act.6

店を出てみると、辺りはすでに日が落ちて暗くなっていた。本当ならばすぐに駅に向かって歩いて帰るはずだったのに。私の足は反対方向へ進む。そして隣には憎たらしくて仕方ないはずの、因縁のプロデューサーが寄り添う。

自然と向かうのは、ネオンが怪しく光るラブホテル街だった。

歩く途中、何度も足がすくんだ。これからの「行為」を想像して怖くて仕方がない。

今から私がしようとしている事が、どれだけ最低な事か分かってるんだけど。



ふと、何故か一ノ瀬さんの顔が頭をよぎった。私の演技を純粋に褒めてくれた、認めてくれたあの人。一ノ瀬さんだけじゃない、私を信頼してくれている事務所のみんなを裏切る事になる。一ノ瀬さんが知ったら、今度こそ本当に失望されるんだろうな。


それでも私は──



「なまえちゃん?ホテル、どこでも良いかな?」
「あっ…はい…」

もう、覚悟したじゃない。
何を今更迷っているの。


しばらく歩いて、一軒のホテルの前で、プロデューサーが立ち止まった。少しだけ周りを警戒してから、入口の自動ドアをくぐろうとする。

だけど、


「なまえちゃん?」

私は怖くて足が動かなかった。


ドクドク、と心臓が鳴る。やっぱり、無理だ…仕事のためとは言え、好きでもないこんな男と身体を重ねるなんて──!




「ごめんなさい…!私、やっぱり無理です!」


鞄の紐をぎゅっと掴みながら、入口の前で立ち止まった。勝手言ってるのは分かっているけど、もうこれ以上大切な物を失いたくなかった。
プロデューサーに頭を下げてその場を立ち去ろうとした時───





「今更何言ってんの?」


後ろから強く腕を掴まれてしまった。


「え…」

振り返って見たプロデューサーの顔は、今までの表情とは違って…確実に、怒りを含んでいることが分かった。
ゾクっと肩が震えた。本能が、危険だと警笛を鳴らす。



「こっちはもうその気になってんだからさぁ。ヤラせてくれるまで帰す訳ないじゃん」


ぎゅぅっと腕を握られ、痛みに眉間に皺を寄せる。


「いやっ…」

振りほどこうにも相手の力が強くて、思うように腕が動かない。グイグイと腕を引っ張ってホテルの中まで引き込もうとするプロデューサーに抵抗するよう、必死に足を踏ん張ってその場に踏み止まる。


「やめっ、てくださ…、離して!!」


私が大きな声を出したことが気に入らなかったのか、プロデューサーは怒り狂ったように私の身体を引き、外壁に押し付けた。両腕を拘束され、完全に身動きが取れなくなる。


「調子乗んじゃねーよ」
「やっ……」
「売れない君のために、ここまでしてあげてるんだよ?言うことくらい、聞いてくれても良いんじゃないかな」


近づいてくる男の顔…このままキスされると悟り、恐怖で唇をぎゅっと瞑る。蹴り飛ばしてでも逃げれば良いのに、恐怖で身体が全く動かない。


私が、私がいけないんだ。
最初からこんな男になんてついて行かなければ良かったのに──!!


もう、ダメだ──。

そう、諦めかけた瞬間だった。







突然横から現れた影。そしてドコッという大きな音がして、目の前のプロデューサーが倒れ込んだ。


「な…」


脇腹を蹴られ、痛みで地面にうずくまるプロデューサーと一緒に、視界に現れたのは…



「な、んで…一ノ瀬さ…んが、」
「みょうじさん!ご無事ですか!?」


一ノ瀬さん、だった。



プロデューサーから私を守るように距離を取って、両肩を掴まれる。私は恐怖から上手く言葉が発せずにいたけど、一ノ瀬さんは「怪我は…無さそうですね」と私を気遣ってくれる。

だけど額にうっすら汗を浮かべていて、こんなに焦った表情の一ノ瀬さんを見るのは初めてだった。



「この、野郎…」


地面に倒れていたプロデューサーがこちらを睨んで起き上がろうとするのを見て、ビクッと肩が揺れる。どうしよう…やっぱり怖くて動けな──



「逃げますよ」
「えっ…」
「良いから早く!走って!」


一ノ瀬さんが大きな声でそう言って、私の手を取った。返事をする暇もなく、手を引かれるままその場から走って立ち去る。


プロデューサーが追いかけてこないか心配で後ろを振り返ろうとするけど、思いのほか一ノ瀬さんの走るスピードも速く追いつくのに必死で…そんな余裕はなかった。


私の前を半歩前を走る、一ノ瀬さんの背中。



(どうして……?)



こんな私の事なんて、放っておけば良いのに。
一ノ瀬さんに私を助ける義理なんて、無いはずなのに。




「ど、して…」
「みょうじさん?」


オーディションの時も、
カフェでかけてくれた言葉も、
今だって


「どうして、いつも助けてくれるのよっ…!」


怖さなのか悔しさなのか、色々な感情でぐちゃぐちゃになる。


「私のことなんてっ…ほっとけば…良いのにっ…」


外だというのに、声を上げて泣いた。泣き顔を見られたくなくて、せめてもの抵抗で両手で顔を覆う。


この人の前で、今まであんなに啖呵を切ってきた一ノ瀬さんの前で泣くなんて恥ずかしかった。悔しかった。自分が情けなくなった。


こんな私に呆れて失望して。早く私のことなんて置いて立ち去って欲しい。そう願うのに、一ノ瀬さんはその場を動かなかった。



「…少し落ち着いた場所に移動しましょう。ご自宅は近いですか?」


この問いには首を横に振る。どうやら一ノ瀬さんは私を放っておくつもりはないようだ。


「分かりました。ついて来て下さい」

顔を上げて一ノ瀬さんを見るけど、涙で視界が霞んでいて…どういう表情をしているかも分からなかった。



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