garden 5




 些か衝撃的だった食事会が終わり、席を立ったのが閉店間際。最後の客ということで、虎徹がアーチまで見送りに出てくれたので、バーナビーは思いきって終業後の予定を尋ねてみた。
「予定? ないぜ?」
 明日はカフェもレストランも定休日である。飲みに行かないかと誘えば、快くイエスの返事が返ってきて、そのまま近くのバーで待ち合わせることになった。
 キースは学会の準備があると言って、残念そうに帰ってしまったが、正直、ふたりきりになれるのは嬉しい。知りたいことはたくさんあったし、なにより、プライベートな時間を共に出来ることに喜びを感じる。
 虎徹が教えてくれたバーは、雑居ビルの二階にあるカウンターのみの店だ。幹線道路に面した窓は大きく、車のヘッドライトや街灯の明かりが輝いて見える。ガラスがやや黒っぽく彩度が落ち着いて見えるのは、マジックミラー仕様になっているからのようだ。
 ちりん…。
 ドアの内側に吊り下げられた華奢な釣り鐘が、涼やかな音色を奏でた。見れば、虎徹が店主に挨拶をしているところで、やがて、バーナビーの隣の席に腰を下ろす。
「待たせたな。今日はありがとよ」
「いえ。料理、美味しかったです。また伺いますね」
「おう、よろしく。それにしても、キースんとこの学生だったとはなぁ。この辺りはいろんな大学のキャンパスが散らばってるからさぁ」
 オーダーをしないうちに、虎徹の前にロックグラスが置かれた。バーナビーはすでに二杯ほど空にして、手元には三杯めのジントニックが半分残っている。
「ほい、乾杯。お疲れ〜」
「お疲れさまです」
 ぐいっと喉を潤す虎徹は、僅かにほろ苦い顔をしてグラスを眺めていた。察するに、酒の味も判らなくなってしまっているのだろう。
 味覚障害といっても、そのレベルは様々だ。感覚の衰えから、完全に失ってしまうもの。虎徹はどのレベルにあるのか、尋ねることは不躾にすぎるだろう。
 洗いざらしのコットンシャツに細身のブラックジーンズ。オールバックにしていた髪は無造作に下ろされて、目元に仄かな影を作っている。やや骨ばった顎のラインを眺めながら、バーナビーは会話の糸口を探していた。
「あのさ、キースに聞いたんだろ?」
「え?」
「これのこと」
 べろっと出した舌を指し、虎徹が笑う。
「ええ。その、すみません。詮索するようなこと」
「気にしちゃいねーよ。頭の上で意味深な会話されたら誰だって気になるだろ。隠すことでもねーし。…だからと言って、率先して話すことでもねぇけどな」
 穏やかな口調に、バーナビーは急に恥ずかしさが込み上げてきた。自らの思慮や分別の足りなさを自覚してしまったのだ。
「ほんとに、すみません…」
 本来なら、知り合って間もない人間に話すことではない。一流の料理人が味覚を失い、道を絶たれたのだ。そこには、どれほどの苦悩や葛藤があったのだろう。キースが言っていたではないか。もう戻るつもりはないのだと思っていたと。
「気にすんなって。なんとなく、おまえには言っといたほうがいいような気がしてたんだよな。俺の手元とかよく見てたし」
「っ、それは!」
(手元じゃなくて、あなたを見ていたんです)
 吐露できない心情の代わりに、頬がますます熱くなってくる。
 カフェで虎徹を眺めるときは、出来るだけあからさまにならないように気をつけていたつもりだ。手元に集中しているときや、他の客に接客しているときなど、自分から気が逸れているときを見計らったつもりだったのだ。
「なんだ? もう酔ったのか?」
「違います」
「はは〜ん。さては、手元じゃなくて俺を眺めてたんだな? 見惚れるほどいい男だって?」
「自分で言うことじゃないでしょ! 台無しですよ!」
「え? 図星?」
 白皙の肌を、痛々しいほど真っ赤に染めて動揺しているバーナビーを、虎徹が瞠目して見つめ返している。いたたまれなくなったバーナビーは、足元に視線を落とすようにして、立ち上がった。
「帰ります。時間を取らせてしまって、すみませんでした」
 これは、どうみても妙な反応だ。そんなことはないと否定するか、その通りだと肯定して冗談にしてしまえばいいだけなのに、図星を指されたまま逃げ出そうとしている。
(なにをやってるんだ、僕は)
 恋とは我が儘な感情だ。秘匿し続けると誓っていても、その実、相手の姿を目にしてしまえば、知って欲しいと疼きだす。
 気持ち悪がられたり拒絶されたりしたら、立ち直れない。なにより、嫌われたくない。
 たとえ微妙な空気のまま立ち去ることになっても、ボロが出るよりはマシな気がする。
 カウンターから離れようとして、ふいに腕を掴まれた。絡んでいるのは、節くれだった細い指だ。
「場所、変えるか。俺ん家でいい?」
「は!?」
 見下ろした顔は真っ直ぐバーナビーに相対している。
「ちゃんと話、しようぜ。てか、聞いてほしい」
「え、でも、あの?」
 急転直下とはこのことだ。予想だにしない方向に、事態が動き出そうとしている。
 身体中に変な汗をかきながら、バーナビーは硬直した。虎徹の意図がどうであれ、恋愛感情を抱いている自分が自宅に招かれるのは、良くないのではないだろうか。無論、虎徹は知らないことであり他意がないのは理解している。が、こちらはそうではないのだ。
「でも、僕っ」
 腕を引かれるままに店を出て、通りを歩く。二十三時前の表通りは、まだ賑やかだ。
「俺んち、すぐ近くだから。時間、平気か? なんなら泊まってもいいし」
「!?」
 喧騒が遠のき、虎徹の声だけが木霊している。なにを言われたのか咄嗟に理解をしかねたバーナビーは、ついにその手を払うタイミングを失ってしまったのだった。




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