恋の匂い



 彼の傍に立つと、いつもいい匂いがする。香水をつけているのかと訊ねたが、首を横に振られて不思議そうな顔をされただけだった。
「加齢臭とか言われたら、おじさん泣くからな!」
 年齢的に敏感な話題だったようで、どんな匂いなんだと詰め寄られたが、適切な表現が思いつかない。
 ムスクやシトラス、名のある香水の香りはどれも当てはまらない気がする。ジャコウやサンダルウッドでもない。爽やかで清々しい、けれどふと、甘く心惹く匂い。
 いまもまた、僕の鼻先をくすぐってやまない匂い。
(もっと深く吸い込みたい)
 鼻腔から胸一杯に、全身をあの匂いで満たせたら、いったいどんな気分になれるんだろう。
「ちょ? バニーちゃん?」
 シャツの衿を掴んで引寄せ、釦を外す。現れた肌から匂いがたち、引き寄せられるまま、僕は鎖骨の窪みに鼻先を押しつけ、深呼吸した。
 ああ。ああ、本当にいい匂いだ。
 胸一杯に吸い込んで、まだ足りないと腹のなかにまで届かせる。
「な、なに、やってんの!?」
 押し退けようとする虎徹さんの腕を掴んで戒め、僕は鼻先を首筋や耳の後ろの窪みに移動させた。
 甘く、くらりとする、これは、食べてしまいたいような匂いだ。
 ゴクリと、僕は。
「いま…喉鳴らし、た?」
「そのようです」
「なんで!?」
「食べたいと思って」
「おじさん意味わかんないよ!」
「僕も意味わからなかったんですが…」
「なに!? いや、やっぱその先言わなくていい!バニーちゃん、言ったらおじさん泣いちゃうからな!」
「…性的興奮を促す匂いなんですね」
「んなわけねぇから! ひーっ、舐めるな脱がすな吸い付くなーーっ!」
 じたばた暴れて汗ばむほど、匂いが強く僕を絡めとる。これはきっと、僕だけがかぎわけられる体臭なんだ。
 僕にアプローチさせるための、虎徹さん自身、無意識な好意の現れ。
 多分きっと、間違いない、でしょう?
 だってほら、あなた唇を開いて僕のキスを受け入れてる。舌が、僕の唇を舐めている。
 こんなことをしているのに、わからない、だなんて。
「わからないなら、ちゃんと教えてさしあげますよ、虎徹さん」
 この匂いが僕を誘うためのものだって、無自覚なあなたの体の隅々に。
 僕たちは想いあっていたんだってことを。





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