この仕事をしていると夜遅くまで働いて、日を跨ぐ事なんてざらだ。20歳を越えたら、容赦なく深夜の時間帯の仕事も入れられる。それが不満、という訳ではもちろんなくて、身体の方も自然と慣れてくるから不思議なものだ。
「なまえちゃーん!お疲れちゃん!」
「寿さん、お疲れ様です」
今日の収録でお世話になった、寿さん。元々寿さんがレギュラー出演していたバラエティ番組に、私が今シーズンから新レギュラーになった事で共演が増えた。撮影中も気にかけてくれたり、咄嗟にフォローしてくれたり。頼りになるし尊敬している先輩だ。
「もう遅い時間でしょ?僕、車だから家の近くまで送るよ」
「そんな…いつも悪いです。タクシーで帰りますので……」
「良いから良いから!」
やんわり断るけれど、寿さんも引いてくれない。こんな事は何度もある。ここ最近の収録終わりはいつも、だ。送ってくれるのは有難いのだけれど、寿さんが私をこんなに気にかける理由がいまいちよく分からなかった。それに少し、私にも罪悪感があった。
「はい、ホットココア」
「ありがとうございます…」
寿さんの愛車の、グリーンの可愛い車。その助手席に乗り込む。シートベルトをした所で、横から渡されたココアにほっとする。本当、いつの間に用意しているんだろう。発進した車に揺らされながら、夜の道を走る。急なアクセルやブレーキもなくて、運転も上手い。大人って、こうなのかな。なんだか、
「(すごく女の子の扱いに慣れてる気がする)」
「なまえちゃん、大丈夫?ちょっと疲れちゃったかな」
「い、いえ!大丈夫です」
ハンドルを切って視線は前を向きながら、寿さんが普通に話しかけてきたことに驚く。目が横にもついているのではないだろうか。
そんな先輩の前で失礼と思いながらも、こっそりとスマホを盗み見る。
『明日オフなんだけど、今から会いたい。なまえの家に行ってもいい? 』
まただ、と思い小さく溜息を吐きたい所をぐっと抑えた。ダメよ、隣には寿さんがいるんだから。私は既読だけついた彼からのメッセージに返信をせず、スマホの画面を閉じる。
「なまえちゃん」
私の家へ向かう途中の道路の路肩に、寿さんが突然車を停めた。今まで何度か送ってもらったことはあったけれど、こんな事は初めてだった。運転席に座る寿さんを見ると、いつになく真剣で、それでいて真っ直ぐな瞳と目が合う。
「この道をこのまま真っ直ぐ行くとなまえちゃん家」
「えっ」
「次の交差点を左に行くと、僕ん家」
「え、ちょ…」
「どうする?」
しん、と静まり返る車内。ハザードのカチカチと言う音だけが、ただ響いている。
どうする?と言われて、上手く返事が出来ない。何も言わない寿さんは、私の言葉を待っている。私は必死に緊張で乾いた口を開けた。
「寿さん…あの、私前に話したと思うんですけど、彼氏がいて」
「ロクに連絡もせずに他の女の子とばかり遊んで、夜にだけ会う都合の良い彼氏のこと?」
「なんで知って……!」
「知ってるよ。前からそんな噂ばっかりだったもん、その俳優」
そう、実は寿さんには彼氏がいることしか伝えていなかったのだ。相手が誰か、なんてことは寿さんはおろか、周りには誰にも話していないのに。
なぜ寿さんは知っているのか、彼が遊び人と言うことはそんなに周知の事実なのか、バレてしまってどうしよう、彼に迷惑がかかるとか。色々な思考がぐるぐると頭を駆け巡る。
「ほんと、ムカついたよ。何でよりによってなまえちゃん?って」
「寿さ……」
「馬鹿みたいだよね。僕が手を出さずにずっと、我慢してたのが」
いつもより低い、寿さんの声。普段のおちゃらけた様子とは全然違う…寿さんの遠回しな告白に、心臓がうるさく音を立てる。
握りしめていたスマホが再びバイブ音を鳴らす。早く帰ってこい、とでも言うのだろうか。他の女の子とも遊ぶような、最低な男が待っている家に、私は帰らなければならないのだろうか。
「か、」
「なまえちゃん……?」
「帰りたく、ないです」
絞り出した小さな声に、寿さんが少しだけ驚いた顔をする。上目遣いで寿さんの顔を見つめると、その口角が嬉しそうにニヤリと上がった。
「もう手加減しないよ」
こうなったら、どうとでもなれ。
そう半ば諦めた私は、勢い良く降ってくるその唇を必死に受け止めた。
両手首を掴まれて、身体を車のシートに押し付けられる。このまま寿さんに身を委ねてしまおう──そう決心したら、不思議と心のもやもやが晴れた気がして、気分が楽になった。
これが正しいかどうかは、別にして。
がまん出来ないほどに
(早く、私を奪い去って)