act.2

「【愛してるって、言ってくれたじゃない…!どうして、嘘なんてついたのっ……】」

なんて安いセリフ。今時こんな言葉使う人なんているのかな。
だけど…今の私は、この物語のヒロインだ。

「【あなたが結婚してるって知ってたら…私、こんなに好きにならなかった…】」

だからその女の子になりきって…その「架空の人間」に取り憑かれ、演技をしなければならない。
それが、女優というお仕事だ。

「【さよ、なら……】」

唇を噛んで、目の前の男に別れを告げる女の子を演じきった。オーディションだから、たった数分のセリフ。だけど私は手を抜いたり、諦めたりなんてしない。

たとえ出来レースで、結果が決まっているとしても…一縷の望みに賭けたいんだ。


全てのセリフを言い終わり、一礼して椅子に腰かける。プロデューサーは「ふーん…」と一言呟いたけど、拍手をする素振りも見せない。

…さすがに、これじゃ手応えは感じられなかった。

 
半ば諦めて俯いた時──


「悪くないね、面白いよ」
というプロデューサーの声が聞こえて、ばっと顔を上げた。



「話題性には欠けるけどぉ…でもまぁ、実力はありそうだしなー。うーん」
「本当ですか…!?ありがとうございます!」
「みょうじさんはどんなシーンでも演じ切ってくれるかい?」
「はい!もちろんです!」

よし!これまでに無いくらい良い反応をもらえた。
これは、もしかしたら…もしかしたらと期待を抱いていると、




「それじゃ、下着姿になってくれるかな」


続けて聞こえた言葉に、思考が止まった。







「……え?」


下着姿…?え、何それ。今この場でって、こと…?
何も反応出来ずにいると、プロデューサーはさぞ当たり前かのように、話し続ける。


「このドラマ、ベッドシーンあるんだよね。絡み合いのシーンがあるとどうしてもさ、女優さんのスタイルって目につきやすいから」
「けど、そんなこと…」

事前の説明では何も言われていない。


どんなシーンでも、それがたとえ濡れ場でも、役をもらえたら何でもやるつもりだ。
けど今、この場で、なんて…。

プロデューサーと脚本家と…それに、一ノ瀬トキヤだって目の前にいるのに。


「それは──」

出来ません、と言うのが悔しい。
絶対合格するつもりでこの場所に来たのに──

何も言えないでいる私に、プロデューサーは大きく声を上げて笑った。


「まぁ出来ないって言うなら仕方ないよねー!それじゃオーディションは終わりってことで──」
「分かりました」
「は?」


私は勢い良く椅子から立ち上がって、一つ深呼吸をした。意を決してカーディガンを脱いで椅子の背もたれにかけ、ブラウスのボタンに手をかける。


情けないことに、手が震えた。それなのに頭では「今日脱ぎやすい服で来て良かった」なんで妙に冷静な事を思う。
はらりと肩からブラウスが落ちる。外気に晒された肌が冷たい。露になった下着を隠そうと腕を上げようとして、思い直す。

腕をどこに置けば良いか分からず、とりあえずそっと下ろして左の手首を右手でぎゅっと握った。



「……へぇ」

ニヤニヤしながら舐め回すように、私の上半身を見るプロデューサーが気持ち悪くて仕方ない。

怖くて逃げ出したくて、泣きそうになる。
だけどここで引く訳にはいかなくて、唇を噛んでじっと耐えた。


「スタイル良いんだねぇみょうじさん…これならグラビアに転身した方が売れるんじゃない?」
「いえ、私は…」
「ほら、手が止まってるよ。下も脱いで見せてもらわないと」


プロデューサーの言葉に、また身体が震える。
目の前の視線に耐えられなくて、視線を下げたままスカートのファスナーに手をかけた。

これも、役をもらうため──私が、私には売れなきゃいけない理由があるんだ。我慢、しなくちゃ。全ては、お仕事のため。
泣きそうになりながらも必死に理性を保って、スカートのファスナーを下ろした、その時──



「いい加減にして下さい」


静かな部屋に、一ノ瀬トキヤの声が響いた。


その声に驚いて、スカートを脱ごうとした手を止める。一ノ瀬トキヤは何も言わず、机に広げていた台本や資料を片付け始めた。
あたふたするプロデューサーを横目に、大きく音を立てながら椅子を引いて立ち上がる。


「これ以上続けると言うのなら、私は役を降ります」


その様子を見るに、完全に怒っているようだ。
明らかに今までとは態度が急変した一ノ瀬トキヤに動揺したプロデューサーは、焦ったように彼に続いて立ち上がる。私はただ、その場をじっと眺めている事しか出来なかった。

