せんせい





「送っていってあげるよ!」


せんせいは元気よくそう言った。
式典が終わった後。
眼鏡はいつもと変わらないけれど、今日はびしっとスーツできめている。
いつものジャージやびろびろに伸びたセーターが、嘘のよう。


「せんせい、僕今日は・・・」

「あ、待って電話」


せんせいは電話を取る。同僚の先生からのようだ。
僕を送ったらすぐ戻ると言っている。この後また、仕事なのか、飲み会でもあるのか。
でも彼は今日、このまま僕を送っていったら、恐らくすぐには帰れない。
それは別にひわいな事情ではなくて。
僕は今日、今住んでいる家ではなく、市をまたいだ生家へ帰らないといけないのだ。


「ごめん、おまたせ!」

「せんせい、僕今日、いつもの家じゃない」

「え?」

「もういっこの方の家に帰らないといけないんです」


せんせいは、え〜と言って、すでにアクセルを踏んでしまった車を、取りあえず駐車場の出口へ向かわせる。
それでは時間がないから、送ってはいけないと彼は言う。
出口の手前が坂になっている。僕はそこで車を降りようと思った。


「やめなさい!」

「えっ?」

「こんな所で降りたら危ないよ」


何が危ないのだろう。
ほかの車も歩行者もいないのだけれど・・・。
けれど彼がいやに真面目な顔なので、車を止めてもらうのはやめた。
しかもせんせいは何を間違えたのか、出口を通り過ぎて、その向こうの路地へ入り込んでしまった。
そこは周りがフェンスで囲ってあって、その向こうは林のようになっている。地面にはなぜだか朽ちた落ち葉が溜まっていた。


「間違えた」

「先まで行くんですか?」

「抜け道があるかも」


せんせいはそのまま、車を直進させた。
途中、逆から歩いてきた女子生徒が二人僕らと行き違う。
知っている子だったので、窓を開けて手を振る。すると一人が「私は○○と言うのだ」と叫んだ。
それは彼女の名前だ。そんな事は知っている。
なぜそれを言ったのか、聞けない内に車は進む。

しばらく行くと、林は森のようになって、薄暗い、どんつきに突き当たってしまった。
ここは一方通行の道路のようだ。
しかし周りに建物も、横道もない。一体何のための道なのだろう。
それから先程の友人たちはどこから歩いてきたのだろうか。
彼女らも抜け道を探してここへ迷い込んだ?
そうならそうと、教えてくれたらよかったのに。


「降りよう」


せんせいが言うので、二人して車の外へ出る。
湿った樹木の匂いがつんと鼻をつく。
ふと、車の来た方から今度は男子生徒が集団で歩いてきた。
僕より学年が下のよう。知らない子たちだ。
一方せんせいは知り合いのようで、彼らと何やら話をする。
ここは行き止まりだと教えてやっているのだろうか。せんせいと彼らの笑い声が聞こえる。

やる事がないので、僕は行き止まりに茂った背の低い、さざんかか何かの藪を覗き込む。
するとそこには、少しも身動きをしない、薄茶色に黒っぽい斑点のある大きな芋虫がいた。
それが、一匹や二匹ではない。10匹、20匹?いや、もっと!
沢山の芋虫たちが、身動きもせず、藪の中の大きな葉を選んでか、折り重なるように固まっている。
僕は思わず、そこから飛び退いた。

腐葉土の匂いの、生暖かい風が吹く。
ざわりと木々が鳴ったとき、あたりがぼんやり暗くなった。
プラズマのテレビがブラウン管に戻ったように、おんなじ景色なのだけれど、霞んで暗く、いやに古ぼけて見える。


「せんせい、ここはおかしいよ」

「当たり前じゃない」


振り返ると、先程の男子生徒たちはもういなかった。
せんせいは車の向こう側に居て、屋根に肘をついてこちらを見ている。
当たり前とはどういうことだろう。せんせいはここの何を知っているのだろう。


「当たり前だよ。あれだけ、たくさんの人が死んだんだから!」


せんせいはそう言った。
意味は分からない。けれど、早くおいでという風に手招きをするので、また車に乗り込む。
どこか近くで降ろしてあげるねと、せんせいは言った。



僕は大きな湖のそばで車を降りた。
せんせいはもう、行ってしまった。
そこはほんとうに、とてもとても天気がよくて、暖かくて。
薄青い水と若い色の草が、太陽の光にきらきらと輝いている。
橋の下の小川から、新鮮な水のいい匂いがする。

ふと見ると、湖面の上では男と女の西洋の騎士が銀盤を滑るように剣を交えていた。
二人とも鎧を着ているけれど、一人は女だろうと分かった。流れるようなきれいな髪をなびかせている。

そこはひらけた場所で、とても良い所のようだ。
けれどそういえば、ここへ来てから音が聞こえない。
その事に、なぜだろう、その時気が付いた。


fin.

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