氷と唇



「貧血なんですか?」
「あん?」
 隣のデスクから指差されたのは、唇に押しあてていたグラスだ。
「血液検査はいたって良好だぜ」
 アイスコーヒーを飲み干してから、虎徹は残った氷を流しこんでガリガリと噛む。その音に秀麗な眉目をしかめまま、バーナビーがデスク越しに向き直った。
「氷を噛む人は貧血だってきいたことがあります」
「へぇ。俺には当てはまらねぇなぁ」
「なら噛むの止めません?」
「なんでぇ?」
 氷を噛む姿は暢気なものだ。仕事もせずに、オフィスでなんと贅沢なことか。女史が外出していなければできない芸当である。
「うるさいんですよ。それに」
 眼鏡を外しながら、バーナビーは虎徹の体を引き寄せて、程好い厚みのある唇をやんわりと食んだ。
「キスするとき冷たすぎて嫌なんですよね。あなたの口のなかはいつも熱いくらいだから」
 口許で囁けば、虎徹が真っ赤にした顔を背けて胸板を押し返してきた。
「バニー、おじさん恥ずかしい…てか、場所考えろよ」
 その手を掴んだまま、バーナビーは独特な形の顎髭をぺろりと舐める。虎徹は嫌がるように顎を反らして逃げをうったが、露になった喉仏を噛まれるという墓穴を掘ってしまった。
「飴をかじるクセもやめて下さいね」
 世間には貴公子然とした、頭脳明晰の常識人と思われているが、バーナビーには実に残念な欠点がある。衝動と行動に直結するリミッターがついていないという、致命的な欠点が。
 場所を弁えるということをしない青年に、虎徹はいつも頭を抱えてしまう。犬ですら躾をすれば『待て』を覚えるというのに、一回り以上年下の恋人は、なにをどうたしなめても、端から分別を手放しているのだ。
「………」
「…どしたよ、急に黙りこんで」
「噛み癖、なんだなと思っただけです」
「はぁ?」
「僕の体も噛みますしね」
「だぁっ!?」
 今時の若者の率直さと、ひと括りにはできない。これは虎徹のみに発揮される赤裸々さで、誰に相談したところで解決されることはないのだ。
 自衛。自衛、自衛。ひたすら自衛あるのみ。
 世間のバーナビーに対するイメージを壊さないためにも(いっそぶっ壊してしまえ、と時々思う)、虎徹が手綱を持って制御するしか道はない。
「…いやいや、バニーちゃんも相当なもんですよ。おじさん、人前で脱げねぇもん」
「脱がないで下さい。そのためにしてるんですから」
「…………」
 身体中、至るところに付けられた鬱血痕や噛み跡は、トレーニング後のシャワーやロッカーでの着替えすら人目を憚るほどひどかった。元々普段着の衿はきっちり締めているほうだが、最近は衿の高さに気をつけないと、見えてしまいそうなときがある。
 そうか。あれはわざとだったのか。
「なんですか?」
「猛烈に恥ずかしいんだよ! 少し黙ってろ!」
「横暴だな」
「どの口が言うか!」
「噛んでさしあげましょうか?」
 バーナビーが虎徹のネクタイを掴んで引き寄せ、強引に鼻面を触れさせてきた。すっ…と細められた翡翠色の瞳には、性的な衝動を匂わせる物騒そのものの色がある。
「お願いだから、黙ってて…」
 ここはオフィス。あくまでも低姿勢に出て自衛しなければ、スキャンダルはリストラという身の破滅を招くのだ。
「仕方ありませんね。これで我慢して差し上げますよ」
 バーナビーに顎を捕まれ、唇を塞がれる。擦り合わされた舌を軽く噛まれ、それから、口角から唾液が滴るほど激しくなぶられた。
(若いって、怖い…)
 いっそ部署を変えてもらおうか。この際、まかない夫でもいいんだと、虎徹は心底泣きそうになりながら考えていた。





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