「どう言う事ですか」
あれは確か、夜半も過ぎた時刻。
閻魔庁に入って、一月程経った頃だった。
閻魔大王に呼び出された僕は、思いもよらぬ命を、受ける。
「えっとね、お願いなんだ。あの人が邪魔だから」
消してくれないかな。
そう言う事だよ。
彼は、僕の目を、真っ直ぐに捕えて、微動だにしなかった。
その瞳の曇りのなさを、初めて恐ろしいと感じた。
閻魔は、視線をずらさず、す、と立ち上がって、こちらへ歩み寄って来た。
王の威厳に満ちた、けれど妙に慣れた仕草だった。
「分かるね、これは命令だ」
「しかし…そんな事が」
許されるのですか。
そう言おうとした僕の首筋に、閻魔はするりと腕を回した。
そして深く、口付けた。
訳のわからないまま、電気ショックを浴びせられたようだった。
そして、ひどく興奮していた。
こんな事、ある筈がない。
君主である、閻魔大王が殺しの算段を持ちかけて、まして臣下の唇を奪うなんて。
それまで神聖の域にあった「閻魔大王」と言う賢者に対して、唐突に、肉に迫った感情を覚えた。
目の前にいるのは、神ではなく、一人の男。
一つの肉体、そう、思った。
「頼むよ。戻って来たら、沢山遊ぼう」
長い口付けのあと、唾液に濡れた唇で、彼はそう言った。
まるで麻薬に侵されたように、頭がぼおっとして、僕はただ、緩んだ口元を手の甲で拭った。
゙戻って来たら゙彼はそう言った。
その意味は、後になって分かった。
特別秘書官の椅子は、ずっと空いていた訳ではなかった。
実際にはごく短い間、幾人かの鬼が、その職についていたようである。
けれど、皆、使い物にならなかった。
閻魔はそう言って、薄紅色の唇を尖らせた。
ある者は、職務を遂行する前に逃げ、ある者は、その仕事に適応できず、自らを壊した。
いずれにせよ既に、前任者達はこの世に存在しないそうだ。
見初められたら、最後。
悪魔の虜。
そう言う地位のようだ。