act.3

「はぁ…気が重い」

毎日のように通う、事務所のドアの前で私は大きく溜息を吐いた。ドアノブに手を掛けて、笑顔を作ってからドアを開ける。



「おはようございます!」
「おはようなまえちゃん!」


みょうじ芸能事務所──私が子役としてデビューした時からお世話になっている芸能事務所だ。
みょうじ──というその名前が付いているように、創設したのは私のおじいちゃん。私がデビューするのと同時に家族や親戚が総動員して開いた事務所だ。



「はい、ホットミルク」
「いつもすみません、社長」
「もー!社長なんて呼ばなくて良いから!」


初代社長のおじいちゃんは、数年前に亡くなった。今は跡を継いで、親戚のおじさんが統括をしてくれている。私の両親は元々違う仕事をしていたから…本当はおじいちゃんが亡くなったと同時に事務所を畳もうかという話が出た所で、おじさんが手を挙げてくれたのだ。


今は私以外にも所属タレントが数人いるものの…事務所の名を知っている人は業界にほとんどいない、小さな事務所だ。だけど、ここで働くみんなは優しくて温かくて、同じ所属タレントも含めて私はここが大好きだ。


「昨日受けたオーディション、どうだった?」
「あ…あー、あの、」


だけど、お世辞にも売れているタレントはうちには一人も居なかった。唯一、過去の栄光で私が名前をちょっと知られているくらい。
だから、私がオーディションを受ける度、事務所のみんなが期待の眼差しで報告を待ってくれる、んだけど…



「ごめんなさい、あんまり手応えなかったかも」
「そっか…残念!またきっとチャンスあるよ」

期待に応えられないことが申し訳なくて、きゅって拳を握った。事務所が経営の面で、厳しい状況に立たされていることも、私はよく知っている。だからこそ、今ここでヒット作品に出て、私がもう一度有名にならなければならない。
それは、今の私の使命なんだ。




「…じゃあ気を取り直して!貴重な今日の仕事行ってきます!」
「あれ?なまえちゃん、今日は?」
「連続ドラマの撮影です、ちょい役ですけど」
「そっか!頑張って行ってらっしゃい!」



気合を入れて、今日の現場へと向かう。
マネージャーが運転する車の中で、もう一度台本を一通り読み直した頃に、ロケ地である公園に到着した。


衣装に着替えてメイクを済ませ、撮影開始の合図を待つ。



「一十木さん入られまーす!」
「おはようございまーす!」

元気の良い声と共に、主演がお出ましだ。

今日は連続ドラマのある1話の撮影。先輩後輩の二人の刑事がバディを組んで難事件を解決していく──視聴率も好調の人気ドラマシリーズだ。


「一十木さん、今日はよろしくお願…」

一十木さんに挨拶に行こうと声をかけた時──その近くにいた人物に、思わず愛想笑いした顔が固まった。



「おはようございまーす!」
「あなたは…」
「いっ…一ノ瀬トキヤ……!」

一十木さんの横で、腕を組んで立つ(なんて偉そう!)スラリとした姿にぎょっとし、後退りした。どうしてコイツがここに居るのよ!そんなの聞いてない!


「あれ?トキヤ、もしかして知り合い?」
「いえ、別に」

以前少し現場が被っただけです、と淡々と話す一ノ瀬トキヤ。あぁそうですね、知り合いと言えるほどの仲じゃないですよね、そんなのこっちのセリフですけどね。


「初めまして!一十木音也です!」
「…みょうじなまえと申します」

にこやかに笑いかける一十木さんには何の罪もないけれど、気分が悪い。確か出演者の中には一ノ瀬トキヤの名前はなかったはず…そんな私の疑問に答えるかのように、一十木さんは一ノ瀬トキヤの肩を親しげに組んだ。


「トキヤはね、明日撮影の最終回に友情出演してくれるんだー!だから今日は見学に来てるんだよ!ねっ?」

友情出演…要するに、バーターってやつね。これもこの業界ではよくある話。小さな事務所に所属する私には縁のない話だけれど、きっと一十木さんの主演するドラマに一ノ瀬トキヤが出演すれば、それはさぞかし大きな反響になるのだろう。



「あなたが今日の撮影に参加するとは…出演者の中には名前がなかったと記憶していますが」
「…一話だけの参加なので、公式サイトなどには名前が載らないんですー。すみません、ちょい役なもので。一ノ瀬さんや一十木さんみたいに主演を張れる女優じゃないもので!」

少し仕返ししたくて、笑顔を貼り付けて嫌味を言ってやる。だけど一ノ瀬トキヤは気にも止めず一十木さんに「彼女の役柄は?」なんて聞いている。
私の話は無視かい!ほんと、感じ悪い!


