話 | ナノ



咲え、橙


それは夜23時過ぎ、いつもよりも早く帰路につく途中のことだった。
普段は仕事柄、3時や4時の帰宅が当たり前。あたりがすっかり暗くなっていることに変わりはないけれど、家に帰って時間に追われることがないというだけでもずいぶん気が楽だ。
こんなにも早く帰宅するのは久しぶりで、つい浮き足立ってお菓子を調達しようとコンビニに寄ったときのこと。
見覚えのある顔に気が付いて、恐る恐る声を掛けた。

「秀夫くん?」
わたしの呼び掛けにこちらを振り向いたその人は、目が合うなりぽかんと口を開け、そのまま怪訝そうな顔になる。それからハッとしたように少し目を見開いて、言った。
「名前?」
「そうだよ!へへ、一瞬分からなかったでしょ」
「髪色明るいし化粧してるから……誰かと思った」
それもそのはず、彼と最後にあったのはわたしが高校3年生の時だった。勿論髪は黒くて、スカートの丈を膝より上にあげたことの無い真面目ちゃんが、およそ10年ぶりに会ってみれば金髪ウェーブにガッツリ化粧のおねえさんになっていたのだから、驚かない方が不思議だ。

秀夫くんとわたしは、幼馴染とまではいかないけれど、家が近所でよく顔を合わせていた。10ちょっと年が離れているから、小さい頃はお兄ちゃんのように慕って、何かとお世話になったものだ。

しばらく会っていなかったわりには彼の顔や背格好に大きな変化はなく(最近本屋で見かけた音楽雑誌の表紙に写っていた姿となんら変わりはなく)。わたしを見て眩しそうに笑う表情も昔と同じで、なんとなく、安心する。

「いつもこんな遅い時間まで外出してるの?」
缶ビールを2缶、3缶と手に取りながら問う声に、苦笑いで応える。
「うん、仕事柄しょうがないんだよねえ。今日は本当に珍しくて、これでもだいぶ早い方」
流石に普段の帰宅時刻を正直には言いにくいな、なんて思いつつ柑橘系とベリー系の酎ハイの間で心が揺れ動く。結局誘惑に負けて二つともをカゴに入れると、一瞬面食らった顔をした秀夫くんが、自嘲気味に笑った。
「そっか……もう飲めるのか」
「ふっふっふ、もうとっくに、合法的に飲める年だよ」
「そうか、名前も成人か……」
「秀夫くんはもうおじさんかぁ……」
「うわー傷付いた」
わざとらしく胸に手を当てて俯く姿が面白くてつい声をあげて笑った。

「それじゃ、良い年したおじさんがお姉さんを家まで送ってあげますから、待っててください」
「え!?いやいやいいよ!もうわたしお姉さんって年でもないし!」
突っ込みどころはそこじゃあないよなと思いつつもブンブンと手を横に振る。
「いいから送られなさい、こういうときは年下らしく甘えておけばいいの。会計終えたらトイレ行ってくる、店内でちょっと待ってて」
こういう時に年上の特権を使ってくるのは非常にずるいと思う。しかし有無を言わせぬ様子に根負けしてそれ以上何も言わず、わたしはおとなしく首を縦に振った。

会計を済ませ、戻ってきた秀夫くんと店を出た後、湿り気のある風に吹かれながら肩を並べて歩いた。かろうじて梅雨の時期は過ぎたものの、肌を刺すような夏の暑さを感じる日はもう少しだけ先になりそうだ。
「秀夫くん、こっちに帰って来てたんだね」
問いかけながら隙を見て縁石の上にあがったわたしを嗜めつつ、彼は答える。
「古い友人と地元で会う約束あったから、ついでに家に顔出したんだ」
「あぁ、なるほど」

