act.7

「あの、ここって…」
「私の自宅です」

躊躇することなく部屋のドアを開けた一ノ瀬さん。これにはさすがに私も後退りをするけど、どうせ行くあてもない。自宅に帰るには遠いし、正直今は外を一人で歩きたくない。人気アイドルの家に上がり込むなんてさすがにまずい、と理性では分かっていても…今は誰かと居たいと思ってしまった。


「お、お邪魔します…」

物が少なく、スッキリとした部屋だ。掃除も行き届いていて、一ノ瀬さんのマメな性格がうかがえた。
「適当に掛けて下さい」と言われるがどこに座って良いのか分からず、とりあえず近くのソファに腰を下ろした。




「…っ!」

ソファに座った途端、急に反転する視界。気付いたら一ノ瀬さんにその場に押し倒されていた。私に跨る一ノ瀬さんの身体が邪魔をして、両手首も拘束され身動きが取れない。


「ちょ、なに…!」
「分かりませんか?無防備すぎるのですよ、あなた」

ギリ…と音がしそうなくらい強く握られた手。私を見下ろす、一ノ瀬さんの冷たい視線。
その表情には、うっすら怒りが含まれていて…恐怖すら覚える。


「私の家にまで簡単に上がり込んで…男と二人きりになるとどうなるか、想像出来ませんでしたか?」
「それは…」
「大方、あの男から仕事を与えるとでも吹き込まれたのでしょう。何かあってからでは遅いんです。次からは自分の身は自分で守って下さい」


一ノ瀬さんの厳しい言葉に、私は何も言えずに唇を噛んだ。

先程の出来事がフラッシュバックする。
…そうだ。あの時一ノ瀬さんが助けてくれなかったら私、今頃あの男に何をされていたか分からない。
逃げようにも、きっと逃げられなかっただろう。



「何故、あのような真似を」
「だって…」
「大体あなたの実力なら営業などしなくても──」
「…ないよ、」

押し倒された体勢のまま紡がれていく言葉が悔しくて、私は一ノ瀬さんの言葉を遮った。下から見上げた一ノ瀬さんの顔が涙で霞んでいる。


「事務所が大きくて、恵まれた環境にいるあなたには、私の気持ちなんて分かんないよ!!」


大きな声で、全てを吐き捨てるようにそう言い放った。


こんなこと、一ノ瀬さんに言っても仕方がない。完全に八つ当たりだ。それでも止まらなかった。


「分かってる…!枕営業なんて最低だってことも…のこのこついて行った自分が馬鹿だってこともっ…」


とめどなく涙が流れる。


「それでも私は、…っ、今の事務所を…自分の居場所を守りたかったの…!」


泣き喚く私に、一ノ瀬さんは何も言わない。悔しくて、悲しくて、自分が情けなくて。分かっている、呆れられて当たり前だ。そう思っていたのに。


「とにかく、無事で良かった」
「え……」
「温かい飲み物でも入れましょう。少しお待ち下さい」


一ノ瀬さんはそっと身体を起こして私から離れる。

キッチンへと姿を消した一ノ瀬さんの背中をぼんやり見つめながら、私もゆっくり起き上がった。涙を拳で拭って深呼吸をする。あぁ…きっと今の私の顔面は酷くボロボロだろう。こんな顔を見て、一ノ瀬さんは私のことをどう思ったのだろうか。


キッチンからカチャカチャと食器がぶつかる音を背後に聞きながらボーッとしていると、テレビ横にあるラックに、見覚えのある背表紙が見えた。



「これって…」

そっとそれを一つ、手に取ってみる。
青いパッケージに、白地の文字──『星空の下』と大きくタイトルが書いてあるDVDだ。
それは、私にとって大切で思い入れのあるもの。…懐かしさを噛み締めながらパッケージの裏面を見る。


主演女優の一段下に書いてある、「みょうじ なまえ」の名前。

そう…私が子役時代に出ていた、連続ドラマだ。




「見つかってしまいましたか」

背後から一ノ瀬さんの声がして、慌ててDVDを戻そうとするけど「大丈夫です」と言ってくれる。勝手に見てしまった申し訳なさと同時に、何故一ノ瀬さんがこれを持っているのかという疑問が浮かんだ。


コト、とテーブルに置かれたマグカップに入ったホットミルクの香りが漂う。それを口にするより先に疑問の答えが知りたくて、私はDVDを持ったまま口を開いた。


「どうして、一ノ瀬さんがこれを…」


少しの沈黙の後、一ノ瀬さんがゆっくりと私の隣に座った。私の方に手を差し出した一ノ瀬さんに、そっと持っていたDVDを手渡す。



「初めて、好きになったドラマでした」


目線を落としながら、一ノ瀬さんは小さく呟いた。
ひどく、懐かしむような優しい表情だった。

手持ち無沙汰になった私はマグカップに手を伸ばす。だけど一ノ瀬さんの話をちゃんと聞きたくて、伸ばした手を引いて自分の膝の上で握った。


「当時、自分と差程年齢の変わらない少女の演技に魅せられました。毎週ドラマの時間が来るのが楽しみでテレビの前に座り込んで…テレビ画面に映るその少女に、気が付けば憧れていました」
「……」
「そしていつか、芸能の世界を志すようになった」
「え…」
「私がこの世界に入ったきっかけは…あなただったんですよ、みょうじさん」


何が何だか分からない。一ノ瀬さんが、私のドラマを見て芸能界に?だって、作品自体もう十数年前のものだし、私なんて憧れられるような人間じゃない。
それに何より、

「すみません。驚かせてしまいましたか?」
「驚くよ!だって…!」

今までの冷たい態度は何だったの!?
憧れだって言うなら、もう少し優しくしてくれたって…!

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、一ノ瀬さんは言葉を続けた。


「あなたが芸能活動を続けている事は知っていました。ですが、中々共演の機会には恵まれなかった」
「うん…」
「だから探していたんです。本当は会いたかった、ずっと」


それを聞いてあの日のオーディション…一ノ瀬さんがあの場にいたのはそういう理由だったと分かった。

憧れてくれていたのは、正直嬉しい。あのドラマから何年も経っているのに私のことを覚えてくれていたなんて、そんな人がいると思わなかったから。だけどそれだけで、わざわざ探してくれたり助けてくれるものなのだろうか。その理由が私にはいまいちピンと来ない。



「あの、一ノ瀬さ──」


名前を呼ぼうとした私の唇は温かいぬくもりに包まれて。

それが一ノ瀬さんの唇に塞がれているからだと気付くのに、時間はかからなかった。



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