garden 1




 夏特有の白くて強い陽射しがアスファルトを焼いている。じっとりと汗ばむ肌に髪が貼りついてひどく鬱陶しく、バーナビーは些か強く舌打ちした。
 どこかで休みたい。しかし、大学のカフェテリアでは休めない。
 人種の坩堝と呼ばれるこの国で、留学生が目立つということはないのだが、バーナビーにはある意味付加価値のようなものがいくつかついていた。
 ひとつ、世界に名を知られた有名大学からの留学生であること。ひとつ、どうにも人目を引く容姿。
 容姿については、本人は可でも不可でもない程度にしか感じていないのだが、友人達曰く、性格のいびつさが介在しない稀有なハンサム、ということらしい。他人にまとわりつかれることは好まないので、声をかけられても会釈する程度にしているが、遠巻きな外野の視線は五月蝿すぎるほどだった。
(まったく、留学なんて茶番をよくも。僕にはこんなところで費やす時間なんてないのに)
 お膳立てした友人に悪態をつきながら、日陰を求めて路地裏に入る。暑さに上向くこともできず、足元に視線を落としたままだが、ふと、頬を涼やかな風がひと撫でした。
 視線をあげれば、そこには涼しげな風が吹き抜け、表通りの都会然とした建造物とは異質な空間が広がっていた。
 高く生い茂る木々と、鮮やかな花たち。白い漆喰が塗りこめられた壁。玄関アーチには淡いピンクの薔薇が這い、瑞々しく煌めいている。
「こんな場所、あったのか…」
 近づいて覗き込むと、アーチに小さなプレートが掲げてあった。『OPEN』。なんの店なのか、まったくアピールのないプレートだが、手書きの文字はすっきりとした字体で、なぜか心惹かれるようなぬくもりがあった。
 ざあぁぁ…。
 一瞬、強く吹き抜けた風が汗を冷やす。風はアーチのなかに向かって流れていて、考えるより先に、バーナビーは敷地に踏み込んでいた。
 敷かれているのは石畳。外から見たときは雑然と見えた木々は手入れが行き届き、木漏れ日がいくつも降り注いでいる。ここはまるで別世界だ。
 石畳が切れた先には、こじんまりした上品な白い建物。張り出したウッドデッキに丸テーブルがいくつか並び、日除けの庇が伸びている。
「あれ? お客さん?」
「うわ!」
 建物の中から現れたのは、白いシャツをゆるく着崩し、黒いエプロンを腰に巻きつけた青年だ。特徴的な顎髭にまず目がいって、それからようやく眺めた顔は、人懐こい笑顔を浮かべている。
「いらっしゃい。タイガーカフェへようこそ」
 男が腕に抱えた大振りの花瓶には、カラーと呼ばれる花が何本も挿してあり、その清潔な白さがよく似合っていた。似合うと思った自分に驚き、そしてバーナビーは我にかえる。
「………センスないな」
「はぁ!?」
「こんな素敵な庭なのに、名前がダサすぎる」
「しっ、失礼なヤツだな! 客じゃねぇの!? ひやかし!?」
「いえ、客ですよ。そこ座ってもいいですか? おじさん」
「おじっ、…くそ、ほんとのことだから返す言葉がねぇな。まぁ、いいか。あらためまして、いらっしゃい、ハンサムさん」
 くるくると変わる表情を眺めながら、バーナビーは胸の高鳴りを聞いていた。留学してからというもの、研究以外に傾けるべきものなどない生活をしていたのに、景色が一変したような感覚になった。
(なんだこれ、不思議な気持ちだ)
 質の良い材木で作られた椅子に腰掛け、手元のメニューに視線を落とす。メニューはとても簡素で、選びようがないほど種類が少ない。
「なんにする?」
「ブレンドとバゲッドサンドのセットで」
「了解。ちょっと待っててな」
 手元に置かれた水には、スライスレモンが浮いている。夏の暑さのなか、酸味の効いた香りが鼻先を涼しくさせて、それを一気に飲み干した。
 カフェと気づけば、違和感のない雰囲気だ。しかし、案内板のない佇まいでは、初見の人間に気付かれることはないような気がする。現に、バーナビー以外の客はない。
 店内から、コーヒーの香りが漂ってきた。苦みばしったなかに甘さのある、快い香りだ。バゲッドの焼ける匂いもしてきて、急激な空腹感がやってきた。
「おまちどうさま。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
 出されたのは、季節の生野菜にスモークサーモンが挟まれたバゲッドサンド。かぶりつけば、バジルソースの香りが口一杯に広がって、旨味が舌をとろかせた。
「…美味しいです」
 意外だ、と言いかけた言葉ははさすがに飲み込む。気さくといえば聞こえはいいか、一見ガサツそうに見える男からは想像できない、繊細で上品な味だった。
「良かった」
 にっこりと笑う男が、手作りなんだと自慢げに言う。あまりに嬉しそうな顔をしているので、バーナビーもつられて微笑んだ。
「あなたの店なんですか?」
「この時間はな。オーナーは別にいるよ。俺は鏑木・T・虎徹」
「バーナビー・ブルックス・Jr.です」
「バーナビーか。よろしく、バニーちゃん」
「なんですか、それ」
「親しみを込めてみました〜」
「お客に対して失礼ですよ、おじさん」
「おまえも同じくらい失礼だぜ? 友達に言われない?」
 互いに顔を見合わせて、同時に吹き出す。初対面だというのに警戒心が湧いてこないのは、穏やかな庭の雰囲気のせいだろうか。それとも、この人懐こい笑顔のせいだろうか。
「ゆっくりしていってな。コーヒーはおかわりできるから、遠慮なく言ってくれ」
 店内に戻る後ろ姿は姿勢が良い。どうしてか、夏の暑さは感じなかった。




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