駅前は、24時間営業のスーパーや漫画喫茶、カラオケ店等で夜でも多少活気があった。
多少郊外になるとは言え、学生が住むには生活の便の良い場所。
以前そこが、山や田んぼに囲まれたド田舎だったなどとは考えられない。
今俺がいるのは、とある郊外のベッドタウン。
時刻は午前0時30分。
終電ぎりぎりでようようここまで辿り着いたのだ。
虫の声もしない、寒い冬の夜。
風はなく、芯のある冷気だけが体を包んだ。
ライトイミテーション・エスパニョーラ
改札を出て、俺はその、澄んだ空気を一度、大きく吸い込んだ。
人々の往来も途絶え、埃は、コンクリートの路面に伏して、朝の光と共に訪れる快活な皮靴の群れを静かに待っているのであろう。
そこの大気は酷く純血の味がした。
ナイロンの黒いジャケットの胸が一度上下し、スニーカーは底で小砂をじゃりと擦る。
そんな、午前0時30分。
この辺り一帯の開発が始まったのは、ほんの少し前のことなのだという。
しかし今では、近隣にキャンパスの1つを構える我が大学の学生や、都市部へと通勤するサラリーマン達の居城として、それなりの人口を持つ街へと変化を遂げている。
そうは言っても、その夜は、都会のネオンの渦に巻かれたけばけばしい喧噪とは違う。
嘗てののどかな田舎の夜とも違う。
人工的な憩いの街独自の、静かで、どこか理知的な雰囲気を備えた夜。
俺は今、ちょっと事情があって、その街の、所々まだ新しい白色の電灯の点る夜道を、携帯をいじりながら一人、歩いている。
今日は本当なら、今頃ちょうど自宅へ帰着する予定だった。
俺の住むアパートは、ここからもう少し山の方だ。
大学からだと快速急速をこの駅で降り、後は各駅停車に乗り換えなければならない。
先ほどまで、大学で行われていたサークルの企画会議。
来月に迫った、他校のサークルを招いてのライブの打ち合わせも終盤まで来ていた。
こんなに順調に行くのも珍しく、何時もなら結局、期日ぎりぎりに、俺達2年の幹部が血眼になって予定に折り合いを付けるのが常だった。
上手くいきすぎるのもまぁ、良い面ばかりではない訳で。
酒も入り、良い気持ちで今を盛りのバンドマン達は、なんやかんやと大勢で騒いで。
俺もその内の一人な訳だが、気がついたら夜の帳も我が物顔の時間だった訳である。
大学近くのアパートをねぐらにする連中は良かった。
メンバーの内いくらかは、そういう奴等にたかって本日一夜限りの安宿を得た。
俺もそうするつもりだった。
しかしその時、たまたま鳴った携帯のバイブは、ある後輩からの一通のメールの来訪を知らせた。
内容は至って普通の、明後日の飲み会の時間を問うもの。
いい気分になっていた俺は、別段下心もなく、今日帰れなくなっちゃった、なんて冗談まじりの報告をした訳だったのだが。
それから15分、俺は彼の、サークルの後輩の住む深夜の住宅街を一人、携帯のGPSを頼りに歩く。
この、新興住宅地の一角、ちょっとお洒落なマンションの一室に彼は居を構えていた。
彼は、数多い新入生の中でも特別仲の良い後輩ではない。
しかし、彼の『良かったら、家に泊まりませんか』という、誘いに、興味や酔いも手伝い、今夜は乗ってみることにしたのだ。
入口の自動ドアをくぐり、彼の部屋番を押せば、彼の声で、今開けます、と一言。
二重になっている扉の奥が音もなく開く。
そこで彼がもう一言、中に入って最初に来たエレベーターに乗って下さい。
そうでないと、不審人物としてドアとレベーターの間に閉じ込められるそうである。
降りてきた近代的な箱の内側は、ガラス貼りで、四方のちょうどいい高さに手すりがついていた。
その手すりに背をもたれさせながら、鉄のポールのひんやりとした感触に、漸く良いの冷めてきた頭が思う。
今更、本当にかなり、今更だが、これって、彼って・・・
「セレブじゃない!?」
「今晩は。何です、いきなり」
開口一番、俺は思いの丈を彼に告げる。
ロマンティックな告白じゃなくて、ごめんなさい。
ぶしつけな深夜の来訪者に、彼は半ば飽きれた様な口調で答えて、どうぞ、と体をずらして俺を招き入れた。
廊下の突き当たりには斜め下、見えない角度に照明が付いていて、飾り段の上を照らしていた。
その光も少しオレンジ掛った色の、嫌味かと思うくらいお洒落な電球である。
