雨 拍手文


 雨の音がする。少しずつ強くなり、外がずぶ濡れていくのが耳で判る。
 夜闇のなか目覚めを促されたバーナビーは、ゆっくりと重い瞼を開いてみた。静まり返った部屋はまるで雨音に満たされたようで、あちらこちらで不規則なリズムを響かせている。
 ゴールドステージの自宅マンションはガラスが厚く、叩きつけられでもしなければ雨音は聞こえてこない。防音された空間は、自然とはまったく隔絶された世界だ。そのことに違和感なく生活してきたために、深夜の雨がこれほどに耳に届くとは思いもしなかった。
 優しい雨だ。
 そう感じるのは、今夜が幸せな夜だからなのだろうか。ここは恋人の家で、ベッドのなかで、しかも腕には愛しい温もりをしっかりと抱いている。家主である恋人はぐっすりと眠りに落ちて、雨音に気づく様子もない。
 閉じられたブラインドの隙間から、街灯の明かりが微かに射しこんでいた。闇に目が慣れれば、穏やかな寝顔をうっすらと窺うことができる。ああ、コンタクトレンズを外すのを忘れていたと、そこでようやく気がついた。
 無防備な寝顔は、まるで少年のようだ。三十路半ばを過ぎているとは思えない、若々しさに溢れている。日系人は大概が若く見えるときくが、そのなかでも鏑木・T・虎徹は格別な部類に入るだろう。
(…なんでこんなに可愛いんだろう。こんなんでよくバックバージンが無事だったな)
 惚れた欲目ではなく、本心から思う。ヒーローとしてみれば物足りなさばかりが悪目立ちするが、ひとりの男としてはすこぶる上質な魅力に溢れている。
 高い身長と細身のスタイルは、どことなくセクシャルな雰囲気を漂わせ、それでいて品がいい。顔立ちは一見すると精悍だが、琥珀色の大きな瞳と下がりぎみな目尻、微笑むように上がる口角が甘いニュアンスを与えている。
 どこから見ても男にしか見えないのに、どうにも男を奮い立たせる気配があることに、バーナビーは当初、相当に困惑させられたものだ。虎徹との情事を夢に見て、何度真夜中に飛び起きたことか。
『世の中には、本人が意識せずに、同性の関心を惹いてしまう性質をもつ人間がいる』
 男性と女性、両方の心をもつネイサンにそう教えられ、ようやく得心がいった。虎徹は間違いなく、そういう類いの人種なのだ。
 ワイルドタイガーはデビュー当時からアングラなファン層が多く、十年が経ついまでも根強い人気があるらしい。前所属会社時代に着ていたボディラインの露わなスーツは、邪な目で見れば官能的に映るのだろうし、マスク越しでも顔立ちのよさは判る。
 男が惚れる男、とは純然たる誉め言葉だが、虎徹の場合は意味合いが変化する。アバンチュール的なアプローチは、身の危険に直結しているのだ。
(賠償金額の大きさの割りに、スポンサーは撤退しない。ここ数年は下位ランク続きで、イメージアップになってるとは思えないし、コアなファン層がスポンサーを潤してるとも思えない…。第一、パーティーを中座したってたいしたお咎めがないんだから、勘繰りたくもなる…)
 スポンサー相手に愛想を振り撒くのは、ヒーロー業務の必須だ。それを中座したり断ったりするのは、心証を害するどころか、今後の活動に支障をきたすことになりかねない。
 それなのに、表立って咎められていないのは、スポンサーとのあいだに別の契約があるのではと、勘繰りたくなるのだ。
 接待はパーティーだけではない。密室で行われる不条理なものもある。
 さすがに倫理規定の厳しいいまの世では、漏れ聞こえてくれば大スキャンダルだ。イメージ第一の企業は迂闊なことはしない。
 それでも、十年前からヒーローをしていた虎徹ならば、悪しき慣習に辱しめられたことがあったのではないか。そう思っていたのだが。
(良かった…汚されてなくて。考えてみれば、奥さんや子供がいたわけだから、簡単に体を明け渡すようなことするわけないんだ。この人は、純粋なヒーローなんだから)
 スポンサーにもコアなファンがいるということだ。多少不純な動機が含まれていたとしても、ワイルドタイガーのスポンサーであることに、誇りがあるに違いない。
「んん…?」
「起こしてしまいましたか?」
「……あー…怖い夢でもみたのかぁ?」
 夢うつつに呟いてバーナビーを抱き込む虎徹は、ややあって首をもたけだ。
「ああ…雨降ってんのか…。…優しい音だよなぁ」
「そう、ですね」
「子守唄だと思って寝ちまえ…。あふ…」
 大きな手に頭を撫でられあやされる。居心地のよさと雨音に、バーナビーは瞼を伏せた。
 肉体は抱いていても、心はいつも抱擁されている。そういう気分になる。
 懐広く愛情深く。虎徹は本当に魅力的男なだった。





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