「それは、お前の母さんも、俺を愛していたからだろう」
それで、お前が生まれたんだよ。お前の母さんの、母さんも、俺を愛していた。
そして、お前の母さんが生まれた。
何と怨念の深い。業の深い。
俺は、嘗て、ある女に恋をした。
それは、俺が懸想してはならない女だった。
しかし、俺達は、思い合ってしまった。
子は、浮世へと落とされた。
美しい子供だった。
ただ、すこし他の子と、毛色が違うことを除けば、普通の子だった。
その時は、本当に少し、違うだけだった。
俺は密に、その子の後を追った。
その血が、たまらなく恋しかったのだ。愛した女の血が。
許されぬこと、と分かっていながら、何度も、その子を、その、子を愛した。
そして目の前、今、横たわる鬼を見る。
これが、執念と言うのだろうか。
幾代かの後、生まれた彼は、人でも、冥衆でもない、完璧な鬼の姿を手に入れた。
彼を鬼に変えたのは、俺の執念か、女の執念か、それとも、違う、誰かの執念か。
「閻魔さま」
「何だい」
「僕は、あんたを愛したくない」
愛したくない、と言って俺の背に細い腕を回す。
彼の意思とは関係なく、彼の血が、本能が、全てを覚えているのだろう。
「愛さなくても良いよ。ただ俺を思ってくれないか」
「思うことは、愛することよりたちが悪いだろう?」
名前のない思いは、強い魔物を生み出す。名を付けてはならない思いは、やがて、悪魔に変わる。
そう言って、彼は怯えた。
俺は帯のお太鼓に手を掛けた。
はだけた胸元に鼻を寄せる、この瞬間が、何より好きだ。
「あんたが憎い」
「そうかい」
「そうでも思わないと、僕は魔物になってしまうよ」
少年の鋭い爪が首筋に食い込んだ。
俺は死なないが、この子に殺されるのではないか、と思った。
少年は、憎い、憎い、と、うわ言の様に呟く。
しなる身体に、俺は溺れている錯覚に陥る。
否、きっとそれは、心の中で初めて形を持つ、事実、なのだろう。
幾代か目に生まれた彼は、男だった。
永遠に続くかに見えた、この業深い愛は、遂に潰える時が来た。
この少年は、俺が、愛する最後の者になるのだろう。
そして、彼もまた、生涯俺だけを愛するだろう。
親は子を愛するもの。
彼の祖先は俺の子、で、また彼の祖先は、俺の祖先でもある。
だから、愛することは、遺伝子に刻まれた、まるでそれは呪いなのだ。
醜い血の呪縛が、尊い愛を縛っている。
「閻魔大王」
「何だい」
「僕は、あんたを手に入れたんだ」
赤く染まった頬で、胸で、彼は言う。
あんたを、手に入れたと。
「長い長い一本の樹形図の先っぽの方で、遂にあんたを捕まえたんだ」
そう言って、不意にこちらを見た。
そして、笑う。
俺は、血が下がるのが分かった。
俺は、この少年の一族を弄んだと思っていた。
しかし、少年の言は、正しく逆説的だったのだ。
俺の思いに踊らされた、彼の血は、俺を惑わせている。
そして、今、その血は目の前で、最後の焔を蓄えている。
思いが形を鬼に変えて、俺を愛するとこで復讐している。
「僕の心も、身体も、あんたのいいようにされたけど」
僕の理性を、あんたへの憎しみが守っていたんだよ。
これをあんたに言ってやりたかった。
そのためだけに、僕は、最後の理性を決して手放さなかったんだよ。
閻魔大王。
僕は、あんたの愛に従うことしか出来ない、生涯が憎かった。
けれど、あんたも、もう、僕以外愛せないでしょう。
笑う、鬼が笑う。
執念の鬼が狂って行く様に、笑う。
終わりの見えている愛に、苦しみなさい。
僕を愛しなさい。
「・・・父さん」
少年は言った。
美しくも壮絶な貌だった。
理性を手放した彼は、まるで、魔物の様だった。
彼はもう、俺を愛さずにはいられないから、俺ははれて、彼を手に入れたことになるだろう。
また、俺も彼しか愛せないから、俺自身も彼だけのものになった。
連理の枝が、もう、解けることのない様に。
複雑に絡んだ俺達は、後は、共に腐れ落ちるしかないのだろう。
障子の隙間から、柔らかな朝日が差し込んだ。
「帰らなければいけないな」
そう呟くと、布団に突っ伏した鬼が不満そうに、唇を突き出す。愛らしい仕草だ。
茶色の背中を撫でてやる。
すると、手が冷たいと言って、笑われた。
「お仕事ですか、閻魔大王」
「ああ、でも・・・」
まず、その前にしなくてはならないことがある。
そう言うと、少年が不思議そうに、首を傾げた。
それは、何です、と。
「鉄を呑まねばならないんだよ」
それは俺への罰だった。
それは、俺の、亡者への裁きに対する罰だと言われる。
しかし本当は、もっと、不義の罪への、戒めなのだ。
もう、俺への執念だけの鬼へと姿を変えた彼が笑う。
「僕にも、今度ください」
浮世へも、彼岸へも結べぬ、俺達の恋は、その罰によって形を得る。
そして、その存在を許されるのだろう。
不条理な世界は、優しいのだな、と、日光色の髪を撫でながら思った。
魔物が喉をならした。
fin.