片手に資料、もう片方の腕にジャケットをかけた一ノ瀬トキヤが、出入口のドアへと向かう。


「早く着なさい」
「え?」

私の横を通り過ぎる瞬間、耳元でそっと囁かれる。突然の事にまた驚いて、咄嗟に渡されたジャケットを受け取ってしまった。
声を掛けようとするも、一ノ瀬トキヤはそれ以上は何も言わず、そのままドアに手を掛けた。


「失礼します」
「ちょっ…ままま待ってよ一ノ瀬くん〜!」

慌てて制止するプロデューサーに目もくれず、一ノ瀬トキヤはスっと部屋を出ていく。外から「きゃーっ!」という女の子の声が聞こえた、恐らく廊下に待機していたオーディション参加者の女の子達だろう。その反応を見るに、今日彼がこの場に来ていた事は、私達に完全に伏せられていたのだと分かった。



「(…もしかして、助けてくれた?)」


唖然とする脚本家に、ダラダラと冷や汗を流すプロデューサー。部屋の中に微妙な空気が流れる。
私は急いで渡されたジャケットに腕を通し、ブラウスとカーディガンを手に引っ提げたまま、二人に向かって深く一礼した。そして一ノ瀬トキヤを追いかけようと、走って部屋を出て彼の姿を探す。

すでに数メートル先にいる後ろ姿を見つけ、走って追いかけた。


「あの!」

大きな声で呼び止めると、立ち止まってくれる。ゆっくりとこちらを振り返った綺麗な切れ長の瞳と目が合う。

ふぅ、と呼吸を整えてから私は彼に向かって一礼をした。

「ありがとうございました。…あとこの洋服も、」

そう言って羽織っていたジャケットを返そうとした私に、返ってきた言葉は



「無様ですね」


あまりに予想外のものだった。



「…はい!?」
「失望しました」
「えっ?えっ?」

心底軽蔑したような、冷たい視線が私を突き刺す。
呆気に取られて、口を開けてぽかんとする私に、一ノ瀬トキヤはその綺麗な声で追い討ちをかける。


「普通、オーディションの場であのような事をさせる訳ないでしょう」
「う……」
「あなたの前の参加者も何人か見ましたが、プロデューサーがあのような要求をしたのは唯一、あなただけでした」

それは、何となくだけど分かってた。
小さい事務所の、昔プチブレイクしただけの女優。


「舐められているんですよ、あなた」


分かってた。だからこそ、悔しくて。
見返してやろうと思って、私だってあんな事したんだ。

悔しい悔しい、悔しい。
だけど一ノ瀬トキヤが言うのは正論で、私は返す言葉が何も無かった。
けど、…だからって、そんな言い方しなくても…


「もう少し仕事を選んで下さい」
「な、」
「では」




な、


なな…なななな



「なんなのよアイツーっ!!」


広い廊下に、私の叫び声が響く。
息を整えながら、心を落ち着かせようとするも、一ノ瀬トキヤの言葉と態度のせいで、怒りは中々治まらない。

なんなのあの男!性格悪すぎ!
テレビでのあの王子様みたいな笑顔を思い出すと、余計タチが悪い。なんであんな男がアイドルやってて、それであんなに人気なの!?意味分かんない!


鼻息を荒くしながら、私は大股で歩き控え室へと戻る。バン!と音を立ててドアを開けて、オーディションの事務局のスタッフがきょとんとする横を通り抜けて、服装を整えてから自分の鞄を引っ掴んだ。


どうせ、結果だって分かってる。オーディション会場に戻るつもりも更々なかった。

もう、今日は帰ろう!
事務所にはまた明日、報告に行こう。「クソプロデューサーに、下着姿にさせられました。おまけに主演俳優に喧嘩を売られたので、オーディションは辞退しました」…とは、

「…さすがに、言えないけど」


はぁ…事務所のみんなになんて言おう。頑張ってねって、あんなに応援してくれてたのに。それに、あんなことがあったから…あのプロデューサーとはもうお仕事はしたくない。仕事も選ばない…と……?


『 もう少し仕事を選んでください』


一ノ瀬トキヤの言葉を思い出して、また怒りがぶり返す。ぶんぶんと首を横に振って、私はまた大股で歩き出した。だめよ、なまえ!私には仕事を選んでる余裕なんてないんだから!



『 失望しました』

そういえば、あの時一ノ瀬トキヤはそういう言い方をした。
それが少し、引っかかる。まるで、前から私の事をよく知っているみたいに。

私、どこかで会った事あったかな?



「……まぁ良いか!あんな奴の事なんて!」

今日は何か美味しいものでも食べて帰ろう。
そしてまた明日から頑張らないと。

そう決意して私は肩にかけていた鞄の紐を握り直し、また大股で歩きながら会場の出口へと向かった。



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