鬼男が小さい頃、閻魔はよく鬼男を殴った。

鬼男の母親は閻魔の奥さんだったけれど、いつの間にか他の誰かとどこかへいってしまった。

その時から閻魔は我が子を殴ったし、蹴った。









血液感染











ぼこん、という大きな音がして、鬼男はガラス戸にぶつかった。

続いてビィンという、ガラス特有の振動音をたてて、戸板全体が震えた。

閻魔はしまったと思った。

それは思わず我が子に手を挙げてしまったからではなく、また鬼男が驚く程ごろごろと転がったからでもない。

それはこの事を誰かに知られたらいよいよ自分は終わりかもしれない、と思うからだった。

彼の心配はたいてい自分自身の事だった。

閻魔の心は病んでいた。

奥さんがいなくなった事や、仕事がうまくいかない事。

動かしようのない事で、閻魔は考えすぎて、鬼男に当たっていた。

だけど鬼男はいつも殺してしまったのではないかと思う程、ひどく叩かれた後にでも、すいと起き上がった。

いっそ薄気味悪いくらいに、平然としていた。

閻魔は赤ん坊の時以来、我が子の涙を見たことがなかった。


「鬼男くん痛くないの?」

「うん」


幼子はいつもそういった。

平気なんだ、と思えば思う程閻魔は鬼男にひどくあたったけれど鬼男は逃げ出さなかったし、ただとろんとした目で父親を見ていた。

閻魔は時々、こんな事をしてはいけないと思う事もあった。

そういう、保身ではない普通の正義が心の中に生まれる事も、たまにはあった。

だけどそれでも、閻魔の手は止まらなかった。

いけない、いけないと思う程に、冷や汗を流しながら息子の身体を傷つけた。



17才になって、鬼男は閻魔の背を追い越した。

その頃には鬼男の身体のあざは消えていた。

二、三縦に長い傷が残っているだけだ。

鬼男が急激に成長をはじめた頃から、閻魔は鬼男を叩かなくなった。

それは生活が安定して来たからで、彼が避けようのない現実をあるがままに受け入れはじめたからでもあった。

閻魔の中には、ある程度の自制心が生まれていた。

閻魔は過去に我が子に行った事をひどく後悔していた。

当たり前だった。
本当なら誰より慈しまなくてはならない存在だった。


「鬼男くん、俺がしたこと怒っている?」

「いいえ」


相変わらず、息子は無口だった。

閻魔は多分、自分が彼の感情をすりつぶしてしまったからだと思っていた。

人として最も心を伸ばす時期に、閻魔は彼から痛み以外の全てを奪ってしまった。

胸がずきずきと傷んだ。

閻魔は鬼男に憎まれていると思っていた。

その頃には、閻魔は鬼男が愛しくてしかたがなくなっていた。



ある晩、鬼男は閻魔を抱いた。

ひどく取り乱す父親を、鬼男はまるで暴漢のように犯した。

まだ若い父親は鳥のような声で悲鳴をあげながら、鬼男の暴力を受け入れた。

閻魔は思った。
俺はこんなにも、息子から嫌われていたのだ。
これは腹いせなのだろう。

寂しく悲しく、そして余りに辛くて、閻魔は年甲斐もなくぼろぼろと涙をこぼした。


「お父さん好きです」


鬼男はいった。

それは突然の告白だった。

鬼男は照れたように微笑んでいた。

閻魔ははじめて我が子の笑顔を見た気がした。


「お父さんはいつも僕を叩いて蹴って、それは本当はとても痛かった」


だけど僕は感じていたのです、あれが貴方の愛だと。

殴られるたび、血を流すたび、どれほど深い愛を向けられているか思い知って、いつのまにかそれがなくなった事に非常な恐怖を覚えたのです。


「お父さんだから、今度は僕の愛を受け取ってください」


そう言って鬼男は、閻魔の身体へ向けて激しく腰を叩きつける。

そうしたらきっと、貴方はまた愛を返してくれますよね。

美しく育った息子は、狂気に満ちた面持ちで、父に愛を囁いた。

閻魔はあの頃の自分よりよっぽど、この子の方が重い病に掛かっていると思った。

この子を病気にしたのは、俺だ。

閻魔はおもむろに真っ白な手の平を持ち上げ、鬼男の頬を思いっきりひっぱたいた。

すっかり力の強くなった鬼男は、前のようにガラス戸までぶっ飛んで行く事もなく、ただ首だけを回して静かに微笑んでいた。

息子はこんな時に、見たことのない程人間らしい顔をしていた。


「ごめんね、気付いてあげるのが遅くなって」


それは彼の愛に。
自分の愛に。


「好きです、お父さん」


ただ壊れた人形のように、鬼男はそれだけ繰り返した。

閻魔は何度も彼を殴った。

閻魔はどこかでいけないことをしている、と感じていた。

だけど心いっぱいに、それ以上ない程の幸せを感じていた。


いけない、いけない、と思う程ひどく息子を殴ってしまう。

それはあの頃の感情に良く似ていた。

思えばあの頃から、閻魔はまぎれもなく鬼男を愛していたのだ。

立て続けに殴られて、無抵抗の鬼男はとうとう布団の上にどさりと倒れた。

閻魔は体内から抜けていく鬼男の熱い体温が惜しいと感じていた。

顔を上げた鬼男は、壮絶なほどエロティックな貌で、切れた唇のはしからしたたる血を、それ以上に赤い舌で舐めとった。

俺はこんなにも美しい鬼を育てていたのか、と閻魔は思った。


「お父さん、好きです」


父は分かったよと言ってもう一度、力一杯息子の頬を殴り付けた。

何一つ正しい事を教えてやれなかった。

けれど、これは運命かも知れないと閻魔は思った。

同じ血を分け合った親子だけに、二人だけに通じ合う価値観がそこには元々あって然りだったのだと。

それが他人とちょっと違うだけだったのだ。

だって鬼男も閻魔も、出会ってから一番、今が幸せだと感じている。

ただ一心に、破滅へ向けて肉体を傷つけ合う今こそが、最高に愛に満ちあふれている。

二人はそう思っていた。


fin.
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -