7月-3

「紬ちゃん!こっちこっち!」

7月も第2週目に入ったある日、花ちゃんに「一緒に夜ご飯を食べよう」と誘われもちろん、私は二つ返事で了承した。お母さんに「今日は夜ご飯は要らないから」と伝えると大層驚かれたけど、「楽しんで行っておいで」とお小遣いまでくれたから私の方も驚きだった。あまりに交友関係が狭い娘を密かに案じてくれていたのかもしれない。

今日は生徒会の活動がある日だったから、帰宅部の花ちゃんは先にお店で待っていてくれるとの事だった。申し訳ないと思いつつ、片付けも戸締りも全て一ノ瀬君に丸投げして(本当にごめん!)、軽い足取りで指定されたファミレスへ急いだ。

「ごめんね花ちゃん!お待たせ」
「全然大丈夫だよぉ!ドリンクバーだけ先に注文しておいたけど、良かった?」
「うん。ありがとう」

一息つく前に、飲み物だけ取ってきてしまおう。そう言うと私に付いてきてくれた花ちゃんと一緒に、ドリンクバーで飲み物を調達してから再びブロック席のソファに腰掛けた。「先に注文して良いよ!」とタブレットを渡してくれたその言葉に甘えて、タッチパネルを弄りながら今日の夕ご飯のメニューを考える。どれも美味しそうで迷っちゃう…!
朝から楽しみにしていた花ちゃんとの時間。そのせいなのか不思議といつもよりお腹も空いていて、色鮮やかなメニューに心を踊らせた。

「ダメだ、迷う!ごめん花ちゃん、先に決めて良いよ」
「もう!紬ちゃんってば優柔不断だなぁ」
「ごめんー!」

いつの間にか、こんな冗談も言い合えるような仲になっていた。花ちゃんになら何でも話せるし、こんなに心が許せる友達が出来て本当に嬉しい。花ちゃんはミートグラタン、私はオムライスを注文して束の間の楽しいひとときを過ごした。


花ちゃんとは色々な話をする。学校の話、コスメとかファッションの話、好きな芸能人の話。それから……

「昨日の体育でさ、2組の谷岡くんがめっちゃバスケ上手くて!かっこいいよねー!」
「う、うん。そうだね」
「もー紬ちゃん!谷岡くんのこと知らないでしょ?」
「あはは…うっすら顔は出る、かな?」

恋バナ、というか学校の男の子の話を花ちゃんはよくしていた。誰がかっこいいだとか、優しくしてもらったとか。一般的な女子高生は好きな話題なのだろうけど、生憎私は興味が薄くてただ花ちゃんの話に相槌を打つだけになっていた。むぅ、と頬を膨らます花ちゃんはとても可愛い。男の子にもモテるんだろうな…あれ、そういえば花ちゃんから彼氏の話って聞いたことないな。

「ねぇ、花ちゃんって彼氏はいるの?」
「ううん。けど好きな人はいるよ」
「えっ!誰!?」

色恋沙汰に興味はない、なんて言ったけど友達の話なら別だ。花ちゃんが好きな人、すごく興味がある!こんな可愛いくて優しい花ちゃんが好きになる男の人って、誰なんだろうって。


「知りたい?」
「うん!知りたい!」
「それならさ……教えるついでに、紬ちゃんにちょっとお願いしたいことがあるんだけど、良いかな?」
「お、お願い?良いよ、なんでも聞くよ」

花ちゃんの好きな人と、私へのお願いに何が関係あるのだろう。そう疑問に思ったけど特に触れることもなく、ただ純粋な気持ちで花ちゃんのお願いに応えたいと思った。姿勢を正して、続く言葉を待つ。それが、



「一ノ瀬くんとの仲を、取り持って欲しいんだ」
「………え?」
非情なものとも、知らずに。


「ど、どういう、こと…?」
「私ね、ずっと一ノ瀬くんのことが好きだったの。だからお付き合いしたいんだけど、いきなり告白したら玉砕しちゃうじゃない?だからまずは、仲良くなりたいなって」
「え、ちょ…」

呆気に取られる私を置いて、花ちゃんはどんどんと話を続ける。頭が気持ちが、上手く追いつかない。ドクドクと嫌な音を立てる心臓。花ちゃんが浮かべるのは、いつもと変わらない可愛らしい笑顔。あぁそうか、花ちゃんは一ノ瀬君が好きなのか…ようやくそれだけ理解が出来た。


「二人きりのデートが難しかったら、最初は紬ちゃんが居てくれて良いよ。一ノ瀬くんガード固そうだし。そのあと上手いこと良い雰囲気にしてもらって…あ、もちろん協力してくれるよね?」
「花ちゃん、あの!」
「だって、私たち…友達だもんね?」

落ち着かない気持ちの中で、私の頭の中にひとつの考えが浮かんだ。それが事実であって欲しくない、だけど今、確認しなければならないと思った。


「は、花ちゃんは…初めから一ノ瀬君と仲良くなりたくて、生徒会の私に近づいたの…?」

お願い、どうか否定して。そう心から祈って、ぎゅっと膝の上のスカートを握った。



「やだなぁ、他に理由ある?」

口に手を当てて、何の悪びれもせず、花ちゃんはそう笑ったんだ。


「紬ちゃんと本当に友達になりたい訳ないじゃん!ぜーんぶ一ノ瀬くんが狙いだよぉ」

絶望って、こういう時のことを言うのだろうか。目の前が真っ暗になる。耳に届く花ちゃんの声が、嫌に冷たく聞こえる。それに混ざる店内のBGMでさえ、今は息苦しい。
それでも何か、何か返事をしなくちゃ…と震える唇を必死に開いた。

「い、一ノ瀬君に1回聞いてみないと…」
「えー!そしたら絶対断られるじゃん。良いよ、内緒にしよ?」

花ちゃんは、一ノ瀬君のことをよく分かっているようだ。きっと一筋縄ではいかないことも察しているんだろう。だからきっと、私を利用して───


「ね、それで…一ノ瀬くんの予定、確認しておいてくれるよね?」
「…ご、」
「え?」
「ごめんね!今日は帰るね!」
「えっ?紬ちゃ…」

お財布の中から慌てて出した、1枚の五千円札。お母さんがお小遣いにくれたそのお金をテーブルに置いて、私は逃げるようにファミレスを飛び出した。

スクールバッグを抱えて、暗くなった街の中を走る。かなりの距離を走ったところで、家とは逆方向の…学校の方まで歩いてきてしまっていることに気が付いた。

…何やってるんだろう。帰り道すら、分かってないじゃない。ため息すら出ない空っぽな気持ちのまま、今度こそ家に帰らなきゃと踵を返した。…その時だった。


「白石さん?」
「あ…一ノ瀬く…」

そこに居たのは、噂の張本人一ノ瀬君だった。スクールバッグを肩にかけて今まさに帰ろうとしている様子の一ノ瀬君は、こんな時間まで生徒会の仕事をしていたのだろうか。ううん、特に急ぎの案件はなかったはず──だってそうでなければ私は今日仕事を放って花ちゃんと食事に出かけたりしない。きっと図書室あたりで自習でもしていたのだろう。

「何かありましたか?」
「ぁっ…」

私に何か異変を感じたのか、一ノ瀬君は眉をしかめた。

【一ノ瀬くんとの仲を、取り持って欲しいんだ】

先程の花ちゃんの言葉がフラッシュバックする。
……今ここで私が一ノ瀬君に適当に話をして、花ちゃんとの仲を取り持ったとしたら一ノ瀬君は何を思うだろう。面倒事に巻き込まれたと、思うのかな。
それをしたところで、彼が花ちゃんに簡単に靡くことはないだろうけど──

「あのさ、一ノ瀬君……」
「何ですか?」

だけどそれは一ノ瀬君の気持ちを無視している行為だ。もし一ノ瀬君に好きな人がいたら?私が花ちゃんとの仲を取り持つことは迷惑にしかならない。

そんな一ノ瀬君を騙すようなこと…私は、したくない。

「ううん、何でもない。今帰り?」
「はい、明日の小テストの勉強を。白石さんは…先に帰られていたようですが?」
「あー…うん。忘れ物しちゃって取りに来たんだ」

明日、花ちゃんにちゃんと断ろう。花ちゃんは私にとって大切な友達だけど、一ノ瀬君だって無下にして良い存在じゃない。花ちゃんの反応だけが、怖いけれど。

「では帰りましょうか。駅まで送りますよ」
「……うん」

一抹の不安を抱えて、一ノ瀬君と隣に並んで歩く。暗くなった夜空にはうっすらと雲がかかっていて……まるで私の心の中を表しているようだった。



──────


「花ちゃん」
「……紬ちゃん」

翌朝、花ちゃんは珍しく朝早く登校していたようですでに席に座っていた。それを確認した私は鞄も下ろさぬまま、真っ先に花ちゃんの元へ向かった。

「あの、昨日は先に帰っちゃってごめんなさい。少し、話をしても良い?」
「……うん。場所、変えよっか」


生徒達が一斉に登校してくる時間帯。少しでも静かな場所をと思って、私と花ちゃんは上履きのまま中庭の休憩スペースへやって来た。よく二人で、お昼ご飯を食べに来ていた場所だ。私より一歩先を歩いていた花ちゃんがくるりと振り返って、「…それで!」と明るく話を切り出した。花ちゃんの纏う空気が険悪な雰囲気ではないことに、ほんの少しだけ安心する。

「一ノ瀬くんとの話、考えてくれた?」
「あ、えっと…」

花ちゃんは期待の眼差しで私のことをじっと見ている。まるで、「断るはずないよね?」とでも言いたげだ。先程の安心感がスッと消えていくのが分かった。怖い、花ちゃんはどんな反応をするのだろう。
ごくりと一度唾を飲み込んで、手は拳をぎゅっと握りながら…意を決して私は口を開いた。

「その話だけど、ごめんなさい。私には出来ない」
「………」
「本当にごめんね。けど、一ノ瀬君の件がなくても私は花ちゃんと──」
「はぁ……ばっかじゃないの?」

花ちゃんの声のトーンが一瞬にして変わった。驚いて顔を上げると、気だるそうに髪の毛を指先で弄る花ちゃんの姿。ひゅっと冷たい空気が全身を這う。


「せっかく優しくしてあげたのにさぁ」

初めて私に話しかけてくれた時の、優しくて可愛らしい花ちゃんの面影は、そこには微塵もない。
甘かった。例え断ったとしても今まで通り友達でいてくれるんじゃないかって、心のどこかで期待していた。利用されただけじゃない、きっと花ちゃんなら許してくれる一緒にいてくれる……そんな考え、甘かったんだ。


「もういいや、用済み」

呆然と立ち尽くす私の横をサッと通り抜けた花ちゃんの綺麗な髪が舞った。ツヤツヤに手入れされているそれは、一ノ瀬君の為だったのだろうか。

何もかも訳が分からなくなって、感情がぐしゃぐしゃになって。だけど、出した答えに後悔はしていない。結果、花ちゃんには嫌われてしまったけれど、それは私が選んだ答えだ。

せっかく出来た、お友達だったんだけどな。


「……教室戻ろ」

鼻の奥がツンとして、泣きそうになるのを軽く啜って誤魔化した。何事もなかったかのように一人教室に戻ると、もうすぐ朝のホームルームが始まるという時間になっていて、クラスメイトも勢揃いしていた。昨日までとはまるで違って見える教室。隣の席の一十木君が「おはよー白石!」なんて挨拶してくれたのに上手に返すことも、離れた席の花ちゃんに視線を向けることも、今の私には出来なかった。


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