「閻魔さん、何考えてるんですか?」

「え、いいや何でも・・・ってそれ何?」


彼の一言で過去から現実に戻って来た俺は、彼の手元に目をやり二段に驚いた。

白いクラッカーの上に何かバターみたいなもの、その上にサーモンとチャービルが小造りに盛り付けられていた。


「下はクラブのペーストですよ。先輩アレルギーとか大丈夫ですか?」

「あ・・・ああ、うん、うまいねこれ」


ぶっきら棒に口に放り込んで思う、何このセレブリティ満載の食べ物。
笑える。


「笑えるよ。鬼男くん」

「何ですいきなし」


自分で作った、今度はいくらの乗ったセレブフード(命名、俺)を咀嚼しながら、彼が言う。

1年前と変わらない、形の良い切れ長の目が俺を見る。

お母さんは半分アジア人で、お父さんは日本人。だから彼もほとんど我々と変わらない顔をしている。

しかし、4分の1の血のせいか、長い外国暮らしのせいか、彼の空気はどこか、異国の魅惑的な香りを漂わせていた。

ってこれ、香水の匂いか?
もう分かんないや。


「この家凄いじゃん。君がこんな大スターみたいな家に住んでるとは・・・」

「どうも。俺、狭い所駄目なんですよね。洋服とかすぐ溢れちゃいません?」


6畳程の自分の部屋の、壁と押入れにだらんと掛けられた着まわし過ぎた洋服達が今、俺の中でぐれた様にそっぽを向いた。

もう、いいや。きっと彼とは核心に通じる道に関して隔たりがある。


「このテレビとかスゲー。俺の家、デジタル放送始まったら死ぬもん。DVDこれ、何見てんの?」

「それ下のやつブルーレイですよ」

「ぶ?」

「いや、もう、いいです」


彼も同じ結論に至った様だ。


そのテレビでAV見たら凄いですよ。ド迫力の等身大。実家では流石に出来ませんでしたもん。

と、彼は冗談交じりに笑った。

いやらしい奴だなー、と彼に掴み掛って、一しきりじゃれたら疲れが出て、ソファーに身を投げる。

仰向けの目に、明るい照明がまぶしかった。
防壁のない瞳に過度の光は毒だ。

俺は静かに目を閉じる。


「眠いですか?お風呂はどうします」

「風呂はいいや・・・あ、ごめん、ありがと。このソファー気持ちいいなー」


脳内でまた、自宅のせんべい布団が不良になった。


客室で寝ますか、という彼にここがいいと言うと、はいはいと言った風に奥に引っ込んだ。

客室って何ぞ、と思っていると、すぐブランケットを取って戻って来た。

俺に1つ。自分の足元に1つ掛けて座り直す。

俺が脚を伸ばして、彼が座ってもまだ余りある超ド級のソファーだった。

戦艦か!これは!

