生暖かい風が、開けっ放しの窓から流れて来る。

強い塩の香りに、ここが住み慣れた我が家でない事を思い出し、ヘンリクス・ヒュースケンは重たい瞼を押し上げた。


上身を起こし、何とも言えぬ疲労感にここがどこだか思い出した。



「ジョン、多分もう昼ですよ…今何時かな?」


随分高い位置にある太陽を目の端に捉えて、となりに転がる人物に声を掛ける。

ジョン、と呼ばれた男はうぅと唸ってシーツに顔を擦り付けた。

短いプラチナブロンドが白い布地に無造作に散らばり、コントラストがきれいだった。


「まだ寝るつもりですか?もう、夜眠れなくなりますよ」

「…別にいいだろ、そうなってもやる事なら沢山ある」

「僕が困ります」


ヘンリーの拗ねた様な言い口に、ジョンことジョン・コンテー海軍大尉は口の端を吊り上げた。

久々の大当りだったと、ジョンはつくづく感じていた。

ヘンリーとは、軍隊の仲間と入ったバーで出会って酒の勢いも手伝い、言わば行きずりに関係を持ったのだった。

最初は何度か会えば気もすむかと思っていた。

地味な黒髪の、垢抜けなさそうな外国人。特に魅力的な所は無かった。

しかし話せば、卑猥な文句にも機知で返す。

酔って暴力で迫れば、冷静に諌めるだけの度胸と寛容さが有った。

彼は思う以上にしたたかな人間だと、少しずつジョンにも分かって行った。

ヘンリーはオランダからの移民だった。理由は貧困。

背に腹は代えられませんからね、と笑う彼は相手を安く見て近づいた自分自身が恥ずかしくなる程の好人物だった。

そして、妙に余裕が有ると思えば、なんと6つも年上だった。


一緒に居てとにかく発見の多い相手だ。
そして新事実を知る度に、彼にどんどん魅かれて行った。


「朝ご飯…って言ってももう11時ですけど、何か食べたいもの有りますか?」


彼は、手早く衣服を身につけて既に活動を始めていた。片目で見ればベッドの端に腰掛けて革靴に足を突っ込む所ただった。


「お前がいい」

「はぁ?」

「だからヘンリーがいい」


枕に頭を押し付けながら駄々っ子みたいに言う。

ぽかん、としていた彼が漸く意味を悟って吹き出した。


「全く…初めて会った頃は格好いいなんて思っていたのに」


苦笑混じりに彼が言う。そんな事思ってたのかと少し驚いて、少し優越感を覚えた。

不意に彼の手が俺の髪に触れる。


「今は情けない位可愛いと思うから不思議ですね」


そのまま頭を撫でて、一つ溜息を吐いて立ち上がる。

丸っきり子供扱いで、以前の俺だったらきっと堪えられなかっただろう。

でも今黒い髪を揺らしながらキッチンへ向かう男相手なら、存外悪くないなんて思う自分がいる。



彼といると新しい発見が多い。
彼のことも、そして自分自身のことも。


今まで恋人のことを知りたいなんて、正直余り思ったことが無かった。

自分にとって、周りから見て、いい女ならそれで良かったしそれ以上は面倒だった。


しかし今度の恋はそうも言っていられないらしい。


ガッシャーン!…と、まどろんだ頭に古典的な擬音が響いて跳び起きる。

これも発見の一つなのだが、繊細そうに見える彼は意外にひどく不器用だった。


「ああ…」


キッチンに辿り着いて早速床に散乱した白い食器の破片を目にして、言葉が上手く出なかった。


「すみません…また」

「…またか」


そう言って屈んでかけらを集める彼を手伝う。

いくつか拾ってふと顔を上げると、彼と目が合った。その瞬間何だか可笑しくて、俺は笑い出してしまった。

ヘンリーは不可解の様な困った様な表情をして、咄嗟に顔を伏せて肩を震わせる俺を見ている。


まさか俺が、恋人の割った食器を拾う日が来ようとは思いもしなかった。

不器用なタイプは苦手だったから。

多分万一こういうことが起こったとして、俺は知らん振りで不機嫌そうに煙草でも蒸しただろう。


しかし、今この状況も悪くないと思っている俺がいる。

これも新しい発見だ。
目の前で不思議そうに首を傾げる恋人のくれた、新しい自分。



これも初めて思うことだかこの恋が永遠に続けばいい、なんて。


恥ずかしげもなく考えてしまうものだから余計、彼への興味は尽きないのだ。


fin.
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