garden 9




 アスファルトから陽炎が立ちのぼる、茹だるような暑さが続いて一週間。
 連日の高温注意報には辟易するばかりだが、それでも人間には、文明の利器というものがある。室内にこもればエアコンがあり、扇風機があり、冷たい飲み物で涼を取ることができるのだ。
 比べて、照りつけられるままの植物たちは、咲き誇る鮮やかな頭を垂れるだけで、完全に暑さ敗けをしている。太陽の恵みは、過ぎれば仇だ。木立に囲まれた庭には日陰もあるが、ヒートアイランド化した都会にあって、その温度差は細やかすぎるものだった。
 虎徹はこのところの日課である朝の水撒きのため、朝靄の消えきらない早い時間に店に来た。迸るシャワーの水音は涼やかで(たとえ今日がまた猛暑日になろうとも)、実に爽やかな気分になる。
 地面に植えられたものと違い、プランターの植物はたっぷりと水をやらなければ干上がってしまう。底から滴るほどに与えて丁度いい。地面には、植物のない場所にも水を撒く。土の中にも命があり、お裾分けということだ。
 長いホースを翻した拍子に、シャワーベッドがくるりと回転した。空に噴き上げた水が重力によって降り注ぎ、白いシャツを瞬く間に濡らしていく。
「うへぇ、びしゃびしゃ」
 肌に張りつくシャツに風が染みて、心地いい。水撒きの気化熱効果で、吹き抜けていく風が温度を下げている。
「おはようございます。虎徹さん」
 瑞々しい緑のなかから、けぶるような金髪が現れた。やや疲れたような顔をしているが、容貌にはまったく遜色を与えない。明るい碧の瞳と白皙の肌。美形もかくやの、バーナビーである。
 通学や出勤にはまだまだ早い時間なので、虎徹は驚き、慌てて水を止めた。
「どうしたよ、こんな朝早く」
「帰り足なんです。昨日はトラブルがあって研究室に泊まりで。緑が見たくて覗いてみたんですが、まさか居るとは思いませんでした」
 狭い室内でのデスクワークに息が詰まり、眼精疲労もひどかった。ストレスも溜まっていたので、緑を見れば気分転換になるだろうかと思い、来てみたのだが、どうしたことか門が開いていたのだ。
 早朝に不審極まりないが、誘われるようにして立ち入り、覗いて見れば、飛沫の粒がきらきらと輝くなかに虎徹を見つけた。シャツが濡れ、透ける肌にいつかの夜を思いだし、声をかけずにはいられなかった。
「毎日水やりに来てるんですか?」
「まあな。ここんとこ雨も夕立もないからさ、手をかけてやんないと枯れちゃうだろ」
「大事にしてるんですね」
「ああ」
 輝く庭を愛しそうに眺める虎徹を、バーナビーは目を細めて切なく見つめる。
 ここは、特別な思い入れのある場所なのだ。一度は去ってしまったものの、この庭を忘れることが出来なくて、再び舞い戻ってきた。シェフではなく、ギャルソンとして。その選択には、どれほどの苦悩があったのだろう。
「どうした? ぼんやりして。あ、あれだな、また飯食ってないんだろ?」
「この時間ですからね」
「作ってやるよ。いま店開けるから」
「いいんですか?」
「今日は定休日だし、ましてこの時間なら誰も来ないだろ。久しぶりに会ったんだし、一緒に食おうぜ」
 ホースを巻き取る虎徹は、嬉しそうな顔をしている。確かに、ここに足を運ぶのは久しぶりだ。
 ウッドデッキのテラスを開けて、テーブルを一組出す。そのあとのセッティングをバーナビーに任せると、虎徹はバックヤードに入っていった。
 ややあって戻ってきた虎徹は、制服の白シャツに着替えていた。さすがに濡れシャツのまま料理をする気にはならなかったらしい。シャツをハンガーに掛けて、風通しの良い窓枠に吊るしている。
「忙しかったのか?」
「キース博士が国際学会に参加するので、その手伝いをしてました。今頃、大慌てで空港に向かってますよ」
「あいつは時々、とんでもないポカやらかすからな〜」
「ほんとですよ! 提出する論文に間違いがあって、危うく笑い者になるところでした。材料工学の第一人者が、自分が開発した材料の分子構造式間違うなんて、ありえないでしょ!?」
「おーおー、ブルックス博士様々だな」
「まったくです。……え?」
 カウンター越しの虎徹が、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。バーナビーはぽかんと呆けてしまったが、すぐにばつの悪い表情になる。
「あの? いつから?」
「おまえ、いつからここ来てない?」
「ええと…、その」
「あの夜以来だよな」
「…そうです…」
「定休日明けにキースが来たんだ。その時に聞いた。MITを十六歳で卒業して、ロボット工学の博士をしてるんだって。地元にいると研究しかしないから、年相応の経験をさせるために強制的に留学させたとか」
「そんなことまで…」
「おまえなー、興味あるのは自分だけだと思うなよ? 俺だっておまえに興味あるんだぜ?」
 ジュッという音と共にフライパンが翻る。食材が宙を舞い、食欲を誘う甘く香ばしい匂いが漂ってくるが、なにを作っているのか見当がつかない。
 料理に気を取られてしまったが、言われたことははっきりと理解できた。虎徹はいま、自分に興味があると言ったのだ。
「あんなことしといてそれっきりとか、ひどくね?」
「ち、違っ! それっきりじゃなくて、ほんとに忙しかったんです!」
「調べものばっかしてるって、キースが言ってたぞ。選択外分野の教授のとこに出入してるって」
「余計なことを! くそっ、手伝うんじゃなかった!」
 真っ赤になって取り乱すバーナビーを、虎徹は満足げに眺めている。つまりはからかっているのだが、半ばパニックになっているバーナビーは気づきもしない。
 押して引くのは恋のセオリーだ。普段の余裕然とした姿からかけ離れた様子は、実に年相応で初々しい。




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