遅れてきたバレンタイン。
または聖バレンタインの悲劇。 前編
「バレンタインプレゼントです」
華やかな笑顔で渡されたのは、高級そうな紙でラッピングされた白い箱。リボンの色は、バーナビーのスーツカラーと同じクリアレッドだ。
「バレンタインって、とっくに過ぎたじゃん」
「当日に渡せればよかったんですが、ずっと忙しかったので」
バレンタインデー当日は、恋に浮かれまくった若者たちの馬鹿騒ぎや、それを僻んだ者達によるプチテロ騒ぎに追われて連続出動をしていた。すべての事件処理を終えて社に戻ったころには、すでに日付が変わっていて、ふたりとも満足な言葉も交わさないまま、酸素カプセルのなかで一夜を明かしたほど疲労困憊だった。
「俺、なんも用意してねぇけど…」
なにせ二週間前に終わったイベントである。時期的にはホワイトデー商戦真っ只中だ。虎徹は差し出されたままのプレゼントを、戸惑った様子で見下ろした。
「構いませんよ。それを身につけてくれたら十分です」
「はい?」
「受け取って下さい」
めったに見せないバーナビーの全開満面の笑顔には、ファンの女子を失神させてしまう破壊力がある。しかし虎徹にとっては、胡散臭いことこの上ないものでもあった。
受け取ってはいけない。この極上の笑顔には、なにかをねだろうという意図がある。いくらお人好しで忘れっぽい虎徹といえど、過去の経験から学習することもあるのだ。
(こいつがこの顔をするときは、ろくでもないおねだりがあるときだぞ)
速やかに緊張した背筋を、冷たい汗が伝い落ちていく。美しい笑顔には有無を言わせない気配があり、虎徹は金縛りにあったように動けなくなってしまった。蛇に睨まれた蛙、もとい、兎に睨まれた虎、ではあまりに情けなさすぎる。
(サプライズがあるならあるって言えよ! そしたらのこのこついてきたりしなかった!)
先程まではごく普通の雰囲気だったのに、いつの間にやら空気が一変している。
ここは野生の王国か? いやいや、高度な文明と栄華を極めた街、シュテルンビルトだ。ガゼルやインパラなどの、狩られる側の動物などいやしない。
「えと、バニー?」
ここはバーナビーのマンションで、つまり捕食者のテリトリーだ。目の前にいるのが肉食兎だとすれば、狩られるのは自分である。間違いない。
「受け取ってくれますよね、僕の気持ち。感謝と愛情を」
しゅるりとネクタイをほどかれて、シャツの釦を外される。だらだらと全身を冷や汗が流れている気がしたが、現実には精神的な錯覚でしかない。
「あなたのために選んだんです。きっと似合いますよ」
白皙の頬が薔薇色に色づいている。バーナビーは明らかに興奮していて、手ずからラッピングをほどき始めた。
恭しく蓋を開け、いかにも高級品を包んでますという薄紙のカバーを捲る。出てきたものは、レースとリボンのたくさんついた、純白のウエディングドレスを思わせる女性物の下着一式。そして、それらとはまったくそぐわない、革製の拘束具だ。
我が目を疑い、バーナビーを凝視すれば、翡翠色の瞳が宝石のようにキラキラと輝いている。
「…じゃ、そういうことで、俺帰るわ」
脱がされたばかりのシャツを羽織り直し、なにも見なかったとばかりに踵を返す。動揺も、過ぎれば冷静さを呼び起こすらしい。ある種、極限におかれた人間が見せる底力というものだ。
「虎徹さん」
「んー?」
かたり、とミニテーブルに箱を置く音がする。バーナビーはまだその場から動いていない。
「帰れると、思ってます?」
「うん。俺には丈夫な足があるからな」
「そんな足は縛ってしまいましょうね」
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