お泊まり!




「間もなく結婚するというのに、まだしていないのか」

そう、聖川に驚いたように指摘されたことがあった。あの聖川に、だ。まったく、腹立たしい。


誤解を招くから言っておきたい。経験がない訳では断じてない。若い頃からそれなりに遊んできたオレが、歳を重ねそろそろ落ち着かなければと思っていた時に出会ったのが旅子だった。オレが本当に、本気で好きになった初めてのレディ…本命には簡単に手は出せないとは、よく言ったものだ。

結局は結婚式を迎えるまで我慢が出来ず、抱いてしまった訳だけれど。気持ちがあるのとないのとで、こんなにも幸福度が違うのかと…そんな気持ちに満たされてオレは、旅子の頭を右腕に乗せて眠りについた。








「…あれ」

昔から朝は弱い方だ。寮生活の頃は、聖川やランちゃんによく叩き起されていたっけ。
しかし、新妻である彼女は優しいのかはたまたオレに気を遣ったのか…昨夜隣で寝ていた旅子の姿は、そこには無かった。

一人の朝なんて今までは慣れていたはずなのに、どうしようもない不安に駆られる。広いベッドで寝ているせいか、余計に孤独感が募る。旅子は、一体どこに行ってしまったんだ。


慌ててベッドから飛び出すが、すぐに自分が何も身につけていない事に気付く。逸る気持ちを抑えながら下着とズボンだけ履き寝室のドアを開けた。




「あ、おはようレン!朝ごはん食べる?」
「……」
「ちょうど今出来たところなの。飲み物コーヒーで良──わっ!」

広いリビングの中でも一際スペースを取っているアイランドキッチン。エプロンを身にまとった旅子が、オレを見てニコリと笑った。


おはよう、と挨拶を返すよりも先に旅子を後ろから抱き締める。料理をする為にとひとつに括られた髪が惜しい。サラサラで綺麗で好きなんだ、旅子の髪。まぁ…昨日散々堪能させてもらったけどね、もちろん髪だけじゃなくて全身だけど。



「レンは甘えん坊だね、意外」
「…ごめん、嫌かな」
「嫌じゃないよ。私長女だし、全然平気!」
「何だいそれは」

首元に顔をうずめると、旅子は「くすぐったいよ」と照れたように笑う。お腹の前で手を組んでグッと抱き寄せればオレと旅子の距離はゼロになった。


「……」
「……」
「……レン、朝ごはん食べない?」
「うん」
「は、離れる気配がないんだけど…」
「ごめんね、もう少しだけ」


甘えたようにそう言えば、旅子は何も言わずポンポンと心地良いリズムでオレの腕を叩いた。少しすると飽きたのか、ユラユラと左右に揺れて鼻歌を歌い始める。そんな姿があまりにも可愛くて、ふふっとつい笑いが零れた。

「はい、笑ったからもう離れます!」
「うそうそ、笑ってないよ。ごめんね?」

腕の力を少し緩めると、旅子はオレの方を振り向いて頬を膨らませた。その頬をむに、と摘んだらタコのように唇が尖る。そのまま顔を近付け、ちゅっとキスを優しく落とした。


「おはようのキス」
「…もう、ご飯冷めちゃう」
「ごめんね、怒らないで?」
「怒ってはないけどー…」

本当は離れるのが惜しいけれど、せっかく作ってくれた朝食だ。それに一緒に住んでから初めての朝、旅子と色々なことをしたい。渋々身体を離し、朝食が広げられたテーブルの前に座った。目の前には「お腹空いたね」と笑う旅子が座る。


トーストにベーコン、スクランブルエッグとサラダ。オレが洋食好きなのを知って、朝早くから用意してくれたのだと分かった。

「いただきます」
「いただきまーす!」

静かな朝に、カチャカチャと食器とカトラリーがぶつかる音が響く。今までは当たり前のように一人の朝を過ごしていたけど…愛してる人が傍にいるだけで、こんなに幸せなものか。


「幸せだね」
「え?」
「へへ、なんとなく思ったの」


まるでオレの心を見透かしたかのように、旅子が穏やかに笑いながら言った。


「(本当、敵わないよ)」


昨日から旅子には負けっぱなしだ。だけど翻弄されるのも意外と嫌いじゃない。相手が旅子なら、どんな毎日でもきっと楽しくて堪らないんだろう。


「食事が終わったらシャワー浴びようか。もちろん一緒に」
「しゃ…う、うん」
「どうかした?」
「ちょっと恥ずかしい」
「昨日散々恥ずかしいことしたじゃない」
「そ、それとこれとは話が違う!」


君と一緒ならオレはきっと毎日笑っていられるよ。
柄にもなく、口に出すのは恥ずかしくて何も言わずにただ微笑んだら、旅子はもっと幸せそうな顔で歯を見せて笑った。





prev / next

[TOP]


×
「#学園」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -