話 | ナノ



こっち向いて、先生


開いた窓から入り込むそよ風を受けて、ふわりと揺れる前髪に目を奪われる。その質感はどんなだろう。猫っ毛か、意外と芯のある癖っ毛か。はたまた、近くで眺めればパーマやカラーの刺激に傷み、枝毛がそこかしこにあったりするのだろうか。
そんなことを考えながら、今日もわたしは心地よいその声に耳を傾ける。





「藤原先生」
「はい」
「好きです」
「はい、どうも。先週までのレポートは」
「先生のことばかり考えていたら、なんと、また忘れました」
「はい、3回目ね。おめでとう、今週の水曜過ぎたら落胆確定です」

つれない。が、そこもいい。

「水曜までにレポート出したら何かしてくれますか」
「うーん、しょうがないから単位落とすのやめてあげるかなあ」

こちらをちらとも見ないまま、彼は教卓の上に置いていたダッフルコートに手を通す。私の中ではもはや彼のトレードマークになりつつある紺色のトートバッグを肩にかけると、
「おつかれさまでーす」
いつものようにひらひらと手を振りながら講義室を出て行ってしまった。

うーん、好き。
無謀を通り越して不毛な片思いを始めてからかれこれ8ヶ月になろうかという大学3年の初夏、4講終わりの講義室である。

所属する学部も学科も異なる藤原先生との出会いは、大学ならではのものだった。
徹夜がたたって瞼が鉛のように重く、講義前少しでも眠ろうと早めに講義室へ向かった日のこと。教卓でなにやら四苦八苦している様子の男性を見つけて、気まぐれで声をかけた。
何を隠そうその彼こそが今の私の想い人、藤原基央先生である。

聞けばどうやらスクリーンとノートパソコンをリンクさせて講義をしようと試みたらしいのだが、途中で原因不明のエラーが発生して接続が途切れてしまった。仕方がないので講義は板書で済ませたけれど、講義が終わってみてもエラー表示は消えないままで、はてどうしたものかと頭を抱えたらしいのだ。

ひと通り説明を聞いた後でどれどれと画面を覗かせてもらえばなんて事はない、私もちょくちょく表示させてしまうような単純なエラー表示であったものだから、ちょいちょいと設定をいじって画面を占領していたウィンドウを消すことに成功した。

「おお……すげぇ……」
綺麗に整頓されたデスクトップに感心しながらもエラーが消えた画面を見せると、彼は思わずといったように感嘆のため息を漏らした。
そうして私に向き直り、長い前髪に少し隠れた両目で私の目を見て、言ったのだ。

「ありがとう。助かった」

カッコつけてデジタル機器なんて使うもんじゃねぇなあ、と苦笑した拍子に揺れた前髪と照れたように頭をかくその仕草にも胸を打たれた。それは事実だ。
しかしなにより真っ直ぐに目を見て告げられたありがとうが、私の胸のど真ん中を突き刺したばかりか勢い良く貫いてしまったのだ。

その次の年から彼の担当する講義をチェックして片っ端から時間割に突っ込んだことは言うまでもない。動機が不純だと言われようが知ったことか、勉強しているのだから良いではないか、と日々開き直って生きている。

そんなこんなで迎えた水曜日、藤原先生の講義がない日にも関わらず、(理由がなんにせよ)先生に会えるだなんてなんと幸せなことか!とスキップどころか踊り出したい衝動をぐっとこらえながら研究室を訪ねた。

「失礼します」
「はーい……って、君か」
ノックと共にドアを開け顔を覗かせると、一瞬こちらを振り返りかけた藤原先生がくるりと首を元に戻した。その冷たさといったら釘が打てるバナナ級。
手元の本に目線を落としたまま要件を聞かれ、思い出したように握りしめていたレポートを差し出す。相変わらず柔らかなウェーブを保っている前髪をチェックすることも忘れない。

「はい、確かに受け取りました。次回からは期限までに出してね」
渡したレポートにさっと目を通したかと思えば、またすぐ本に目を落としてしまう。お疲れ様、なんて背を向けたまま素っ気なく手を振られてしまえば大人しく部屋をあとにするしかない……
なんて言うと思ったか!

「先生」
「はい」
「好きです」
「はいはい、ありがとう」

「本当に好きです」
「やったね」

「友達とか家族への好き、じゃない方の好きです」
「へえー、それはすごい」

三段構えの攻めではあったが、相変わらずのつれない態度は予想済み。何を隠そう今日の私は攻めの女だ。読書の邪魔になったならそれは申し訳ないけれど、それはそれでこれはこれだ。そもそも生身の人間が目の前にいるのにも関わらず本ばかり見つめるなんて、そんなの非人道的です先生!と声を大にして言いたい。コミュニケーションはもっぱらフェイストゥフェイス派である。

「先生、お返事をお聞かせください」
「うーん、可」
「まさかの評価制」
「あ、そういえばまたパソコンの操作で分からないことがあったんだった」
「華麗なスルー」

いつものように軽くいなされて、分かりきったことではあるが少し悔しい。確かに話が続いたことは嬉しいんだけど、頼りにされてるのも嬉しいんだけど、でも、そんな意図的にこちらを見ないようにしなくたっていいじゃない。
立ち上げたパソコンとにらめっこする横顔をうらめしく見つめれば、普段前髪に隠れている瞳がよく見えた。

「このファイルをダウンロードしたくてクリックするんだけど、毎回警告が出てくるんだよねぇ……実はダウンロード出来てんのかなと思って色んなフォルダ開いてみたんだけどどこにもなくて」
「本当にデジタル苦手なんですね」
「使いこなせる今の若い子すげぇと思うもん」
「若い子」。その一言にすら、突き放されている気がする。そもそも私が彼に向けている好意は、抱いた時点で不毛であることが確定している感情なのだから、突き放そうが拒絶しようが向こうの勝手ではあるのだけれど。

「あー、これはですね、簡単に言うと、先生のパソコンが慎重すぎて、完全に安全なファイルしかダウンロード出来ないようにしてくれちゃってるんです。だからまずここから設定を開いて、ここをクリックしてチェックを入れて」
画面から少し目線をずらして様子を伺うと、先生は目を細め、時々ふんふんと頷きながら私の話を聞いていた。私の言葉に真剣に耳を傾けてくれているなんて、恐らく出会った時にパソコンに出ていたエラーを消した時以来だ。私は電気屋か。

「やっぱり敵わないなぁ」
ひと通り私の説明が終わった後、無事ファイルをダウンロード出来たことを確認した彼は、お手上げだと呟いて両手を頭の後ろで組んだ。
「世は情報化、データ化まっしぐらですよ先生。少しずつ覚えていかないと多分、後でもっと苦労します」
「俺は時代に逆らって生きてやりますよ」
「それなら講義で無理にパワーポイント使おうとしない方がいいと思いますけど」
「あれは……他の先生がやってたからカッコいいなって思ったんだもん」
口を尖らせて呟いた彼は、組んでいた手を解いてふて腐れたように頬杖をついた。

「先生ってたまに小学生みたいな思考回路してますよね」
落ち着いた見た目にそぐわない台詞と振る舞いに少し笑いながらも、そっけない態度を取った仕返しにと軽く皮肉ってみる。

「はは!良い褒め言葉だなぁ」
おかしそうに言った彼が、何気なくこちらを見上げる。その拍子にふと、目が合った。

目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものだ。
自惚れと言われてもいいと思った。妄想だと言われたって。
だからその質問は、あまり意識しないうちにぽろりと口からこぼれ出た。
思わず目を背けたくなるほどに、向けられた瞳は優しかった。

「先生、もしかして」
「ん?」
「私のこと、結構好きですか?」

逸らしてしまいたい衝動を堪えながら、いつかの彼を真似て、真っ直ぐに。
見つめた瞳は、微塵も揺らぐことないままで少し細められた。

「……うん。バレた?」

大人の男性が浮かべるいたずらっ子のような笑みというのは、非常にタチが悪い。言葉を頭が飲み込む間もなく、確信犯かと疑うほどのその表情にやられて、軽く目眩がした。

「友達とか家族への好き、ではなく」
「うん」

「お……女としての好き、ですか」
「うん。だから……」

止まない目眩の中、続く言葉の気配に体を強張らせたのだが。

「だから単位落とさないでね」
続いた彼の言葉があまりにも変化球で、思わずポカンと口が開いた。
「そ……れ関係あります?」
先生はわざとらしい仕草で顎に手を添え、考え込むような素ぶりを見せながら口を開く。
「留年されたら君の卒業を待ってる俺の待ち時間が増えちゃうなぁ」
「どうして卒業を待って……あっ……そういう……」
さらりと告げられた衝撃の事実を、時間差で理解してしまった私の半開きになった口からは、もはや吐息のような掠れ声しか出てこない。正直を言ってしまえば「バレた?」のあたりからもう私の頭と心は胸キュン限界値突破キャパオーバーである。

「途中で若い男に目移りしてなびかれたら泣いちゃうなあ」
余裕すら感じさせる笑みを浮かべて弱気な台詞を吐くあたり、確信犯以外の何物でもない。

「……それはもう……すでに先生以外見えていませんから」
やっとのことで絞り出した声、しかし自信満々で告げた言葉に彼はまた笑い、細めた目で真っ直ぐにこちらを見るのだ。そんな顔で見つめられたらなびくどころか逃げも隠れも、目を逸らすことすら出来ないというのに。

「待ってるよ」
くるりと椅子の向きを変えて向けられた背中からは、もう素っ気なさなど微塵も感じなかった。

***

「藤原先生、両思い記念にもう少しここで先生の背中を眺めていてもいいですか」
「わー、両思いって言葉聞いたの小学生以来かもしれない。良い子だからキャンパス戻りなさいね」
「冷たい……近い未来の彼氏なのに……」
「名字さんに見られてると俺がそわそわして仕事にならないの」
「わぁ……好き……」



完!
- - -
最後にバカップルの香りが漂うだなんてそんなはずはありません。元々は藤原先生に「良い子」ってフレーズ言ってもらうために生まれた話。(前半のタメが長い。)
'161004-'161219


Top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -