Hope your happiness



「…迷ったけど、結局来ちゃった」


巨大なドームを目の前にして、私はその大きさに思わず天を仰いだ。すごい、私には本当に無縁と言えるこんな大きな会場で、夢を叶えた彼らがこれからライブを行うのだ。




「旅子ちゃん!こっちです」
「ハルちゃん!」


私は昔、早乙女学園というアイドル養成学校に通っていた。もう少し詳しく言えば、アイドル志望ではなく作曲家を目指し、その専門コースに所属していた。

学校はとても楽しかったし、勉強も学びが多かった。友達もたくさんできた。早乙女学園にいた時代は私にとってかけがえのないものだ。


…だけど夢を叶えるのは簡単な事ではなかった。数少ないデビューのチャンスを掴む事が出来るのはほんのひと握りの才能のある人間だけで。結局私は夢なかば、音楽の道を諦めた訳だ。



「わ、私なんかがバックヤードに入って良いのかな?」
「大丈夫ですよ。私が招待したのですから」


そんな私と違い、彼女は自分の夢を自ら掴んだ売れっ子の作曲家だ。今は違う道を歩んでいるけれど、友人として時々連絡は取っていた。そして今日のライブに誘ってくれた、という事情だ。

ハルちゃんに連れられ歩くのは、普段はお目にかかれない舞台裏。少し歩くと、前方から見覚えのある顔が近付いてきた。



「あれ?七海ー!こんな所に居たんだ」


大きく両手を振る、赤い髪の男の子。その姿を見てドキドキと心臓が音を立てる。思わずバッとハルちゃんの背中に隠れるように身を縮めた。

だけどそんな努力も虚しく、彼はすぐに私の存在に気が付いたようだった。


「どうして隠れてるの?七海の友達?」
「あっ…あ、うー…んと」


ひょこっと顔を覗かせる彼の言葉に、私は恐る恐る視線を上げた。テレビではよく見るから分かってたけど、やっぱりグッと大人っぽくなっているクラスメイトに…間違えた、元クラスメイトに妙に緊張してしまうのだ。私のこと、覚えているだろうか。



「え、えっと…」
「……!」
「わ、私です。星の旅子…早乙女学園で一緒、だったんだけど…覚えてる?い、一十木君」


彼、一十木君の目がまん丸になって、すぐに輝きを放った。ぱあっと音がつくような笑顔で、私の両肩を掴む。


「えっ…もしかして旅子!?わぁー!久しぶりじゃん!」
「う、うん。お久しぶり、です」
「もう、固いなぁ」
「ごめん、緊張しちゃって」


一十木君とハルちゃんとは早乙女学園時代同じクラスで仲良くしてもらっていた。つるんでいたメンバーで私一人だけがデビュー出来なくって…一方的に空気を気まずくしてしまった私は、卒業以降彼らと連絡を取る事を控えていたのだ。

だから今日ここに来ること自体、本当は迷った。だけど嬉しそうな一十木君の顔を見て、来て良かったと思えた。それにやはり、彼らの晴れ舞台を間近で見ることが出来るのは、これ以上ない幸せだもの。



「旅子、こっちの楽屋にトキヤいるよ!一緒に会いに行こ!」
「えっ…ちょ、引っ張らないで…!」


手をぎゅっと握られ、一十木君がやや強引に私を引っ張った。しかもその足取りは速くて、バックヤードは走らない方が良いんじゃないのかと思ったけど、彼はお構い無しのよう。後ろを振り返ってハルちゃんに助けを求めたけど、彼女は微笑んで手を振るだけだ。ひ、ひどいよハルちゃん…!


ハルちゃんの姿が徐々に遠ざかって、諦めて前を向いた頃には目の前にドアがそびえ立つ。先程の一十木君の言葉が本当なら、きっとここが楽屋だろう。




「トーキヤー!」
「わわっ!ちょ、待って待って!」


抵抗虚しく、大きく音を立てて開かれたドア。たくさんの荷物が置かれたその楽屋は予想と反してシンとしていた。様子を見るに…彼以外の他のメンバーは外しているようだ。


「ん?どしたの」
「いやその…色々あるでしょ、心の準備とか!」
「えー別に良いじゃん!」
「音也、あなたまだ着替えていないのですか?」


突如聞こえた声に、咄嗟に一十木君の背中に身を隠した。今日、隠れてばっかりだな私。

声の主は恐らく、いや絶対に一ノ瀬君だろう。もちろん彼とも顔見知りだ。クラスを超えた課題でペアを組んだこともある。だけど一十木君ほど気心の知れた仲では無い訳で…。そんな私の心の葛藤なんてお構い無しに、一十木君は子犬のように目を輝かせている。



「ごめんごめん!旅子と会って話してたらつい」
「何を言うのですか、彼女がここに居るはずが───」
「あ、あの…」


このままスルーする訳にもいかず、私は一十木君の背中から顔を覗かせた。目が合った瞬間、いつものポーカーフェイスが驚いた顔になって固まった。珍しい事もあるものだと、感心している場合ではない。



「………」
「トキヤトキヤ!コーヒー零れてるよ!!衣装に付いちゃうってしかも白だし!」


一ノ瀬君が持っていたコーヒーカップが傾いて、無常にも中身が垂れていく。慌てる一十木君の声でハッとした一ノ瀬君が、小さく息を呑んだのが気配で分かった。わかる、私もすごく緊張している。


「星のさん…」
「は、はい」
「本物、ですか?」


驚いた顔そのままに、彼にしては面白い発言をしたものだから可笑しくって…思わず小さく吹き出してしまった。あんなに緊張してたのが嘘みたいだ。


「ふふ、そうだよ。久しぶり、一ノ瀬君」
「はい…驚きました。まさか、来て下さるとは」
「サプライズ、大成功だね!」


得意気にピースサインをする一十木君も、呆れたように腰に手を当てる一ノ瀬君も昔から変わらない。この空気感、すごく懐かしくて安心する。緊張はいつの間にかほどけていて、自然と笑顔も零れた。



「あ、あの」
「ん?なぁに、一ノ瀬君」

神妙な面持ちの一ノ瀬君に首を傾げた。何か、言いづらそうにしているのが気になる。何だろう。


「星のさんは…卒業後は何をされてたのでしょうか」
「………」
「すみません。自分達ばかりデビューをして華やかな世界に身を置いているのに…どうしても、いつでもあなたのことを思い浮かべてしまって」

気になっていたんですと、一ノ瀬君は小さく呟いた。「トキヤ…」と反応した一十木君も、眉を下げた。




「……早乙女学園を卒業した後、音大に入ったの。それから…色々あったんだけど…今は、地元でヴァイオリン教室を開いてるんだ」


小さな教室だけどね、と。せっかくのライブ前、空気を暗くしたくなくて…私はあえて明るい声でそう話した。

もしかしたら、私を置いてデビューした事に対して一ノ瀬君は引け目を感じているのではないかと思った。そんなこと、何も気にする必要なんてないのに。私はちゃんと前を向いて歩いている、そのことをちゃんと二人に伝えたかった。



「……良かった」
「え?」
「音楽、ちゃんと続けてるのですね」


優しい声音で、一ノ瀬君が言った。その言葉に胸がきゅってなって、優しいその目線にちょっとドキドキして。


「…うん、大丈夫。ちゃんと幸せだよ」


一十木君と目が合うと彼もニッと歯を出して安心したように笑う。なんだか恥ずかしくなって下を向いてると、楽屋の外から彼らの名前を呼ぶスタッフの声が聞こえた。



「やばっ!トキヤ!そろそろスタンバイしなくちゃ!」
「そ、そうですね」
「ご、ごめんね!引き止めちゃった」


走るように楽屋を出てステージを向かう二人が、後ろを振り返って、私に手を振った。その手を振り返して、口パクとジェスチャーで「頑張って」を届ける。


嬉しそうに笑った一十木君と一ノ瀬君が、ステージ袖の暗闇に消えていく。その大きな背中が心から格好良いと思うと同時に、ほんの少しだけ、羨ましかった。












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