「名前は、今何の仕事してるの?」
さりげなく、こちらを向くでもなく。でも遠慮がちな声色。昔からそう、きっと変なところで気を遣って、おかしくなるくらい優しい人だ。
「見かけ通りだよ。夜のお仕事。奨学金返す為に一番手っ取り早いかなと思ってさ。最初はやっぱり抵抗あったけど、なんとかやってる。あのもっさりした女子高生がキャバ嬢になるだなんて、びっくりでしょ?」
嘘ではない。昔から人と話すのは好きだったし、そういう面ではもしかしたら天職なのかもしれない。しかし正直なところ、大変なことの方が多いことは事実だ。規則正しい生活も何もあったものではないし、店の外でも求められるお客様とのコミュニケーションは精神的な負担にもなる。……挙げればキリがないけれど、それらを秀夫くんに伝えるのは、なんとなくはばかられた。

「昔は秀夫くんの方が随分と荒れててわたしが心配してたのに、これじゃあ逆だね」
「ええ……俺、あんまり荒れてなかったけどなぁ」
「いーや、めちゃくちゃに尖ってたね」
2人で思い出話をして笑う。会っていなかった分だろうか、次々と口をつく話の数々。上手く核心からは逃げつつも、話は尽きなかった。

「わざわざ家の前まで送ってくれてありがとうね」
「いえいえ」
「なんだか、懐かしかったね」
「そうだね、昔はよく送ったりしてたかもな」
そう、昔から、遊んでもらって、一緒に家路について……見慣れた家の屋根が見えてくると、帰りたくない、なんて寂しさに襲われたものだ。
きっと今も、そう。

「あのさ、秀夫くん」
「うん?」
「わたし、秀夫くんの笑った顔が大好きだよ」
「……ありがとう」
「昔からずっとそう。だから、ずっと笑っていてね」
わたしが成長して笑わなくなった分、彼が笑ってくれるといい。わたしが上手に笑えるようになった分も、彼が思い切り笑ってくれるといい。そうしてさらに欲を言えば、たまにライブのチケットをとって、その楽しそうな笑顔を生で見られたら……そんな幸せはないな。
それを聞いた彼は少し笑って、そうだなぁ、とひとこと漏らしてから言った。
「じゃあ交換条件で、名前も笑うこと」
「そんなの、毎日笑ってるよ」
「それじゃ、ちゃんと笑うこと」
責めるでもなく叱るでもなく、だけど念を押すように言われて、誤魔化すことを諦めた。きっと彼は、先ほどのわたしの言葉の意図を分かった上で言っている。
「うーむ、善処しよう」
腕を組み芝居がかった態度で告げると、彼は満足そうにひとつ頷いた。

「はい、指きりげんまん」
そう言って冗談混じりで差し出された指。あまりに外見と不釣り合いな仕草に笑いながらも、おとなしく小指を絡める。またひとつ頷いた彼は、同じく笑って続けた。
「嘘ついたら針千本飲ます」
「はーい」
「わりと鋭いやつ選んで飲ます」
「容赦ないな」
「何かあったらメールか電話してきなさい、指きった」

指を離した秀夫くんが、顔を上げて笑う。
「変な顔」
「いや、なんか……ずるいなと思って」
「なに、今更気付いたの」
楽しそうな彼を横目に、少し悔しい。
「メールアドレスも電話番号も一切変わってないから。あ……でも、彼氏とかいたら、嫌な顔されちゃうか」
わたしがこんなに変わってしまっても、彼がわたしに向ける優しさは昔と何ら変わらなかった。変わっていなかった。嬉しい一方、どこか惨めな気分になって、さりげなく目線を逸らす。

「こんなわたしに彼氏なんているわけないでしょ」
「あら、そうなの」
「ほっとした?」
「そうだなあ、すこし」
からかったつもりが、小さな不意打ちを食らった。少し喜んでいる自分が解せない。言葉に詰まった隙に、秀夫くんが話し始める。

「名前は、見た目が変わっても中身は変わってないな」
「はは、そうかな。我ながら結構、ひねくれたよ」
例えばそう、こんな風に、秀夫くんからの言葉を真っ直ぐに受け止められないあたりとか。
だけどそんなわたしの自嘲気味な言葉すらも、彼は一蹴する。