「みょうじさんはねぇ、殺されちゃう役!」
「そんな爽やかに言わないでもらえますか…」

一ノ瀬トキヤも相当だけど、一十木さんも中々デリカシーがない。間違ってはいない、うん彼は間違ったことは言っていない。そう、私が今日演じるのはここの公園で男に襲われて殺されてしまう役。そしてその事件を担当し、解決していく所轄の刑事役が一十木さんという訳だ。


「ど・う・せ!私は仕事が選べないものですから!」
「……」
「でも大事な役だよー」

フォローを入れた一十木さんの言葉も切ない。何も言わない一ノ瀬トキヤにもまた腹が立つ。

そりゃ、こんなちょっとした役で現場に駆り出されるなんて可哀想──なんて憐れむ気持ちも分かるけど。


「……けど」
「?」
「私はどんな役だって手なんて抜いたりしません。大して映らなくても、たとえ死体の役だろうと」


冷たい視線で私を見下ろす一ノ瀬トキヤに負けじと、私も奴を上目でじっと見返す。
少しばかりの沈黙。すると撮影スタッフから私の名前を呼ぶ声が聞こえたから、軽く礼だけして私は一ノ瀬トキヤの目の前から去っていく。




「ねぇねぇトキヤー」
「……」
「顔、怖いよ?なんでそんなに怒ってんの?」
「いえ、何でも」





───

「本番行きまーす!よーい、」


「被害者は20代女性、包丁で身体をメッタ刺しか…これは酷いな」
「スマホや財布は持ち去られ、身分証も所持していません。特定には少し時間がかかりそうですね…」
「ひとまず捜索願が出ている人間と照らし合わせだな。…時間がかかるぞ、これは」


目を瞑り、真っ暗な視界の中で耳だけで台本のセリフを追う。胸や腹部に、更には顔にまでべっとりと塗られた血のりが気持ち悪い。

それに耐えながら息を止めて時間が経つのをひたすら待つ。少しの動きも許されない、だって今私は生きていない役なのだから───




「はいカット!OKです」

監督の声にゆっくりと瞳を開ける。視界の眩さに瞬きを繰り返してからゆっくりと立ち上がった。今日の私の出番はこれで終わり。すぐに次のシーンに入るべく打ち合わせに入る一十木さんの姿を見て、少し胸が痛む。


「(良いなぁ)」


本当はもっとお芝居したいのに。そんなもどかしさに、いつも苦しくなる。

だめ、もう今更だ。
とにかく今は出来る事だけやっていかなきゃ…そう決心したじゃない。



「お疲れ様でしたー」

着替えを済ませてから周りに適当に挨拶をして、帰路に着こうと現場に背を向けた。

しかし、マネージャーが待つ車が停まる駐車場で、またもや私は奴と遭遇してしまう。


「…撮影お疲れ様でした」
「い、一ノ瀬トキヤ…」


同じく車に乗り込もうとしていた一ノ瀬トキヤと目が合うけど、特に話すこともないと思い、私は車のドアを開けた。



「あなたは」
「……?」
「この状況で満足しているのですか」


ポツリと呟かれた一ノ瀬トキヤの言葉に、乗り込もうとした身体を止める。

返事を待つかのように私をじっと見据えるその綺麗な瞳に、

また怒りがふつふつと湧き上がってくる。





「してる訳、ないじゃない!」

このままで良いなんて思ってない。
本当は悔しくて仕方ない。


「恵まれた環境にいるあなたに…私の気持ちなんて分からないよっ…!」


一ノ瀬トキヤにそう吐き出した私は、顔を合わせる事もなく、急いで車に乗り込んだ。




「なまえちゃん?大丈夫?」
「大丈夫!良いから早く車出して!」

心配そうな表情を浮かべるマネージャーが車を発進させる。流れていく外の景色を窓から眺めながら、頭から離れない、一ノ瀬トキヤの言葉。


「(本当に、何なのアイツ)」


全て見透かされているような、心を読まれているような、そんな気がした。

あんな男に、私の気持ちなんて分かってたまるか。


そう思いながら私は一人、悔しさを堪えて唇を噛み締めた。



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