何の気ない風に置かれた、シンプルな卓上カレンダーが、王侯貴族の様に我が物顔でライトを浴びている。
そこを右に折れた所に、これ、何畳だよ、という位の板張りのリビングがあった。
「鬼男くん、君、何者なの?」
彼の方も振り向かずに呟いた俺は、恐らくほとんど白痴の様な顔をしていただろう。
後方のシステムキッチンで何やらごぞごそとやって居た彼は、俺の問には答えずに、その辺に座っててください、とシンプルな一言を返した。
その辺がどの辺だか分からずに、俺はソファの下に敷いてある毛並みの良いカーペットの上に遠慮気味に腰を下ろした。
急に自分がみすぼらしい人間になった気がして、気持ちがちょっとだけしゅん、としたのは仕方がないことだろう。
「・・・何で椅子に座らないんですか」
しばらくして、銀のトレー(これも高そうだ!)を持って出てきた彼が訳が分からないと言った風に呟いた。
何だか申し訳なくて・・・等と考えていた俺は、あ、いや、と垢抜けない自分に赤面したのだけど、彼は少し笑った。
そして、まぁ、掛けて下さいよ、と俺に着席を促した。
「酔ってるんですか」
「ああ・・、まぁ・・・ちょっとね」
柔らかな鞣革のソファに深く掛けて、きょろきょろしながら答えた。
見れば見る程、恐怖の館である。
何インチか分からないビッグサイズのテレビの下にはDVDプレーヤー。
隣には銀と木製の小奇麗なオーディオ機器が並んでいた。
角に置かれた飾棚には音楽雑誌とファッション誌、文庫本が少し。
自立タイプの洋服掛けには、高そうなコートと原宿にでも売っていそうな赤と金ラインの帽子が掛けてある。
隣の彼は暗めの薄緑のシャツに、緩いパンツ、腕には恐らく付けっ放しであろう、少し年季の入った銀のブレスレットが2つ程。
大学で見る時は何とも思わなかったが、今見るとそれはとても高そうで、なんとかというブランドロゴのタグがきらりと光った。
正に息を呑む、な状況の俺を余所に、彼は短い金髪を掻き上げてからビールの缶を開けた。
プシュ、という音に一瞬ビクっとした俺を見て、不可解そうな顔で笑う。
「先輩、どうしたんですか。貴方そんなに礼儀正しい様な人でしたっけ」
「ああ、いや・・って君それ、ちょっと失礼」
「アハハ、それはごめんなさい」
「悪びれてなーい!」
現実とはかけ離れて、いかにも何時も通りの彼の態度に、俺も思わず地が出る。
彼は少し安心したように笑って、どうぞ、と言ってビールの缶を俺に手渡した。
彼は意外と乗りの良い奴である。
最初、歓迎コンパで彼を見た時、ちょっと怖い奴なのでは・・・という噂が上級生の間で起こった。
とても18には見えない、落ち着いた態度、それから目に新しい容姿。染ムラのない、金髪、褐色の肌、小洒落た服装。
女の子達は、そこそこというには余りある程彼に興味を持っている様だった(これは、あれからもうすぐ1年経とうとする今もだが)。
男どもは逆に、彼への多少の警戒と、ほんの少し(というには余りある)羨望の入り混じった視線で彼を見ていた。
俺は最初、彼からは少し離れた席で飲んでいた。
彼は、学年関わりない女に囲まれて何てことない態度で、当り障りのない会話を楽しんでいる様だったし、俺はつぶれた新入生の世話に忙しかった。
しかし一度、もう駄目になった新入生のお手洗いに付き合って戻ると、俺の席がない。
「ちょ、太子お前何してんの!」
「閻魔ぁ〜、私もう、ダメだぞ〜。らぁ〜めぇ〜」
場にどっと笑いが起こる。
聖徳、という名の同級生がいい感じの大虎になって2人分の席を占領していた。
お前、2年だろ!とつっこむ俺の言葉も耳に入らない体裁で、妹ちゃんは〜?とお気に入りの新入生の名を呼んでいた。
ああもう、煩わしい!と、小野という名の後輩が彼を足蹴にして、また周囲の笑いを加速させた。
彼は来年には幹部だろうな、と、憐れむ様な周囲の眼差しに、彼はすまなそうに頭を下げていた。
俺は取りあえず、休む場を探して空いている壁際に腰を下ろす。
そんな俺の眼前に、グラスを持つ腕がにょきっと伸びてきた。
「先輩、お疲れ様です」
「あ、・・ありがとう。え?」
そう、それが彼、噂の渦中の鬼男くんだったのである。
グラスを受け取ってから目を泳がせる俺に、彼は、鞄に携帯を忘れたと言って女の輪を抜けて来たと告げた。
そうなんだ、と言った後、俺はどうしていいか分からず、無駄にパーカーの袖を伸ばした。
「あの先輩。聖徳さんって人面白いですね」
「そうでしょ、今度絡んでみなよ。絶対君もやられるよ」
やられるって何ですか、怪獣みたいに、と彼が可笑しそうに笑った。
幼い笑顔だった。
先ほど女性達に向けていた、大人っぽいスカした笑いとは違う、白い歯が美しかった。
彼は俺の隣に座り直した。エンジ色のパンツに紺の薄いシャツ、いいセンスしてるよ。
真近で見る彼はやはり、いい男である。
「でも俺、閻魔さんも面白いと思いますよ」
「何で!?俺、何か変なことしたかなぁ・・・?」
輪から少し離れ、酒も回って安心して来た俺は、何で何でと彼にしつこく聞いてみた。
彼は、気分良さそうに笑った後、そういう所もおかしいです、ああ、面白いって意味ですよ。
そう言って俺を見た。
もっと、大人しい人かなと思ってたんです。髪も黒いし、と俺のざんばらで少し伸びた毛先を軽く引っ張った。
二輪の百合が絡んだデザインの銀の指輪をはめた、男らしい指。どこかのブランド物の香水の匂いが心地よい彼だった。
こころなしか、頬が熱くなった気がした。
確かに、軽音サークルに来る奴なんて、実際はみ出し者が多い。
それらしく、信号みたいな色の自由な色の髪、それ、痛くないの?って所に空いたピアスなんか見慣れたものだった。
彼、鬼男くんだって、プラチナに近い薄金色の髪を揺らす、世間から見ればそんな歌舞伎者の一員だと言えよう。
しかし、近くで見ると真面目そうな面から、そういう輩に付き物の汚い印象はない。
全く得する容姿をしている。
「変わった色もやってみたいけど、金ないもん俺」
「変わった色って、例えばどんなのですか?」
「え〜・・・例えば、だけど。君みたいなのとか?」
それお金掛ってるでしょ?、と根本まで綺麗に同じ色の金髪を見れば、彼は照れた様に、これ、地なんですよ、と言った。
聞けば、彼の母は中国人とアメリカ人のハーフなのだと言う。
そして彼の父は、世界を股に掛けるなんとかという企業の役員で、スペイン滞在中に旅行中だった母と出会い、結婚したのだそうだ。
「だから、俺もスペインで生まれたんです」
「マジでか!?ていうかおかしい。そのまま住んだのか!お前の両親は!ラブラブだな!」
ラブラブって・・・と笑って、今もですよ、妬けちゃうくらいにね。と愛しそうに彼は言う。
「妬けちゃう」なんて古風な表現も、彼の口から響けばロマンティックな雰囲気になるから不思議だ。
「そういう先輩も、その目、カラコンですか?」
そう言って、俺の赤い瞳を覗き込む。
赤い瞳、そうこれは俺の一応のコンプレックスである。
「・・・違う」
「やっぱりね。綺麗な色してる。純粋な色をしてますもんね」
綺麗、なんて、他の奴に言われてもさらっと流す。それが俺の習慣になっていた。
珍しいものは褒められるか、貶される、褒められても本心では軽い拒絶を含んでいる、どれかだと俺は知っている。
だが、彼、部位の違いはあれど同じ境遇の彼に言われ、俺は少し、本気で体が熱くなるのを感じた。
おかしいや、男の子相手じゃない。
誤魔化す様に俺は話す。
「アルビノって言うんだって。虹彩の色素がないらしいよ。おかしいよね、他は普通なのに」
「へぇ、不思議ですよね。僕の髪もそんな感じでしょうけど、色が足りないのにこんな派手になるなんて」
そう言って、俺の目、自分の髪を摘んでいかにも分からないなぁという顔で見る。
幼い表情に頬が緩む。
何だ彼も普通の18歳なんじゃないか、と俺は不思議な居心地のよさを感じていた。
おーい、そこ二人!サボってんじゃないぞ!校庭100周!
という聖徳の無茶な叫びで間もなく、俺達は輪の中に戻された。
笑顔の学友達の中に戻る時、俺の手を引いた彼の大きな手が優しくて、とても温かかった。
それから、鬼男くんは意外に屈託のないその性格から皆にすぐ溶け込んた。
彼には同年の友達も沢山出来て、俺自身は幹部の仕事も忙しく、それ以上は彼個人とそこまで親しくなることもなかった。
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