「そんなのもともとひねくれてたよ」
「うわ」
「もともとそんなに良い子ちゃんでもないし……むしろ反抗的で、たまにしたたかでもあったなあ」
「……褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
……半分は。と付け足した彼の肩をビシッと叩く。でも力は確実に強くなってるね、と苦笑いしながらこちらを見てまた続ける。
「人の中身なんて10年やそこらじゃ変わらないよ。だからちゃんと知ってる。どれだけあなたの面倒見てたと思ってるの」

ぽん、と頭に手が置かれた。頭に乗る少し温かい重み、そして遠慮がちに髪を撫でられる。幼い頃、最後にしてもらったのはもう、いつのことだったかすら思い出せないこの感覚。それでも込み上げる懐かしさに目を細めた。

「俺は名前のこと、なんかひまわりみたいな子だなって思ってた」
「そんなに黄色かったっけ」
「いや、むしろ肌は白かった、って、そうじゃなくて」
華麗なノリツッコミを披露して笑いながら、彼は続けた。
「ひねくれてても、したたかでも、生意気でも、俺は……のびのびと生きてる名前を見て、なんかこう、なりふり構わず咲いてるひまわりみたいだと思ってたよ。のびのびと走り回って、転んでさあ。そんで結局泣いて、っていうのをひたすら繰り返して……今思うと、子どもってみんなそういうものだったのかもしれないし……あ、花の名前、桜とひまわりとチューリップくらいしか知らなかったってのもあるかもしれない」

なんだそりゃ、説得力なさすぎ。
おまけに、励まそうとしてるのかそうじゃないのかさえも、もはやよく分からない。
それでも自然に声を出して笑って、気が付いたら口をついていた。

「ありがとう、秀夫くん」

***

コンビニでまさかの再会があってから1週間後、いつも通りに仕事を終えたわたしはまたコンビニに寄っていた。今日の目的はお菓子ではない。お酒でもない。きっとそのどちらよりもずっと好きなもの。
ありがとうございました、という店員さんの声に送られながら外へ続くドアを押し開ける。ここ数日で一気に増した夏の匂い、夜特有のムワッとした空気が真正面から顔を撫でた。

右肩に鞄、左手に握るはチケット。
「ちゃんと笑うこと」と言った彼の顔を思い出す。
秀夫くん。ちゃんと笑うって、こういう顔でしょう。
口元の緩みを隠す気もないまま、チケットに印字された大好きなバンドの名前をひとつ撫でる。はたから見たら随分と気持ち悪い人だな、なんて頭をよぎった考えは深く追及しないでおく。

帰路へと歩を進めようとしたとき、あっと気付いた。コンビニの脇、オレンジの街灯がかろうじて照らす範囲のギリギリ端っこに、目いっぱい花を開いたひまわりが一本佇んでいる。
さては秀夫くん、コンビニを出た時にこれを見つけて、わたしを元気付けようとアドリブであんな話をしてくれたのだな。昔からそんなに器用な方じゃなかったのに。
そう思うとなんだか、笑いが込み上げてきた。深夜3時にひまわりを見て笑う女。完全におかしな奴だがしょうがない。

空が白んできた。きっとあと30分、1時間もすれば、日が昇る。このひまわりも、日の光を受けてしゃんと背筋を伸ばすのだろう。
今日は1日休みだ。家に帰って一眠りしたら珍しく散歩にでも出て……太陽に向かって真っ直ぐに咲いたひまわりの写真でも、メールで送りつけてやろうじゃないか。



あなたはいつも笑ってた


タイトル読みは「わらえ、だいだい」。
やはり秀ちゃんの雰囲気を文章に閉じ込めるのが難しい。秀夫くんが言ったひまわりは、きっとアドリブなんかじゃないと思います。
20160619
20160925改変


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