彩度の低い寒色の生地が目に入って、俺は違和感を覚える。

そしておもむろに姿勢を直して、彼の方に頭を向けて寝転がる。

ビールを口に運んでいた彼は、どうした、という風に俺に目を向ける。

飲み直した体温に、彼の淡麗な容姿が涼しかった。


「鬼男くん、ほんといい男だよね」

「・・・ありがとうございます。酔っ払いさん」

「閻魔だよ!」


思わず出たツッコミに、彼がふ、と笑う。

その笑顔に1年前の彼の手の温かさを思い出し、俺はふいに、再びそれを感じてみたくなった。

思いついたら吉日の酔っ払い。

足漕ぎボートの感覚で彼の方に体を寄せて、腕の下、彼のももの上に頭を乗せる。

首筋、頭に穏やかな体温が伝わった。


「・・・何してるんです」

「お膝枕。あー鬼男くんあったけ〜」

熱あるんじゃないの、って位、彼は体温が高かった。

何だかこどもっぽいんだな。

妙に大人びた容姿とは対照的で、何だか魅力的だと思った。




暖房の効いた室内、アルコールで火照った体、彼の体温、何だかエロティックな気分だ。



意味もなく口の端が上がるのが分かった。

小気味のいい笑いではなかっただろうけど、彼は俺を引き剥がすこともせず、大人しく酒を口に運び続けていた。

優しい子なんだなぁ、と緩やかになった思考がポジティブな結論を弾き出した。


「最近学校、楽しい?」

「寝物語ですか?」

「うん、そんな感じ」


彼は暫く考えた後、俺見降ろして、楽しいですよ、まぁ、不満もありますけど、と言った。

不満あるんだ・・・と、少し気になった。

入学当初さえ少し壁はあったものの、今の彼は居たって普通に、花の学生生活を謳歌している様に見える。

友達も沢山、授業のことは分からないけど、それ程やばいと聞いたこともない。
サークルも皆仲は良い。

後は・・・


「・・・鬼男くん。彼女っているの?」

「何ですか。いきなり」

「いや、不満ってそういうことかなーって思って」


さっきAVの話してたし。
変なこと引きずらない下さい、と彼が少し恥ずかしそうに言う。

そういえば、前小野が遊びに来た時にもAVの話したら、あいつ凄い照れてて、カワイイ奴だなぁと思いましたよ。

なんて、誤魔化すようにそう言う彼も、今の俺から見たらだいぶ可愛く見えるんだけど・・・。


「小野くん遊び来たんだ。他には?」

「後はゼミの友達とか・・・サークルの奴も何人か来ましたよ」

「えー、誰だれ?1年生?」

「1年も居たし・・・」

「上級生も?へぇ・・?あれ、それってもしかして・・・!」


違っがいますよ!と彼が力強く言った。

これは、当たりと思って間違いないよね。彼の、特別な人。


「違いますからね!マジで!確かに女も居たけど・・」

「居たんだ。ホーラ」

「だからそういう意味じゃねぇって!泊まった奴もいるけど、それは・・・」

「したのか」

「死ねよ!んのやろ〜違ぇって言ってんだろ」


死ねと言われて尚にやにやしている俺をどうにかしようと、彼は焦ってまくしたてる。

違うってと、言えば言う程、墓穴を掘る様子が面白くて、俺はしつこく彼の言葉尻を捉えた。








「分かった。非常に良く分かったよ鬼男くん。この家にはこの1年の内に少なくとも、計3名の女性が訪れている」


はぁ・・と半ば呆れた様子の彼が、力なく返事をする。

喋り疲れた体を背もたれに預け、足を投げ出す姿勢を取っているから、彼の顔が良く見える。

少し青ざめた血色と、顰められた眉が加虐心を誘った。

俺は取り調べを終えた警官みたいに、ひとつ、わざとらしく大きなため息をついたあと、満面の笑みでこう、告げた。


「結論として、ここで君は、犯行に及んだということだね」


犯行ってなんだ!
と、急に血の色を取り戻した顔で彼が叫んだ。

急に起き上った拍子に、空き缶やつまみの乗った小机に足をぶつけて、声にならない声を上げて縮こまる。


俺は大爆笑で彼の腹に顔を寄せて肩を震わせていた。


「先輩・・・、閻魔さん、聞いて下さい」

「嫌だね!」

「聞けって!なぁ!」

「嫌です!遊び人の言うことは聞きません」








そう言った次の瞬間、凄い力で肩を掴まれて上向かされた。

驚く俺の目を見て、彼が小さく息を呑んだ。

やりすぎた、と思った。






「遊んでねぇよ!僕は・・・」


見たことの無い様な真摯な、どこか悲痛な顔で、そこまで言ったあと、彼は黙って2本目のビールを開けた。


急にしん、となった室内が不安で、彼と目を合わすことが出来ずに、俺は静かに上体を起こした。

謝らなければ、と思った。

誰だって、遊んでいるなんて言われれば、頭に来るだろう。

酔いに任せて好き勝手を言った自分が、急に嫌な人間に見えて来て、すぐには言葉が出なかった。


彼が傾けた缶の中で、ちゃぷん、という液体の動く音がした。


「ごめん」

「・・・いいですよ、大きな声出してすみません」

「いいよ、俺が悪い。怒っていいよ」

「いいですよ」


その後の会話が続かない。

この場から逃げたい、と思った。でも電車もない。道もあやしい。

それに、傷つけた彼に対する責任を、俺は取らなければならない。

意を決して、彼の方を向き直る。


「鬼男くん。許してとは言わないけど、ほんとにごめんね。」


だからいいですって、と不機嫌に顔をそ向けられた。
心がほとんど折れたけど、俺は続ける。


「君は遊んでる子じゃないよ。分かるよ、それくらい」

「・・・」

「ねぇ・・・。よい子だって思ってるよ。1年前から」

「・・・覚えてるんですか」


そう言って彼がこちらを振り向いた。
缶ビールを持った手を自分の膝の上に置く。


「覚えているよ。あれから、余り話せなかったけど・・」

「1年も前ですよ」

「覚えてる、百合の指輪してたよね。女の子の所から逃げて来た」

「あんたは、聖徳先輩に席を取られて、隅の方で小さくなってましたね」


思わず、小さくってなんだよ!とつっこむと、すみません、と笑う。

ああでも、少し機嫌が直った様で良かった。

後、向こうも俺を覚えていてくれたのが、不思議ととても嬉しかった。


「小さくなんてちっともなってないけど、君も覚えててくれたんだ」

「そりゃ、覚えてますよ。あの時は面倒臭かったなぁ。次から次へと知らない女に絡まれて・・・」

「こ・・・このあそ・・いや、色男!」

「今、遊び人って言おうとしませんでした」

「色男!色お琴!・・あ、あれ、おこ、・・・ん?」


焦って見事に噛む俺に、もういいですよ、いや、気にしないでください、と言った彼はいつもの彼だった。
良かった、と思った。


「僕ね、あの時最初から、先輩と話してみたいなぁと思ってたんですよ」


唐突に彼が語りだす。

何故?と思ったけれど、何だかこのまま彼の話を聞いた方が良いきがして、俺は首を傾げて彼の言葉を待った。


「先輩、あの大騒ぎの中で、1年の世話ばっかしてましたよね」

「うん・・まぁそうかなぁ」

「そうですよ、訳分かんなくなって暴れてる奴、なだめたりして」

「それは、仕事だし。やっぱり新入生可愛かったしね」


先輩優しいんすよ。と話に関係なく彼は言った。

何だか照れくさくて、あははと笑うと、彼が微笑んで俺を見た。

やっとまともに目が合う。

なぜだか心臓が、一度大きく鼓動を打った。

血液が全身に回る感触がする。
指先まで温かくなるのが分かった。


「地味な感じなのに、気ばっかり配ってて。何の恩も返してもらえないのに」

「まぁそういうもんだよ。って地味は余計だ」

「すみません。でも、そういう所も俺、好きですよ」


好きです、という。男前の彼が言うには陳腐な台詞。

しかし俺はアンバランスの魅力に弱いらしい。胸に響いてとても嬉しかった。

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