「何の本読んでるの?」
夕方、授業も終わりHAYATOの仕事も無い穏やかな放課後。自分の唯一の癒しの時間を邪魔されたくなく、かけられた声を無視しようと決め込んだ。しかしその女子生徒と思われる人物は、懲りずに開いている本を覗き込んでくるものだから、心底面倒だと思ってしまった。
「ねぇ、聞いてる?何の本読んでるの?面白い?」
「……あの、」
「あ、この本!私も読んだことあるよ!面白いよね」
ちょうど目で追っていた段落を指差して、彼女はそう言って笑った。細かい文字が所狭しと羅列される音楽史の本。自分で言うのも可笑しいが、かなりマニアックで高度な内容…興味を抱いて手に取る人物などそうそう居ないはず。教師や専門家ではなく、いち生徒なら尚更だ。
「でもちょっと複雑で分かりにくいかも。言い回しも独特だし──ちょっと待ってて!」
あまり見た事のない生徒だと思った。しかしながら他人への興味も薄い方だということに加え、この学園の規模なら知らない生徒が居ても何もおかしくないと、自分を納得させた。
鼻歌を歌いながら、奥の本棚へと姿を消した彼女。変な生徒だ──と思いながら本の続きを読もうとした所で、机の上にもう一冊書物が置かれたのが視界に入る。
「違う作者で解釈も違うけど……私はこっちの方が好き」
「見たことのない物ですね…かなり古びているようですが」
裏表紙を開くと、図書室の貸出カードが挟まれていた。借りた生徒の名前が羅列している一番下の行を指す指が見え、視線を上げると彼女は楽しそうに笑った。
「みょうじなまえ。コレ私の名前!」
そのような出来事があって数日、図書室に通う私の元にみょうじさんはしつこく現れた。始めは鬱陶しく思ったが意外にも彼女は博識だった。音楽のこともよく理解していて勉強熱心なのも窺えて…しかし、そこでまた一つ疑問が生まれた。
そう、図書室の外でみょうじさんの姿を全く見かけないのことはおろか、生徒名簿にも彼女の名前が載っていなかったのだ。
「(彼女は一体……)」
「おう一ノ瀬、呼び出して悪いな」
「いえ、構いません」
数ヶ月に一度回る日直の仕事で、日向さんと共に資料室の整理をする。何冊か本を積まれ渡されたところで、日向さんが「これ、図書室に返しておいてくれ」と言う。図書室……と聞き思い出す彼女の存在。教員である彼なら、確実に知っているだろうと思った。
「あの、日向さん」
「んあ?」
「探している女生徒が居るのですが…知っていたら教えて頂けませんか」
「別にいいが…誰だ?」
「みょうじなまえさんという生徒なのですが…」
「みょうじ?」
その名を聞いて、日向さんの動きがピタリと止まる。
「なぜお前がその名前を知っている」
ガラリと図書室のドアを開ける。
半分開いている窓から、穏やかな風が吹き込んでくる。夕暮れが美しい、放課後の時間帯。
珍しく、先客がいた。みょうじさんだ。
窓際の席に腰かけ、両手で頬杖をつきながら外を眺めている。
『…… みょうじなまえは五年前に在籍していた生徒だ。Sクラス所属で成績も優秀。デビューの最有力候補だった』
『五年前…?』
『その分、やっかみも多くてな。クラスの生徒に嫌がらせを受けて…そのうち図書室に籠って教室に来なくなった』
「みょうじさん」
歩みを進めて、彼女が座る席の横に立つ。
いつもの明るい笑顔も、今日は見せてくれない。彼女の視線はずっと窓の外の景色を見つめたままだ。
『それからしばらくして、みょうじは…不慮の事故でこの世を去った。何とか出来なかったかと、俺も今でも後悔してる。恐らくまだ生きてたら、トップアイドルになってただろう』
「あなたは、その」
何と言って良いか分からなかった。
ここの生徒ではない…と言うのは違うだろうし、生きていないと現実を突きつけるのも怖かった。
「バレちゃった?」
私の気持ちを察するかのように、みょうじさんは立ち上がって窓辺に背を持たれかけた。
「お友達になってくれて、ありがとう」
風が吹き込み、彼女の髪を揺らす。
こんなに近くにいるのに、手の届く距離にいるはずなのに、
「私ね、ずっと孤独だった。こんな華やかな学校、私が居るべき場所じゃないって…。居なくなりたいって、何度も思ってた。そしたら罰が当たったの」
みょうじさんのその微笑みが、今日は遠い気がした。
「死んだはずなのに…中々天国には行けなくて、ずっとここでこっそり本を読んでた。そしたら、トキヤくんを見かけるようになったの」
もしかしたらアイドルになるって夢に未練があったのかな。
彼女はそう言ってまた、悲しそうに笑った。
「トキヤくんと会えたから、これでようやく成仏出来るかな」
一歩歩みを進め、みょうじさんとの距離を縮める。肩に触れようとした手はすり抜けて、そのまま下に落ちていった。
「生まれ変わったら、」
「……っ」
「また会いましょう。この場所で、必ず」
今、そう伝えたいと思った。
不思議とまた会える気がして、それをこんなにも望んでしまう自分に驚く。
私の言葉に目を見開いたみょうじさんは、
「うん!約束だよ、トキヤくん」
そう言って涙を流し、光に包まれながら消えていった。
────
「なぁなぁ、そういや知ってるか?【図書室の亡霊】のハナシ!」
それはある日の授業の間の休み時間──前の席に座る翔の言葉に、私は机の上の本のページをめくる手を止めた。
「あぁ…聞いたことあるね。凄く可愛らしいレディの幽霊で、いつも窓際で本を読んでるっていう…」
「そうそれ!何故だか最近目撃情報無いらしいぜー」
成仏でもしたんかなー、と言う翔の声に、そうだと良いねと返すレンの声。そんな二人の声に紛れて
『ありがとう』
みょうじさんの声が、聞こえた気がした。
「なぁトキヤ、俺の話聞いてる?」
「…彼女はきっと、」
「「……?」」
「寂しかっただけなのだと思います」
「……は?」
教室の窓から、少し強い風が吹き込み髪を撫でた。それが彼女からの返事だと確信をしながら、開いていた古びた本のページに視線を落とした。
るいは友を呼ぶ
(さようなら。いつかまた、きっと)