ようこそ"もしもの"世界の三日月堂へ! |
「…これは、どのようなものだ?」 「……軽く、せ、…成人指定のもの、です。」 「………軽く、とは、」 「上様ァァァ!!ほらここに!ここにお好きそうなミステリーものがァァァ!!」 「こちらには青春ものがァァァ!!」 「こちらには恋愛ものがァァァ!!」 …本屋にたくさんの人が集まってあちこちから一定方向に向かって声が飛ぶこの光景は一体、なんなのでしょうか。 「…三日月堂に成人もんあったのか。」 「軽くですよ、官能ってやつです。需要あるので一応。でもまさか、いの一番にそれを手にとるなんて、」 「そういう奇跡を起こすお人だ。」 「すごいお方です。いや、すごいんですけど、実際。」 土方さんと小声で話しながらもふたりの視線は棚の前でこれはあれはと尋ねているある一人の男性に向けられる。そして粗相のないように心持ちいつもより少し大げさに口角を上げる。…引きつってるともいうけど。 「もしそういったものがダメなら、前日に連絡さえいただければ隠せたんですが…。」 「すまねぇな、極秘のお忍びでな。…今日分の売り上げはこちらで買い取る手筈だから安心しろ。」 「あ、いえそのような気遣いは無用です!ほんとうに!」 土方さんから三日月堂を1日貸切たいと連絡があったのは昨晩のこと。なぜなのか、詳しい事情は話してはもらえなかったが、土方さんにしては珍しく切羽詰まった頼み方だったので、日頃お世話になっている方の頼みとあらばと承諾し、いざ今日を迎えてみれば腰を抜かすサプライズが待っていた。 「……自分の店に誇りは持っていますが、はたして上様のような方が楽しめるかどうか…。大型書店ほどの棚数はありませんし…。」 朝一、約束の時間にこっそりと店を開けると、店先には数人の真選組の方がいらっしゃっていた。そして今日はよろしく頼むと、馴染みの近藤さんと土方さんから挨拶があり、そして総悟がこちらですといって、通り道を確保させ誰かを前に通してきた。そして紹介、名を名乗られたのは、まさかのこの世界、この国の一番お偉い人、将軍様だったのだ。 「…上様ご本人のご希望だ。」 「え、」 そんな、わけがない。そのような立場のお人なら町に降りて本屋に行かずとも、城内にたくさんの書物があるだろうし、逆にこちら側が欲しくてたまらない希少なものもあるに違いない。それなのに、わざわざ希望だっての三日月堂へお忍びだなんて、信じられない。 「名前殿。」 「はっ?!はいっ!!!!!」 「店の隅々まで手入れが行き届いおる。棚も本も綺麗で、見やすい。それに雰囲気も、変わらずだ。」 「ありがとうございますっ!!!…え、っと、…変わらず?ですか?」 突然のお褒めの言葉に背筋が伸びる。そして緊張で口ごもらないように、しっかりと声を出して返事をしたあと、気になる言葉に引っかかり、将軍様の言葉をつい聞き返してしまった。 「あぁ、昔と変わらない。…何事もそのまま受け継ぐのも難しい話だが、存続となればまたもっと難しい話になってくる。時代に合わせて何かを変えねばならないこともある。しかし、だからといってそれまでのものを切り捨ててはなにの意味もなさない。」 そういって将軍様は棚の前を移動し、私の前にゆっくりと歩み寄ってきた。 「…。」 「これまでの積み重ねてきたものを残しつつも、これからのことも見据えたお店作りだ。名前殿の器量に恐れ入る。」 将軍様にそんなお言葉をかけてもらえるなんて思っておらず、私は恐縮しまくって、体を大げさに折って深く深く頭を下げた。ありがとうございますって、ちゃんとお礼を言わなきゃ、言わなきゃいけないのに、顔を上げられない。だって、今あげてしまったら、 「…よくぞひとりで頑張っておられるな。感心いたす。」 「あ、りが…っ」 泣いているのがバレてしまう。ちゃんとお礼を言わなきゃ。それに聞きたいこともあるのに。変わらないっていうのは、昔の三日月堂を知っているということ。深月さんたちとどういう関係なのか聞きたいのに、それなのに心がじわじわと温かく満たされていくのが止まらず、涙が溢れる。 「…なにも心配いらない。そなたのお店作りをこれからも頼む。友人として、客として、この店を大切に思う者のひとりとして、よろしく頼む。」 この国の一番偉い人、将軍様が友人でお客さんだなんて、深月さんたちっていったい何者なんだろうか。どれだけこのお店は愛されているのだろうか。どれだけ大きなものを、私は任されたのだろうか。これまで何度もそう思ったことがあるが、今日ようやくその大きさを知ったような気がする。 「…がんばりますっ!」 悩むこともある、責務に押しつぶされそうになることもある。けど、やっぱりそれ以上に頑張りたい、守りたいと強く思った。だって私にとって三日月堂は私の全てだから。 ここは町に愛され人に愛されてきた本屋だ。 三日月堂をこれからもしっかりと守っていくことを誓うと、将軍様もそうあるためにも、自分はこの国を守ろうといって、笑った。 戻る |