そういえば、次会ったら殺せとか言ってたな。

 今日はひときわ高級なスイートルーム、ただセックスするためだけなのにどうしてこんなに部屋数があるんだろ。まあ分からなくもないけど。地位も金もありあまる寂しい男はこういうときにこそリッチでいないと興奮できないのかもね。写真で見たターゲットは思ってたより凛々しい伊達男で、ああそういうこと、顔がよくて地位もあって金も持て余すような人間でさえだらしなく求めたくなるような奴といえばあいつしかいない。
 虫の知らせでもあったのか、部屋から廊下へ出ようとしていた男を無理やり部屋へ押し戻してそのまま消音銃のトリガーを引く。もうナイフを使ってやるような気さえ起きない。事切れたことを確認したらすぐに部屋を出てもよかったんだけど、あまりにも手応えのない仕事だったから憂さ晴らしにあいつを殺してもいいと思って奥へと進んだ。

「早すぎ」

 ベッドに腰掛け、ライトブルーの小さな缶をひねって開けながら今日も女はため息をついた。もう見せつける相手は消えたのに、せっせとボディクリームを脚に塗りつけている。サイドテーブルにはいつもの小瓶。ふわふわのバスローブを羽織り、まだ髪は湿ったように濡れている。なんだかよくわからない花の匂いがする。

「確かに、残念だったね」
「笑いながらそんな風に言われたってちっとも慰めにならないわ」
「王子が相手してやろっか」
「そんなつもりないくせに、よく言う」

 言われてみれば今日の任務は明け方じゃなく深夜でもなく、まだ夜が始まったばかりの22時。コトが始まる前に来てしまったわけで、女のほうもかなり不機嫌そうだった。殺すならいっぺんいい思いさせてからでも良かったかもしんないね。暖かいベッドルームには隊服の上着が邪魔で、引っぺがすようにコートを脱ぐと品のいいスツールに投げ掛けた。

「早すぎ、って、そういう意味だけじゃなくて」
「は?」
「今日の客、一見さんだったんだけど…、常連になったら、今までのあんたの邪魔が帳消しになるくらいの売上が見込めそうだったのよ」と、とまどいなく言いながら、女は手のひらに残ったクリームをもてあますように何度か手のあいだで塗りまわしていた。俺は意味もなく置かれた年代物のチェストに寄りかかったままわざとらしく顎を持ち上げる。見下すように女を見据えて、
「へえ、そりゃああのファミリーも殺したがってたわけだ」

 ヴァリアーなんて高い暗殺屋雇ってさ。

 その瞬間、女はいつもの気怠げな表情を一変させた。

「…ヴァリアー?」
「あれ、言ってなかったっけ」なんてとぼけてみせるけど、女の表情は全く緩まない。
「そう、あなた、あまりにも若いし華奢だから、…意外ね」
「そりゃどーも。これでも幹部だし」
「…、」

 こんだけ身分を明かせばもう殺す以外の道はなくなってくる。しし、と笑んで女のほうへ一歩歩めば、びっくりするくらい青い顔をしてぴくりとも動けずにいる。

「ちなみにベルフェゴールっていうの俺。ベルって呼んでもいいぜ」
「…ベル」

 噛みしめるように女がつぶやく。また一歩踏み出す。嵐の前の静けさ、息をひそめるように時間が冷えて固まっていく。女はゆっくりと瞬きをして、それから目を閉じた。

「それなら私の名前も言わなくちゃ。…私の名前は、  」

 女の名前を聞いた刹那、背後から無数の殺気を感じて指先にナイフをかけた。ずっと前から気配だけは感づいていたけど一体どこの差し金なのかは全然見当がつかない。ターゲットのファミリーはボスへの忠誠心が高いって有名だったけど、跡目争いの抗争で空中分解が始まってるって話だったはず。……、

「もしかするともしかするやつかな」

 振り返りざまに態勢を崩したままナイフを一直線に差し込んでいく。おちつかない視界で踏み出すべき方向を定めて土砂降りのように襲い来る銃弾をスレスレで避ける。足元から這い上がって、胸の中で膨らみ、頭ん中で爆発する激烈な高揚感が一瞬にして全身を駆け巡った。あいつを殺すことなんてひとまず脇に置いておいて、突然やってきたこのゾクゾクする遊びに全身を埋めていく。どうしてこのタイミングで襲ってきたのかとか、何が目的かとか、一体何の集団なのかとかは今んところ推測の域を出ないけど、そんなんどうだっていい。かなり精鋭を集めてきたらしいこの集団は、わりと手応えがありそうで、一瞬にして部屋を出ると駆けながら何度も執拗に襲ってくる。息が上がって全身の感覚が急速に冴え渡り、空気のわずかな揺れでさえ笑ってしまうくらい敏感に伝わってくる。喉元や心臓に刺したらすぐに動かなくなってしまうから、腹や肩や太腿に、なんども執拗に、鋭利に差し込んでいく。じわじわと殺していきながら、ほんとあいつ何者なんだろ、と頭の片隅で考える。こいつらの誰かに聞いてみればわかるかもしんない、と思った矢先に最後の一人もうっかり殺してしまって、結局めんどくさくなったから部屋へ戻ることなく夜の街へと出て行くことにした。

 夜の娼婦街はそこらじゅうの窓が薄暗く灯っていて、その向こう側では欲にまみれた汚い男とそいつらに金で買われた女がただ動物的に事を致しているんだろうけど、外はいたって静かにさめていて、自分の足音でさえ舗装された道路の奥深くへ引きずり込まれて失われてしまう。この街はいつでもそういう異常な静寂につつまれていた。

 たくさん殺した後の空気は美味しい。はあ、と空を仰いで息を吐きだせば、白く浮かんでゆらゆらと消えていった。



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