを着た兄さんの胸元はあっちこっちに赤が散っている、誰が見ても二度見するような有様で。
兄さんの反応が楽しくてつい、何個も何個も痕を残していた。
特に首筋、見える位置にキスマークを付けたときは楽しかった。
ちょっと可愛かったというか。
首筋が弱いのは新しい発見だった。
今度不意打ちでやりたい。
「なににやけてんの一松くんのえっちー」
「それ今日2回目」
「あは、だってほんとのことだし?」
ぼすりと兄さんがベッドに腰をおろしたので入れ替わりでシャワーを浴びるために上半身をなんとか起こす。
おれが兄さんの上に乗ってキスマークやら歯形を残したあと、我慢できなくなった兄さんにベッドに沈められて抱かれたのが結構効いてる。
いつもよりめちゃくちゃだった、おれも兄さんも。
「運ぶ?」
「いや…大丈夫」
重くてだるい身体でシャワールームへ辿り着いて、洗面台の鏡をみて嘆息した。
おれの胸元のほうがよっぽど病気みたいじゃないか。
赤いものだけじゃないからたちがわるい。
歯形だっておれのつけたものよりえぐい、それはまだおれが加減できないから恐る恐るつけているせいでもあるけれど。
「どお、ご感想は?」
いつのまについてきたのか鏡越しににやついたおそ松兄さんと目が合った。
胸元も視界に入ったけど、うん、やっぱりおれのほうがひどい。
「…暫くおそ松兄さんとふたりで家風呂だなあ、やったー」
「もうちょっと感情こめてくれたらお兄ちゃん元気になるんだけど」
「これ以上は無理…大人しく部屋で待っててよ。寝ててもいいから」
「起きてるよ、ちゃんと待ってる。お兄ちゃんおまえと一緒に寝たいなー」
本当に、待ってなくてもいいのに。
助手席で眠れるおれと違って、兄さんは運転があるから寝れないんだから。
まさかおれに運転させる気じゃあるまい、絶対なんかミスって事故る。
待ってる、というのが冗談じゃないというのはわかってるからさくさくシャワーを浴びて出ようと心に決めた。
幸いなかのものはもうだいたいかき出されたあとだ、どうにかなる。
「…じゃあ、お願いがあるんだけど」
「ん?なに」
「すぐ寝れるようにベッド、あたためといて」
「了解。おれ今ご機嫌だからドライヤーもスタンバイしといてやるよ」
ご機嫌、言葉通り部屋に戻っていく兄さんの背中からもそれは伝わってくる。
鼻唄まで歌うってどうなの、でもその理由がおれだと思うとなんだかむず痒い。
さて、汗もいろんな体液もべたべてして気持ち悪いからはやく流してしまおう。
おそ松兄さんが使ったことにより濡れた浴室に足を踏み入れた。


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